婚約者から解放された令嬢は今日もすがすがしい朝を迎える。〜婚約破棄ですか?承りました。でも良いのでしょうか。貴方は一人では何も出来ないのに〜
「婚約破棄ですか?――はい。……はい。承りました。では、私の荷物は今日中に片付けて、実家に戻らせていただきます。ですが、本当によろしいのですか?」
私がもう一度確認すると、婚約者のエーリッヒ様は面倒そうに答えた。
「くどい!ようやく父上のお許しがでたのだ。私はもっと早くに辛気臭いお前との婚約など、破棄したかったというのに!」
そこまで言われては、もう誰が何を言おうとこの婚約破棄は覆りそうもない。誰の気も変わらぬうちに、早々に実家に戻った方がいい。
「ではエーリッヒ様。長い間お世話になりました」
(”お世話になりました”は語弊があるわね)
言うなれば、”長い間お世話させていただきました”だ。
「早く去れ!二度と顔すら見たくない。私の生活圏内に現れるなよ」
あまりの言いように、こめかみが動くが、五年培った鉄面皮は簡単には剥がれない。
「ええ。そのように。では」
(録音具を切らなくてよかったわ)
アマーリアは部屋の扉を閉めると、小さくガッツポーズをして自室に戻った。
◇
アマーリアはオルトラン伯爵家の長女である。今日、この時までアルノルド公爵家の嫡男、エーリッヒと婚約関係にあった。
きっかけはエーリッヒのアマーリアへの一目惚れだ。嫡男の婚約者を探していたアルノルド公爵は、どこの派閥にも属していないオルトラン家の娘ならば問題ないと、そのまま婚約を進めてしまった。地方の小さな領地しか持たないオルトラン伯爵家に、公爵家からの申し出を断る術はなく、婚約が決まったと同時に、領地から王都のアルノルド公爵邸でアマーリアは暮らすことになった。
夜は公爵夫人になるための教育を受けながら、昼間はエーリッヒと共にアカデミーに通いつつ、彼の補佐をしていた。
エーリッヒは容姿端麗、頭脳明晰。アカデミーでも常に成績は上位で、学生ながらに公爵家の家業の手伝いや、領地経営に携わったりと、将来有望な公爵令息であった。――が、それは仮の姿である。容姿以外の彼の功績は全てアマーリアによるものだった。
アカデミーではアマーリアが代筆し、テストは教師陣に賄賂を贈り高得点をキープ。家業や領地経営に関しては、アマーリアの意見をそのまま父である公爵に伝えていた。
アマーリアはそれが苦ではなかった。なぜなら、それはアマーリア自身が望んだことだからである。
アマーリアがエーリッヒに見初められ、婚約が決まったのは十三歳になった年だった。当時、アマーリアには淡い恋心を抱いている青年がいた。
隣の領地の子爵令息。歳も十程離れており、アマーリアは彼を見つめているだけで十分だったが、自身の婚約が決まった途端、それが間違いだったと気付いた。見ているだけでは、嫌だ。一度しか会ったことのないエーリッヒではなく、自分の仕事に誇りを持ち、領民の生活を大切に思っている彼と結ばれたかった。彼を傍で支えていきたかった。子供ながらに強く思った。アルノルド公爵邸へ移る日にアマーリアは静かに泣いた。
それでも貴族の家に生まれたならば、伴侶は選べないことは理解している。アマーリアはエーリッヒに尽くそうと最初の一年は努力した。
しかしエーリッヒはアマーリアの努力をことごとく打ち砕く。自分より優秀では許せない。自分より先に歩いてはならない。自分以外に微笑んではならない。一年目でアマーリアは悟った。”この人には尽くせない”
――二年目。アマーリアはエーリッヒに嫌われるよう仕向けた。一目惚れされたのが原因ならば、嫌われればこの婚約を解消することが出来るのではと考えたからだ。じっくり観察し、エーリッヒに嫌悪感を抱かせるよう振舞った。
エーリッヒは自分に愛想を振りまく女の子が好きだ。確かに初対面の時は微笑みかけたかもしれない。さらに自分のことを立てる人が好きらしい。アマーリアは次第に無表情になり、エーリッヒより先に意見を出したり、良い成績を取るようにした。そしてそれは容易なことだった。
――三年目。エーリッヒには見事に嫌われることに成功した。だが婚約の解消となると、そう簡単な事ではなかったようだ。アルノルド公爵家は優秀なアマーリアを手放そうとしなかったし、なにより貴族にとって婚姻の破棄は醜聞になる。『やっぱり嫌いになりました』で、婚約破棄は出来ないそうだ。作戦を考え直す必要があった。
