第26話 目標達成
私は急いで家に帰り、遅い時間にも関わらず、和室で茶道のお手前を一人でしていた。
河内さんはそんな私の姿をじっと見ている。
今日は何も聞かれない。
一つ一つの動作に集中し、余計なことを考えず、自分の心を整える。
立てた茶を自分で飲んで、一息ついた。
「落ち着いたか?」
「はい。ご心配おかけして申し訳ありません」
何かあったのなんて丸わかりだ。
何も問い詰めないでいてくれてるのがありがたかった。
河内さんは優しく抱きしめてくれた。
「不安にさせてごめんなさい」
「……無理するなよ」
無理して続ける必要はない。
転職すればいいだけ。
でも私は逃げたくなかった。
私自身でこのことを解決したかった。
転職してまた同じようなことがあるかもしれない。
なら、これは試練なんだ。
私が何があってもこの人との関係を守り抜く。
河内さんの腕の中でその日は眠った。
* * *
次の日の朝、母から連絡があった。
「お母さんどうしたの?」
「突然だけど、次の週末、お父さんと一緒にそっちに行くから」
なぜ?
「何かあったの?」
「河内さんに会いたいの」
え!?
「会ってどうするの……?」
「お話ししたいことがあるの」
なんだろう……。
「わかった。予定空いてるか聞いてみるよ」
その後電話を切って、既に出社している河内さんにメッセージを送って相談した。
そしたらすぐに「わかった」と返信があった。
そして私も会社に行った。
オフィスに着くと秋月さんは体調が戻っているように感じた。
何事もなかったかのようにお互い仕事をしていた。
業務が終了して、エレベーターを降りようとした時、ふと秋月さんの声が聞こえた。
誰もいない打ち合わせスペースに、秋月さんと女性社員がいた。
「秋月さんのことが好きです」
突然出てきた言葉にびっくりした。
こんなところで告白するなんて……。
でも彼女は真剣だ。
何を考えているのか読めない秋月さんの表情。
「ごめん。好きな人いるから応えられない」
好きな人って……。
胸がざわつく。
その女性社員はすぐに立ち去った。
私もそっとその場を離れようとした、その時——
「見えてたよ。藤田さん」
後ろから声をかけられた。
最悪だ……。
「すみません、声が聞こえて気になって」
ゆっくりと秋月さんが近づいてきた。
「私もう帰ります。失礼しました!」
私が立ち去ろうとすると——
「俺の気持ちわかってるよね」
秋月さんの言葉に体が動けなくなった。
「別に付き合ってほしいとか、そんなんじゃない。でも……」
私の目の前まできた秋月さんの瞳に憂いが見える。
「ただ知っていてほしかった」
そのまま秋月さんは行ってしまった。
その背中はどこか寂しげだった。
◇
週末、駅で両親と待ち合わせしていた。
私は河内さんと両親を待っていた。
すると、見覚えがある二人の姿が見えてきた。
数年ぶりに見た両親は、時の流れを感じさせる姿に見えた。
「河内さん、本日はありがとうございます」
両親は河内さんに深々と頭を下げた。
「初めまして、河内です。近々こちらから優美さんを連れてお会いしようと思ってました」
両親がキョトンとしている。
両親には、あの職場を辞めたことも北海道に行ったことも、河内さんと暮らしていることも何一つ言ってなかった。
「河内さん、一緒に行くってどういうことですか?」
私はコソコソ聞いた。
「そのままの意味だ」
その後、両親を含めレストランに行った。
見晴らしのいいレストランで、河内さんが予約した場所だった。
「お父さん、お母さん、話って何?」
両親は顔を見合わせて頷いた。
「残りの借金のお金、全部揃ったんだよ」
それを聞いた瞬間、頭が真っ白になった。
それを返すために私は何年もの間、ただただ仕事をこなしていた。
父の会社が倒産したから、私が頑張らないとって。
いつの間に……?
「今度、残債を全額振り込ませて頂きます。本当にありがとうございました」
深々と河内さんに頭を下げる両親。
「いえ、逆にその借金に救われました」
また両親はキョトンとしている。
確かに突然言われたら意味がわからない。
「あの……優美と河内さんはどういうご関係で……?」
お母さんが尋ねた。
私が何か言おうとした時、河内さんが遮った。
「僕は優美さんと結婚したいと思ってます」
私も両親もびっくりして固まった。
目的を果たした河内さんの顔は生き生きとしている。
私、まだ返事をしていないのに。
「そんな……優美は頑張るしか取り柄がない子で……」
お母さんが動揺して口走る。
私もそう思ってるけど。
「そういうところに惹かれました」
河内さんの瞳はとても優しい。
「優美、今も河内さんの部下なのか?」
お父さんが小声で聞いてくる。
「えっと……」
「ちゃんとお伝えしてませんでしたが、僕は会社の代表取締役です」
また両親が唖然としている。
「あの……上司じゃなくて、あの時河内さんは副社長だったの。びっくりすると思って言えなかったの」
「そうなんですか……」
父はたじろいでいる。
「私たちは優美に散々苦労をかけたので、もう自由にさせたいと思ってます。
優美が河内さんと一緒になりたいなら、ただ見守ります」
「優美は河内さんにお返事したの?」
お母さんが聞く。
「実はまだ……」
「僕は待つので、大丈夫です」
河内さんの目は真っ直ぐだった。
その後、両親は河内さんにまた頭を下げた。
「優美を宜しくお願いします」
「はい、幸せにします。絶対に」
外堀は埋められてしまった。
私は突然の展開に頭がついていけなかった。
借金完済、正式に両親の前でプロポーズ。
もう意地を張る理由もなくなった。
車の中で上機嫌な河内さんは私に尋ねる。
「優美の目標と、俺の目標が同時に達成できた日だ」
「はい……借金がやっと返せました……」
車は人気がない場所に停められた。
「で、返事は?」
ここまで外堀を埋められて、返事も何も!
でも——
「はい、河内さんと結婚します」
やっと、なんの後ろめたさもなく、言えた言葉だった。




