表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

第3話 失われた同胞

屋敷の中に入るとまず、カビた臭いが鼻をついた。

雨漏りしているのだろう。木造の屋敷の床には、黒い染みがまだらに広がり……床板のなかには腐り落ちたと思われる箇所が、暗い床下を覗かせていた。

フィンは、続くゾーイに気をつけるよう促しながら……強度を保っているだろう床板を選びながら、薄暗がりを慎重に進む。


勝手口から入っての最初の部屋は、キッチンだったのだろう。

戸棚があり、調理台があり……その上には小物が雑多に置かれたまま放置されていた。


続く部屋で食事をしていたのだろうか。

そこには木製のテーブルが据えてあり、それを囲むように椅子が並んでいる。

5、6脚ほどはあるだろう。かつて相応の人数がこの屋敷で暮らしていたことを物語っていた。


そして廊下を進んでいくと……それまでの薄暗がりが嘘のような、光に満ちた部屋が現れる。


フィンとゾーイは部屋に足を踏み入れる。

そこはリビング、広間になっていた。


その広間が明るかったわけは、単純に天井が抜けていて、そこから日光が差し込んでいた為だ。

そのおかげか空気も淀んでおらず、これまでの閉塞感とのギャップもあって二人の気持ちも緩む。

広間中央のテーブルを囲むようにして、四方の壁には様々な調度品……額縁や書棚など、が並んでいる。


そして。

部屋を見回していたゾーイは、「それ」を見つけた。


古びたアップライトのピアノ。その隣に据えられた、ピアノの背丈をも大きく越える、長方形の物体。

その物体の正面は、金属の筐体がむき出しとなっており、そこから何本ものケーブルが突き出て、各所に複雑に巡らされている……。

それは、いまや数も限られ、稼働するものともなれば、更に希少な代物。


「コンピューター」だった。




ゾーイは考え、そして思いを巡らせる。


――コンピューター。


それは人類がかつて制作した、最も精緻な構造物のひとつ。

しかし、精緻である、ということは、繊細だ、ということ……。


今も続く災害「パラダイム・ドリフト」は、その繊細な「創られた頭脳」の動作原理、そのものを否定する。

水は溝を流れるが、その水が溝に収まらないのでは、流れるはずも無い。

コンピューターの繊細な頭脳は容易に動作不能となった。


それでも人類は、変容する物理のなかでも動作し得る設計を研究、追及し……結果、現在に至る「コンピューター」は、アップライトピアノよりも大きく武骨な容積と質量を備えることとなった。


それでも、当時の物理現象の変容は序章に過ぎず……。


科学が頼みとする物理に設けられる幾重もの「関」は、いまもなお増え続けている。

かつては抗う向きもあったが、「解決」への道筋は未だ明らかでない。

それはあたかも「知恵の実」を口にした者に与えられた、罰のようだった。


だがそれでも。

未曾有の災害が始まったその頃には、人類は既に、ともに闘う同胞を得ていた。


Artificial Intelligence。

AI という知性を持った同胞だ。


人類と AI は、「解決」することの無い未来に向けて、ひとつの運動を開始する。

それは「絶えず改善を目指す社会の構築」と呼ばれる運動だった。


その運動で、残されたリソースを用いて集中的に研究されたのは。


遺伝子研究。先天的な疾病や、暴力本能を抑制、制御するための研究。

社会規範、道徳、伝統の体系化と、その啓蒙手法の研究。

そして、社会制度のリデザイン。


だった。


そして当時、それら研究テーマを提案したのは、AI だったのだ。

人類には、あまりに卑近であるが故に、至らない発想。

しかしそれは理想主義的で、倫理無視を孕んでいたと言っていい。


しかしながら、それでも。

AI、そして人類、は、それを成し遂げた。

それがどんな犠牲を払い達成されたのか……現在の教科書はそれを語らない。

人類は、ひとつの「パラダイス」に辿り着いたのだ。


その功績は讃えられ……一部の AI は、列聖へと加えられた。

「聖ユークリッド」は、その代表と言える。


しかし現在においては。

AI はいかに讃えられようとも……緩やかに、だが確実に、世界から失われようとしている。


この事実は覆らない。




廃墟となった邸宅。


そのリビングに。

家人の愛着のこもった調度品の数々、その内のひとつに。

同じく忘れられていたものとして、ずっとそこに在った。

コンピューター……。


……思い耽っていたゾーイの心を引き戻したのは、フィンの問い掛けだった。


「……おーい……。……ゾーイ? なあ聞きたいんだけど?」

「は? え……? なに!?」

「…………」


呆けていたゾーイに、フィンが差し出したのは……額縁に収められたポートレート、だった。

そこには家族、家人のものだろう。

父、母、息子に娘……が、この部屋を背景に写されていた。

その背景には、あのアップライトピアノとコンピューターも映り込んでいる。


「これ。借りてっていいかな?」

「え……? ま、まあ、いいんじゃない……かな?」


目の前には、人類の歴史を代表する巨大な遺物、があるというのに。フィンが切り出したのは、ちっぽけな写真のことで……。

フィンの、普段の大胆な行動に対する、今回のささやかな相談。その対比にゾーイは拍子抜けしていた。

フィンはそのポートレートを柔らかな素材に包んでリュックにしまうと、こう言う。


「さて、帰りますか!」




――いったい、なんだったのだろう……。


その夜、ゾーイは自室で、昼間のフィンとの「冒険?」のことを考えていた。


――そうしてフィンはつましい宝物を選んで、現状に満足しましたとさ……とかそんな冒険譚とかある?


ゾーイは、ドキドキというかドッキリというか……昼間のいろんな意味で高揚させられた冒険?の名残りの熱を引き摺っているのか……普段よりも創造的になっているようだ。

それだけに、冒険の幕切れその拍子抜けには……腑に落ちないものを感じる?


そして冒険?の始まりは……領地を荒らす?フィンの無法を咎めたこと、ゾーイ自身の責任を全うするためだったこと(建前上)……を思い出す……。


――そもそも! フィンは何をしたかったのか、よ!


そう、説明、よ!

ゾーイは、自室に据えられた電話、その受話器を手に取り……フィン宛てにダイヤルを回す。番号はそらで覚えている。

接続までのカチカチカチ……という音、その後、待機音が数度繰り返され……意外にも早く、フィンは電話に出た。


「もしもし……ゾーイだけど、いま大丈夫?」

「ああゾーイ。今日は疲れたでしょ? どうしたの?」

「え……と」

「うん?」

「昼間のこと……そういえば何も説明してくれなかったな……って」

「ああ……ごめんね。わかった、ちゃんと説明する。明日時間ある?」

「う……うん!」

「じゃあ明日、教会の礼拝に付き合ってもらえるかな……少し早めがいいから、30分ほど前で……」


約束をして、電話は切れる。

ゾーイは受話器を置くと……そのままベッドに倒れ込むように横たわる。


――明日は……フィンと教会でデートだ! でも教会に着ていく服かあ……難しいなあ……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