今のエーリッヒに発言権はない。学力も弱く、家業も領地経営も分からない。学生なので当然ではあるが、エーリッヒの意見を尊重させるよう、公爵家内で彼を認めさせれば良いのでは、と思い至った。
それからアマーリアは自分の功績を全てエーリッヒに譲った。貰えるものは貰っておく精神のエーリッヒである。アカデミーと、邸宅内でのアマーリアの過剰な献身を、抵抗なく受け入れた。
朝はミントティーを淹れ、早い時間に起こす。朝食の場で、公爵に家業での新たな事業を提案する意見を、おだててなんとか暗記させたり、身だしなみにも気を使い、流行に沿った洗練したものを毎朝用意した。アカデミーでの課題は全て代筆し、たまにある社交でも、挨拶するべき重要人物を耳元で囁き誘導した。
好意だけは持たれないように、鉄面皮を徹底し、エーリッヒの前ではにこりとも笑わなかった。
――そうこうして四年目。エーリッヒに新たな想い人が出来た。ミーナ・カナート男爵令嬢。アカデミーでの成績は中の下だが、常に笑顔で、何をしても『すご~い!』と喜ぶ姿を見せてくれる、エーリッヒの好きそうな令嬢である。このチャンスを逃してはならない。
しかしアマーリアが特別何かをせずとも、ことは思う様に進んだ。エーリッヒは再々公爵にアマーリアとの婚約を破棄するよう進言し、公爵もエーリッヒの意見を真剣に検討し始めた。今ではアルノルド公爵家の事業をいくつか任されるようになったエーリッヒの発言が、無視されることはない。
そして――今日。アカデミーを首席で卒業したエーリッヒは、父であるアルノルド公爵に婚約破棄の許可をもらって来たのだった。
「――長かったわ……」
すぐに荷物をまとめ、公爵邸の門の前に立ち、アマーリアは呟いた。執事に婚約破棄の証書は貰って来たし、先ほど吐かれた暴言と、これまでに言われた暴言を録音した魔道具も持っている。今後、エーリッヒの仮の姿が剝がれても、この婚約が元に戻ることはないだろう。
公爵家の嫡男との婚約が破棄になったことにより、アマーリアが負う責は小さなものだ。おそらく有力な家門との婚姻は望めないだろうが、それは元々望んでいなかったから問題はない。むしろ嫁げずともいいのだ。オルトラン伯爵家は弟が継ぐし、公爵家で培った知識で伯爵領を豊かに出来る。嫁がずに、領地の隅で暮らしながら弟の補佐ができたらいい。
◇
馬車で七日かけて、オルトラン伯爵領に戻って来た。
領地の門を通ると、弟が両手を広げて待っていた。
「姉さん!」
「まあ!リュシアン?大きくなったのね」
五年ぶりに会う弟はアマーリアの背をとうに越えていた。
「手紙を貰って今か今かと待ち望んでいたよ。父上と母上もお待ちだ。早く家に帰ろう」
「おかえりなさい。アマーリア嬢」
ふいに声をかけられ、振り向きアマーリアは絶句した。
「え……!」
立ちすくむアマーリアにリュシアンが言った。
「あれ?覚えてない?エドセンだよ。昔よく遊んだじゃない」
覚えていないはずがない。五年前、彼を思ってどれだけ泣いたことか。
「あ、う、どうしてここに?」
恋心はとうに閉まったはずなのに。いきなりのことで取り繕うことが出来ない。
姉の態度に触れずに、リュシアンは説明してくれた。
「エドセンは今も変わらず、うちによく来てくれるよ」
そしてアマーリアだけに聞こえるように耳打ちをした。
「あと、エドセンはまだ独り身だよ」
「リュシアン!」
真っ赤な顔をしてアマーリアはリュシアンに拳を振り上げた。リュシアンが笑いながら躱す。
「あはは。元気そうで安心したよ。ずっと心配してたんだ」
僻地の領地ながらも、王都での噂は入って来ていたようで、『婚約者に冷遇される伯爵令嬢』の噂を聞き、心配が尽きなかったらしい。同時に『その伯爵令嬢の鉄面皮』も話題にあったそうで、これには伯爵領の皆が首を傾げていたそうだ。
伯爵邸に帰ると、両親が抱きしめてくれた。邸内の使用人も集まり、アマーリアが戻ったことを喜んだ。
夜はささやかな『アマーリア、おかえりなさいパーティー』を催し、家族と共に笑い合いながら夕食を食べた。
「幸せ……」
ベッドに入り、アマーリアは呟く。公爵邸の自室の半分にも満たない部屋。戻ってこれたのだ。
明日の朝、アマーリアは清々しい朝を迎えられるだろう。もうエーリッヒを無理に起こしに行かずともいいのだ。
アマーリアが去り、朝食時間になっても息子が起きてこなくても、事業の意見交換で息子が一言も発さなくても、息子が任された事業を何一つ理解していなくても、アマーリアには関係ないのだから。
読んでいただきありがとうございます!
アマーリアはこれから領地でゆっくり過ごします。




