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肝試しに行ったら幽霊が接客業だった件(短編)

作者: むらら

 八月の夜は、空気が水っぽい。林道の終点でハッチバックが止まると、森はすぐに静寂の定位置へ戻った。月は湿った硬貨、舗装は終わり、土の匂いが濃い。

 看板は半分朽ちても筆の勢いは生きている。「白骨荘」。その下に、まだ若い赤で「本日営業中(霊)」。


「(霊)ってトッピング表記か?」佐藤悠真が思わず口に出す。理屈で怖さを薄めるのが彼の癖だ。

「替え霊一枚って食券ある?」日暮リュウジは笑いのために酸素を浪費する。

「朝食“塩”って普通に出そう」橘カナは眉ひとつ動かさず毒を落とす。

「帰ろう……俺、霊感にR指定かかってるから視聴年齢足りない」山城タクはドアにしがみつく。泣きそうだが、どの霊にも礼を言えそうな優しさを持つ。


 悠真がスマホのライトを向ける。色の抜けた提灯が、ぼ、と灯る。風鈴がちりん。風は吹いていない。障子がすうっと開く。

 浴衣の女が立つ。白粉は霜の質感、目は真白、口角だけプロの角度。


「いらっしゃいませぇぇぇ〜。“肝試しで後悔コース”四名様ですね」鈴の舌を含んだような声。

「予約サイトは地獄トラベル?」悠真。

「ご安心ください。当館は“来る前から来ることになっている”システムでございます」女将は白目で微笑み、番傘をひと弾き。閉じた傘が勝手に開く。

「階段が崩れておりますので、天井をご利用ください」


「天井?」

 見上げると、逆さ天井に黒い足跡が四人分。汗の蒸気まで想像できる生々しさ。

「初回特典“重力免除”つきでございます。何も考えず、一歩どうぞ」


「“何も考えず”が一番難しい指示なんだが」悠真が呻く。

「やってみよ。失敗しても“お客様は宙様です”って書いてある」リュウジは一歩目を踏む。靴底がペタリと天井に貼り付いた。

「お、やみつき。闇だけに」

「語呂、地獄」カナは即切りしつつ自分も二歩目。

 タクは半泣きで袖を掴む。「落ちたら死ぬ?」

「落ちなくても環境が死んでる」カナは真顔で慰めない。

 四人は蜘蛛みたいに逆さ廊下へ。ワックスがけの甘い匂い、畳の青が夜の青に混ざり、綺麗だ。怖いけど、綺麗だ。ユーモア一滴で恐怖は飲みやすくなる。


 壁に古い白黒写真が並ぶ。繁忙期の大広間、雪の玄関、番傘を持つ若い男。墨のキャプション。

 〈見送り係・尚哉 安全運転(時速0〜60霊)〉

「単位の自作をやめろ」悠真。写真の縁だけ艶が新しく、誰かが最近指で拭った“痕跡”。女将がその写真へ、白目で会釈をした。矛盾で笑わせ、礼で背筋を冷やす。


 案内された四畳半は、低い机、余白の広い掛け軸、掃き跡が銀の糸で畳にまっすぐ走る。机には和紙のプラン表と木札の規約。

 プラン表は素っ気ない。

 〈素泊まり(供養つき)/二食つき(夕:精進落ち御膳・朝:塩)/体験“掃除機に取り憑こう!”(※心臓に優しくありません)〉

「朝:塩は、潔さの暴力」カナ。

「供養つき素泊まりは、もはや素泊まれてない」悠真。


 規約は五行。

 〈安全第一、生者優先。過度の叫び声は禁止(成仏待ちの方の迷惑です)。呼び鈴“りん”は二回まで(三回目で“何か”も来ます)。忘れ物は“笑い”に限りお預かり。チェックアウト後は“見送り係”が送迎します〉

