第四話:導きのような何か
焚き火の熱が、朝の霧に呑まれはじめていた。
夜を越えた灰の奥に、まだかすかな火種が息をしている。
私は、その隣でずっと青年の様子を見ていた。
彼が目を開けたのは、ちょうど朝日が差し込んだときだった。
まぶたが震え、次いで、琥珀のような瞳がこちらを見た。
その眼差しには、警戒、痛み、そして理性の光が宿っていた。
「……目が覚めましたか?」
私の声に、彼は眉をわずかに動かす。
返事はなくとも、目は明確にこちらを捉えていた。
「水を。煮沸したものです。……信用するかは、お任せしますが」
水筒を差し出すと、彼は一瞬こちらを見つめたまま固まった。
だが、次の瞬間、軽く片方の眉を上げて小さく笑った。
「疑ってたら、今ごろ生きてないでしょうね。
……ありがたく」
唇が開き、水がゆっくりと吸い込まれていく。
喉が動く。その音が、妙にリアルに耳に残った。
彼は状況を把握しながら、同時にこちらの様子を計っている。
私と似た、観察する目だった。
「名を、聞いても?」
「マシロ、で結構です」
「俺はライル。旅の剣士……まあ、そう名乗るのが都合がいい」
「都合?」
「本当の肩書なんて、剣一本じゃ守れないんですよ。とくに、こうして地面に転がってる時にはね」
軽口のようでいて、言葉の端々に棘がある。
だがその棘は、誰かを傷つけるためではなく、自分を保つためのものだと、なんとなくわかった。
「まだ動けませんね。無理に起きようとしないでください」
「了解。この見知らぬ美人に命を預けます」
「お世辞を言う余裕があるなら安心しました」
「いえ、本気です。」
わずかに笑った彼の表情は、ほんの少しだけ幼かった。
見た目の整い方に反して、どこか擦れていて、それでも誰かを試すような表情だった。
私がそれ以上言葉を返さなかったのは、
まだ彼のすべてを信じていなかったからではない。
むしろ、信じようとしなくても、自然と彼の言葉が“入ってきた”からだ。
「……助けてくれて、感謝します。俺、礼儀はある方でして」
「こちらも、死体を野に晒す趣味はないので」
「それでも、世の中には“見なかったふり”をする人の方が多い」
その言葉に、私は少しだけ目を伏せた。
彼の言葉は、誰かに言っているようで、自分にも言っている気がした。
火が、ぱち、と音を立てて跳ねた。
灰の奥に残っていた火種が、ふたたび小さな灯を生んでいた。
ライルは再び眠りについた。額には汗が滲み、呼吸は浅く、
安定しきっているとは言い難かった。
そっと布をめくり、脇腹の傷を確認する。
腫れはひいていない。だが、熱は下がってきている。
荒く裂けた肉。浅くはないが、即死するほどではない。
けれど、このまま放っておけば、感染もある。何か処置を施さなければならない。
私はあてもなく、草むらに視線を走らせた。
薬草のひとつでも見つけられればいいが、この世界の植物について私はほとんど何も知らない。
色も形も、どれが毒でどれが効能を持つのか、さっぱりだ。
けれど、そんな中で――一枚の葉だけが、不自然に目に入った。
ただ、そこだけがやけにくっきりと視えたのだ。
なぜか輪郭だけが淡く光り、浮き出しているような、そんな奇妙な感覚。
私は、ゆっくりと近づき、その葉を摘み取った。
すると、頭の中にぼんやりとした言葉が浮かんだ。
——炎症を、抑える。煮て、患部に当てる。葉を揉みすぎてはいけない。
「……え?」
誰の声でもない。説明書でもない。
でも、その情報は、確かに“私の中にある”ような気がした。
知らない。けれど、知っている。
そんな理屈の通らない感覚に、私は思わず葉を握りしめた。
目の錯覚? 直感? いいや、違う。
もっと、深いところから来ている。
まるで、自分の目ではなく、
“何か別のもの”が私を通して葉を選び出したかのような――そんな奇妙な感覚。
戸惑いはあった。怖さもある。
でも、今は、助けなければならない人がいる。
私はその葉を火のそばに持ち帰り、湯にくぐらせ、布に包む。
それをライルの傷口にそっとあてがってみる。
次第に強ばっていた彼の顔がゆるんでいく。
効いている…?
この葉は“正しかった”のだろうか。
私は膝をつき、手のひらを見つめた。
何が起きたのかは、わからない。
でも、たしかに必要なものが“視えた”。
これが力なのか、奇跡なのか、
それともただの錯覚なのか。判断はつかない。
でも、もし――もしこの目が、また“視える”のなら。
「お願い……今だけでもいい。次も、ちゃんと教えて……」
私は、誰とも知らぬ“何か”に、静かに助けを求めた。