第24話 経験者の言葉
謎の言葉を残して秋月さんが去って、私は放心状態だった。
その時、河内さんから着信があった。
「……はい」
「着いたけど、どこにいる?」
「あ!すみません!ぼーっとしてまして……今行きます!」
私は急いで河内さんの車の方に行った。
車の窓から心配そうな顔が見える。
急いで助手席に座った。
「どうした?」
「……ちょっと疲れてしまって」
河内さんは少し不安そうな顔をしたまま運転をしていた。
『恋愛って、結婚する前が一番幸せだと思うよ』
その言葉が頭の中をぐるぐる回る。
私がちょうど河内さんのプロポーズを真剣に考えているタイミングで、そんなことを言われるとまた迷いが生じてしまう。
そして私がラウンジで働いていたことを知っている。
油断できない。
都会の夜景を見ながらぼんやり考えていた。
家に着くと、河内さんが私の方を見た。
「何があった」
流石察しがいい。
言わない方がいいと思っていたけど、秘密にするのもあとで問題になるような気もするから言ってしまおう。
「実は……」
私は河内さんに今日のことを話した。
「危険すぎるだろその男……」
河内さんは複雑な表情をして頭を悩ませている。
「本音を言うと今すぐ辞めてほしい」
「あまり気にしないようにします。なるべく仕事以外で関わりません」
「向こうが関わろうとしたらどうするんだよ」
何も言えなかった。
あの人は上司……。
「また困ったことがあったら相談します!」
河内さんは不満そうだ。
「しっかり線引きしろよ……自分で。お前が選んだ道だ」
「はい!」
私はこれ以上余計なことを言われないように、毅然とした態度で仕事をしようと心に決めた。
* * *
次の朝、デスクについた時にふと秋月さんと目が合ったが、私はすぐにそれを逸らし、黙々と仕事をこなした。
昼休憩の時、同じ部署の女性社員たちと一緒にご飯を食べていた。
「あ、秋月さん離婚したらしいよ」
え?
「え〜なんで知ってるんですか〜?」
「噂で回ってきたの」
離婚……やっぱりあの言葉はそういう意味だったのか。
『結婚する前が一番幸せ』って、経験者の言葉だったんだ……。
「今彼女とかいるのかな〜」
「狙ってる子結構いるよね」
モテるんだな……。
「藤田さんはどう思う?秋月さんのこと」
「え…と、まだ入社してそこまで経ってないのでよくわかりません」
「何か情報あったら教えてね!」
「はい…」
とりあえず話を合わせておいた。
噂はあっという間に広まるから怖い。
あの職場にいた時のようにはなりたくない。
* * *
その日は早く仕事が終わったから、急いで帰ろうとした。
その時、エレベーターで秋月さんと一緒になってしまった。
「藤田さんお疲れ様」
「お疲れ様です」
気まずい沈黙が流れる。
一階について二人でビルを出た。
「藤田さんはどの方面?」
「えーと、あっちの駅です」
私は自分の向かう駅の方向を指差した。
「俺もそっちだから一緒に行こう」
これを断るのはなかなか難しい。
明らかに避けている風に思われる。
ただ駅に向かうだけなら……。
「はい」
私は秋月さんと駅に向かって歩き出した。
◇
特に何も話さず、秋月さんと駅までただ歩いていた。
話すとまた詮索されるのも嫌だし、これくらいの距離感の方がいい。
「……昨日は余計なことを話してしまってごめん」
秋月さんが呟いた。
「あまり気にしてないので大丈夫です」
謝られると思ってなくて驚いた。
「俺がこれから言うことは独り言だと思って聞き流してもらっていい」
秋月さんは少し俯きながら歩いている。
「俺は……遠距離恋愛をずっと続けていた彼女とずっと一緒にいたくて結婚したんだ。でも、一緒に住んで毎日一緒にいるのに、お互い仕事ですれ違ってばかりで、それでぶつかり合ってるうちに、会話もしなくなった」
こんなプライベートな話をなんで私にしてくるんだろう。
「三年前にあの店に行ったのは、もう彼女との関係に疲れて自暴自棄になってたからなんだよ」
雨がポツポツ降り出した。
だんだんと強くなって近くの建物の軒下に二人で避難した。
「通り雨かな」
雨で少し髪が濡れた秋月さんは儚げだった。
「君があの時接客してくれてさ。お酒飲めないのにあの仕事して、雰囲気的にそういう店で働くタイプにも見えなかったから、ずっと忘れられなかった」
秋月さんと目があった。
「無理して頑張ってる君を見て、俺ももうちょっと頑張ってみようと思えたんだよ」
河内さんと同じことを言ってきて動揺した。
「お力になれたのなら幸いです」
秋月さんは少し笑った。
「頑なだね。もっと打ち解けられたらいいんだけど」
「恋人がいるので……」
「もしかして彼氏さん、束縛が激しいタイプ?」
図星だ。
「藤田さんしっかりしてそうだけど、健気なんだよね。見てて」
よくわからない。でも——
「私は仕事以外であなたとこれ以上関わるつもりはないです」
引っ張られちゃだめだ。
「ごめん。また余計なこと言ったね。嫌な思いさせてごめん」
秋月さんは軒下から出た。
「じゃあ俺は先に帰るね」
足早に行ってしまった。
あの人はきっと、これ以上足を踏み込むと抜け出せなくなるタイプだ。
私なんかは特に。
これ以上プライベートで関わりたくないけど、知りたいと思ってしまった自分にブレーキをかけた。
そのまま雨が落ち着いてから、私も帰った。
あの儚げな表情が頭から離れなかった。