「“何か”の平仮名、逆に怖い」リュウジ。

「役職“見送り係”を明記する親切よ」カナ。


 襖は開いていないのに女将がふわりと入る。空気が一度だけ低くなる。

「当館の三大サービス。風呂は勝手に湧きます。料理は勝手に冷えます。布団は勝手に動きます」

 押し入れがガラリ。掛け布団がスタタタと走り出て、四人の足元を丁寧に雑巾がけし、最後にぺこりと礼をして戻る。

「布団、人格者」悠真。

「労基“霊”監督署の巡回、月一です」女将は即答。嘘のリズムがいい。


「体験プログラムも」手書きの小冊子「おもてなし研修 初級」。隅に小さく〈合格で拍手/失敗で拍手(大)〉。

 課題は三つ。〈掃除機に取り憑き直線走行/冷蔵庫を開閉しながら丁寧にクレーム/窓口(窓の口)で笑顔練習〉

「“窓の口”で噛ませに来るな」悠真。

「やる。履歴書に“特技:家電に優しい”って書く」リュウジは掃除機にまたがる。スイッチは入れてないのに掃除機がふわりと浮く。

「コツは、吸うより“吸われる気持ちで”」女将は白目で名言を落とす。

「精神論!?」悠真が叫ぶ間に掃除機は直線暴走、壁ギリギリで静止。天井から半透明の拍手がぱちぱち降る。物理拍手。

 厨房では冷蔵庫が自動で開閉し、そのたび低音で「節電の時世にすみません……でも井戸酢は冷やしたく……」。

「冷蔵庫がけなげ」タクがちょっと笑えるようになっていることに、悠真は安堵する。

 窓の口は、木片の“歯”が風にあわせてパクパク。「照れますね」と蚊の鳴くような声。

「窓に照れられる人生、悪くない」悠真。

「統計的にも悪くない」カナ。二人の会話が冷気の角を丸くする。


 大浴場の檜は甘い。湯面がふくらみ、泡が「いらっしゃいませ」「肩まで」「ごゆっくり」。

「炭酸泉(会話つき)」カナの眉が微動。

 ぬる湯は肌を一枚増やしてくれる。底から木桶が四つ浮く。墨の運筆は達者で、悠真の桶の底には小さなハート。

「ラブレターの新様式、不要」悠真。

「底に“要・返却(命)”って彫ってある」カナがのぞく。

「デポジットは金でやれ」悠真。


 鏡が曇り、文字が浮く。〈ドライヤー:冷風/生暖かい風/黄泉の風〉

「黄泉の風は魂色が変わるやつ」カナ。

 “冷風”を選ぶと見えない手が髪を正確に持ち上げ整える。タクが鏡へ投げキッスすると、鏡の中から二倍返し。

「鏡面反射の愛、強い」リュウジ。

 鏡は小さく〈愛:過剰/命:適量〉と出してすぐ消した。クラウド採点が迅速だ。


 夕食の大広間。柱の艶はランプをやわらかく返し、畳の目が波に見える。膳はスイー、スイーと自動配置。動力は怨念、仕事は誠実。

 前菜は透明な寒天に琥珀の影。「“無念の盛り合わせ”でございます。こぼした麦茶への後悔をゼリー寄せに。言いそびれた告白と期限切れのポイントを、さっぱりと」

「ポイントもゼリーになる令和」悠真。ひやり甘い。後悔は味覚にすると優しい。

 “お造り(未遂)”は包丁と切られていない魚。「※切る勇気は当館にはありません」。不器用な優しさに四人は頷く。

 メインはこんにゃく。表面に「やめて」。

「罪の味。低カロリーで罪軽い」カナは冷静に二切れ目。

 酢の物「井戸酢」は名前で酸っぱいのに、味は妙に爽やか。

「この山奥で材料、どうやって?」タク。

「ありがたいことに、お客様のお土産が多くて」女将の笑顔は満点、怖さは微増。

「お土産?」

「忘れ物、とも言いますが」

 忘れ物は物だけじゃない。時間、笑い、約束——ここはそれらを預かり、形を変えて返す。悠真は自分の“説明”で背中を温める。


 デザートは「わら人形プリン」。藁の手が小さく拳を作り、カラメルがとろり。

「呪い、甘口」リュウジ。

「“恨みは糖化します”の新説やめろ」カナ。天丼の安定感。


 灯りが落ち、青い火の玉がぷかり。温度が一段下がる。女将が白目のまま背筋を伸ばし、なぜか“目が合う”。

「それでは一席。『お客様の後ろにいるのは“誰”でしょう』」

 王道の怪談。迷った旅人、完璧なもてなし、白目の女将。翌朝、旅人は“魂を二つ”置いていく。

 オチ直前、女将が悠真の背後へ会釈。

 悠真は振り向かない。物語に食べられる感じがした。

 タクは振り向く。「い、今の俺、俺より俺らしかった……」

「自己ベストの亡霊、更新おめでとう」リュウジ。

「怖さ適量、笑い過多。優秀」カナ。

 宿は怖さの分量を計測して供給している——悠真の推理は喉をすっと通る。


