東南アジアのチキンライス
今回は珍しく、小説以外の話だ。子供の頃の私は乱読派で、家にある本や、図書室にある本を、片っ端から読んでいた。そういうわけだったから、対象年齢よりもずっと上の本――ほとんどは親の本――もかなり読んでいた。今思うと、親も活字ならなんでもOKというスタンスを取るのではなく、少しは注意した方が良かったのではないかと思う時がある(この辺りについては、もう片方のエッセイに譲る)
私が小学生の時に読んだ雑誌(私のものではなく親のものである)に、東南アジアのとある国で生活していた人の手記が連載されていたことがあった。国はシンガポールだったと思うが、記憶に自信がない。
もう内容もはっきり憶えていないのだが、向こうでの生活のことが明るい文章で綴られていた。今思うとかなり大変な生活だったのだろうとは思うが、書き手の文章は、その大変さをあまり感じさせなかった。
さて、この手記の中では当然、向こうで食べたものについても書かれていたのだが、この中で忘れられなかったものがある。「チキンライス」だ。記憶を頼りにその文章を再現するが、こんな感じであった。
「チキンライスといっても、日本で食べられている、申し訳程度に鶏肉が入った、トマトケチャップ味のライスではない。ご飯の上に、大きく切った鶏肉がどーんと載っている、ボリュームたっぷりの料理だ」
この文章を読んだ私は当然のごとく「これを食べてみたい」と思った。だが、当時、東南アジアの料理というのはまだ珍しいもので、私の住んでいた地方では、ほとんど見かけることがなかった。また、小学生の私には「専門店に行く」という選択肢が頭に無く(あったとしても、両親が連れて行ってくれたかどうかは疑問なのだが)この東南アジアの「チキンライス」というものを、食べてみることはできなかった。
一応、この雑誌の手記には作り方も載っていたのだが、当時の私はまだまともに料理ができない年齢であった。母に雑誌を見せて「これを食べてみたいから作ってほしい」と頼んだのだが、これも却下されてしまった。
そういうわけでこの「チキンライス」を食べることはできず、何年か経つうちに、チキンライスのこともほとんど忘れてしまった。何しろ周りに「東南アジアのチキンライスって美味しそうだから食べてみたい」と言ったところで、返ってくる答えは「それ何?」だ。いや、「それ何?」ならまだいい。ひどいケースだと「この人、なにバカなことを言っているの?」という目で見られて終わりなのだ。それくらい、当時はこの料理はマイナーなものであった。
さて、これを読んでいる人の中には、もうこの「東南アジアのチキンライス」が何なのか、わかっている方も多いだろう。「海南鶏飯」「カオマンガイ」「コム・ガー」「ナシ・アヤム」国によって名称は違うが、東南アジアでは極めてよく食べられている、鶏のスープで炊いたご飯の上に、調理した鶏肉を載せるか添えた料理だ。ここのところ、日本でも東南アジア料理が珍しくなくなったこともあり、よく知られるようになってきている。
東京で暮らすようになり、大人になり、ある日、東南アジア料理屋の店先に展示されているメニューの写真を見た時に、この子供の頃の記憶が一気に甦ってきた。ああ、これは知っている。昔読んだ本の中に出てきた料理だと。
以来、「東南アジアのチキンライス」は、私のお気に入りの料理だ。私は辛いものが食べられないが、これなら食べられる(タレが辛い場合もあるが、その場合はかけなければ良い)あまりに気に入っているので、自己流にアレンジしたものではあるが、自分でも時々作っている。
そして些細なことだが、東南アジアのチキンライスの話をしても、変な目で見られなくなったのが、少しだけ嬉しい。
ちなみに、この手記で憶えていることがもう一つある。それが「ジャックフルーツ」という果物の話だ。著者はこの果物を「とても美味しい」と褒めているが、同時に「食べるのが大変」とも書いている。残念ながら食べたことがないので、どんな味なのか、時々思い出しては気になっている。