ソーセージ・アンド・ビスケット
私が通っていた高校の修学旅行先はアメリカだった。修学旅行中、マクドナルドで朝食を取ったことがあったのだが、その時注文してみたのが「ソーセージ・アンド・ビスケット」というハンバーガーだった。向こうの小説で度々目にはするものの、日本にはないメニューだったので、どんなものなのか興味が沸いたのである。
結論から言ってしまうと、これがおそろしく不味かった。不味いというか、私の口にはあわなかったというか。トラウマ級とまでは行かなかったものの、かなりのショックを受けた私は、今でもこの体験をネタとして話してしまうことがある。
ところで、である。この話をすると、かなり高い確率で訊かれるのが「ソーセージ・アンド・ビスケットって、そもそもどういうものなの?」ということだ。おそらく、今このエッセイを読んでいる人の中にも、同じことを疑問に思う人がいるだろう。
ざっくり説明すると「ケンタッキーフライドチキンで売られているホットビスケットに、マクドナルドの朝食メニューにある、ソーセージマフィンのソーセージパテを挟んだもの」となる。こう説明すると、大抵の人が、「ああ、なんとなくわかった」と言ってくれる。なお、「そんなに不味そうには思えない」と言われることもある。実際私も、この二つを純粋に組み合わせただけでは、そこまでひどい味にならないのでは、という気がする。というのもあの時食べたものは、ビスケットがかなり油っこく、ソーセージパテはぎょっとなるぐらい香辛料が効いていて、日本で口にするものとはかなり味わいが違っていたのだ。思うに、日本のファーストフードは、日本人向けにかなり大人しい味になっているのだろう。
さて、ソーセージ・アンド・ビスケットという名称で、ぱっとイメージが浮かばない理由。これはきっと、日本人にとってソーセージとビスケットという単語から浮かべられるものが、極めて限定的なものになっているからだろう。こう言ってはなんだが、日本人にとってソーセージというのは、ウィンナーソーセージかフランクフルトソーセージのどちらかだと思われる。
ソーセージというのは、ひき肉に香辛料などを加え、それをケーシング(動物の腸などに詰めること)した後に、茹でたり塩水に漬けたり燻製にしたりしたものである。なので大きさがどうあれ、この作り方をしたものならソーセージだ。また、少しややこしいことに、アメリカの家庭で作られる「ホームメイド・ソーセージ」は、ケーシングをしない。おそらく手間隙の問題だと思われる。破れやすい腸にひき肉を詰めるというのは神経を使う作業だから、これを省きたいと思う人が出てくるのはある意味当然だろう。よって忙しい開拓地の主婦が、この手間を省き、単に丸めるだけのソーセージを作るようになったのも当然ではないだろうか(この辺りは私も正確な知識を持っているわけではないので、詳しい方がいればフォロー願いたい)マクドナルドのソーセージパテは、おそらくこのホームメイド・ソーセージからの派生と思われる。
一方のビスケットだが、ビスケットという言葉は、イギリスとアメリカで意味が違う。イギリスだとビスケットは「お菓子」だが、アメリカだと、ケンタッキーのビスケットのようなものを指す言葉となり、どちらかというと食事用である。日本人がビスケットやクッキーと呼び分けているものは、イギリスだと「ビスケット」で、アメリカだと「クッキー」なのだ。アメリカの「ビスケット」は、イギリスだと「スコーン」が一番近い。
日本人の感覚だと、「ビスケット」は、マリービスケットのようなハードで素朴な触感なもの、バター多めでとろけるような舌触りのものはサブレ、その中間がクッキーというイメージの人が多いように感じる(ちなみに、サブレはフランス語である。日本に来ると、どうも言葉というものは限定的になってしまうようだ)
アメリカの小説などを読んでいると、食事の時にビスケットを食べているシーンに度々出くわすが、上記の理由で、あれはお菓子のビスケットではなく、スコーン(というより、ケンタッキーのホットビスケットと言った方がわかりやすいだろうか)を食べているのである。また、ウォーカーさんの本によれば、ローラの時代では、バターと卵を入れたリッチな配合のパンのことも「ビスケット」と呼ばれていた。なので、時代によっては、こっちの可能性もあったりする。
なお、最近は翻訳する側にこの辺の認識が広まりつつあるようなので、訳す人によっては、「ビスケット」を「パン」や「スコーン」に置き換えて訳していることもある。
言葉の変遷というものは面白い。そして、異文化を伝えるということも面白い。