 天井からコトン。逆さ女将が半身だけ降り、お盆を差し出す。「お夜食“塩むすび(盛)”でございます」

 空中に透明のペンが走る。〈笑い:良/恐怖:微/塩:過多〉。

「クラウドレビューやめろ」カナ。

「塩、控えめで」「承知しました。“控えめ盛”で」山は縮んだが、山の形式は守られた。頑固な地形。


 部屋に戻ると布団は既に敷かれ、人型にふくらみ「どうぞ」と布端で招く。悠真が入ると、ふくらみは席を譲って萎む。布団、人格者(再)。

 灯りを落とす。遠いミンミンゼミ、近くでミィィィィン……粘る音が耳奥を撫でる。呼び鈴がチリリ。

「失礼いたします。就寝前の“生き霊チェック”です」襖の向こうから女将。温度の帯が胸を撫で、ぽす、と小さな重み。半透明の三毛猫が丸まる。

「当館の看板猫、ミケ造でございます」

「連れて帰りたい」リュウジ。

「魂の首輪をご用意できます」女将。

「厳ついペットショップだな」カナ。

 猫は風になってほどけ、天井の隅では“笑顔だけ”が遅れてほどける。客の影。ほんのり怖い。ここで止める宿の塩加減。


 ——ボボボッ。押し入れから布団の渦が噴き上がる。「おやすみなさいませぇぇぇ!」優しさの暴力に巻かれ、四人は笑いながら眠った。


 朝。窓の外は乳白の雲海、稜線に光。布団は正座している。骨格のない正座。礼儀だけが実体化。

 朝食の盆には小さな塩。メモ〈本日の塩“海の記憶”。思い出しながらお召し上がりください〉。

 カナがひとつまみ。「小学生の夏。膝に海水が沁みた味」

 タクは涙。「初恋……浴衣……りんご飴……うまい……」

 リュウジは山盛りへ行こうとして女将にスプーンを没収され、空中に〈塩:適量/命:大事〉が走る。教育的指導フォント。


 帳場には古い帳面と木製カードリーダー。木目がぬめっと光り、磨きの結果だと自分に言い聞かせる。

「お会計。“肝試しで後悔コース”四名様。合計、魂二つと現金でお願いしますね」女将は白目で笑うのに“目が合う”。

「魂って分割できます?」悠真。

「はい、ハーフカット対応。おひとり様、片魂まで」

「片魂を単位にするな」カナ。

 タクが交通系IC。「魂チャージ、できます?」——ピッ。〈冥 0→0〉。

「無の表示、潔い」リュウジ。

「現金多めで魂なしで」カナ。

「承りました。では“口コミ☆5”と“友人紹介(魂半額クーポン)”をお付けしますね」

「魂にクーポンつけるな」悠真のツッコミは今日一番のキレ。女将は深く礼。

「またのご来霊、心よりお待ちしております」


 玄関へ向かう廊下で、女将は写真の前にまた会釈する。今度は笑みがわずかに深い。

 外はノイズのない青、蝉は規則正しく鳴き、道路は乾いている。四人は車に乗り込んだ。

 バックミラーを直す悠真の指が空中で止まる。後部座席に浴衣の若い男——昨夜の“見送り係・尚哉”が座っている。ミラーにしか映らない。

「チェックアウト後の送迎は、こちらで」声は穏やかで、人の体温に近い。


「バック時は振り返らずミラーで。ぼく、ミラーにしか映らないので」

「教本にケンカ売るな」カナ。

「霊的ドライブレコーダー、起動」リュウジ。

 尚哉は嬉しそうに最低限より少し多く話す。「左、崖。右、木霊。対向車はございません。生者優先」

 ブレーキはいつもより早く“戻ってくる”。尚哉が触っていないのに“踏ませる”。

「ぼくは踏ませる装置です。“踏んだ気にさせる”のが仕事。ほんとうに偉いのは、お客様の足」

「言い方で泣かせに来ないでくれ」悠真。

「泣いても大丈夫。車は前を向いている。生者優先」決め台詞の天丼が、お守りに変わる。


 ラジオが勝手に入る。低い合唱。

「♪ご安全に〜ご安全に〜今日も命を持ち帰れ〜」

「作詞:成仏待ちの皆様、作曲:井戸」尚哉の事務報告。

「作曲:穴」カナの短刀。タクは小声で一緒に歌っている。車内の空気が一段軽くなる。


 最初のカーブ手前で尚哉が一言。「速度を、少しだけ落として」

 直後、鹿が飛び出し、ヘッドライトに白い体毛を光らせて森へ消えた。

「本物のナビじゃん」悠真。

「ありがとうございます! ありがとうございます!!」タクは二礼。

 尚哉はミラーの中で、一瞬だけ寂しそうに笑った。「“帰りたくない”って言ったお客様に、『またね』って言いました。そしたら、本当に戻ってきてくれて。“塩、うまい”って」

「塩は、うまい」カナ。

「俺、泣く準備完了」タク。

「準備の申告いらん」リュウジ。笑いが戻り、ハンドルの汗が乾く。


 コンビニの白線にすっと車体が吸い込まれる。

「霊的白線合わせ、得意です」尚哉は身振りだけで誘導。

「美」悠真。

 リュウジは見えないカメラへ親指を立てる。「スポンサーは井戸です」

「穴に提携させるな」悠真。

 タクは躊躇いがちに尋ねる。「霊って、肉まん食べる?」

「お気持ちだけで。代わりに、これを」尚哉が指で空を弾くと、和紙がシフトの横に現れた。

〈お忘れ物:笑い〉〈笑いは重ねるほどお守りになります〉

 墨が静かに乾くのを、四人は見守る。演出は静かで、笑いを邪魔しない。


 街が近づき、民家の窓にテレビの青。

「ここから先は、ぼくの担当外です」尚哉。

「勤務シフト、ちゃんとしてる」カナ。

「じゃ、ここでお別れ?」タク。

「はい。——また宿へお越しください。女将も布団も、猫も。ぼくも」

 尚哉は軽く会釈し、最後の一言を置く。「生者優先」


 ミラーから彼は消え、後部座席には白い塩がひとつ、控えめ盛。宿の流儀だ。

「帰ったら口コミ書こう。“塩、うまい。あと全部うまい”」リュウジ。

「“全部”は語彙の怠慢。最低五項目に分解」カナ。

「五段階で十」タク。

「五段階で十つけるな」悠真。天丼が車内の温度を一定にする。


 解散三十分後、グループチャットが鳴る。

 リュウジ〈塩むすび作った。うまい。盛りは控えめ盛〉

 カナ〈控えめ盛の定義、写真で提出〉

 タク〈ミケ造のスタンプ欲しい〉

 悠真〈明日、感想戦。“笑い”の忘れ物を増やす会〉

 塩、布団、掃除機、窓の口(照)のスタンプが飛ぶ。


 一週間後。四人は大学の食堂で和紙を広げた。触れるたび、墨が少し濃くなる気がした。

「“笑いはお守りになる”は、真面目に良いコピー」カナ。

「パクられたら法務(霊)?」リュウジ。

「まず口コミ☆5を書け」悠真。

「書く。十で」タク。

「五段階で十つけるな(二回目)」四人は揃って笑う。天丼は味が落ちない。


 夏の最後の夜。タクの家のテーブルに塩(控えめ盛)と急須。

「乾杯の発声、誰」

「結論、悠真」カナ。

「理屈で乾杯すな」リュウジ。

 悠真は短く言う。「生者優先。笑い優先。——いただきます」


 窓ガラスに外の灯が映り、一秒だけ浴衣の男が映った気がした。ミラーじゃないのに。男は何も言わず、片手を上げた。礼儀として。祝福として。


 翌朝、同時に通知。

〈白骨荘:本日営業中(霊)/夏季ラストウィーク“笑い放題プラン”(口コミ☆5で塩付)〉

「“塩付”の語感がずるい」カナ。

「行く?」リュウジ。

「行く?」タク。

 悠真は空を見て、決め台詞を借りる。

「——生者優先で、行く」


 四人は同じ速度で歩き、笑い、たまに怖がる。お守りは和紙と、いくつかの天丼と、控えめ盛の塩。どれも手の中にちょうど良い。

 山の入り口で白い提灯が灯り、ちりんと鳴り、白目の笑顔が迎える。

「いらっしゃいませぇぇぇ〜」


 笑いが先行し、ほんのり怖さが追いかける。

 その配合を、この夏、彼らは体で覚えたのだ。

——またのご来霊を。

短編って、これはこれで大変ですね。長編と違ってサラッと書けるかと思ったらめちゃくちゃ疲れた。

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