79 電話
電話してもいい?
先輩は電話の前に、そうラ○ンをしてきた。さすが律儀というかなんというか。
もちろん、『大丈夫です』と返信する。ーーと、すぐに電話がかかってきた。
『もしもし』
「もしもし」
情けなく、オレの声は震えていた気がする。
『うわー変な感じ。今尚と電話してんのかぁー』
「めっちゃ同じこと思ってました」
耳に直接届く先輩の声は、機械を通してでも先輩の声であることに変わりはなかった。当たり前だけど。
『ははっなんか楽しい』
「それは、よかったです」
『ふふ、じゃあ早速決めますか』
「はい」
オレの口角は上がっていた。
『……えっとねぇ、海見えるとこどこか探してて、いろいろあるけど、どこにしよう』
「あ、それなんですけど、県跨ぐんですけど、海がめちゃくちゃ近い駅があって、そこに電車でのんびり旅すんのもありかなーっと」
『え……なにそれ最高。え、どこ?それ』
「えっとですね……下○駅です、○媛の」
『あ、見たことあるかも。前にテレビでやってた気がする』
「ほんとですか。オレも前に見たなーって」
『同じ番組かもね。やった。そこにしよう』
「はい」
『時間とかはまた近くなってから詰めるにしても、すぐ決まっちゃったね』
「ははっですねー」
オレはまだ電話を繋いだままでいたいと思っていた。といっても何を話すべきなんだろう。
『尚、まだ時間大丈夫?』
「え?大丈夫ですよ」
『じゃあなんか、世間話でもしよう』
「はい」
心を見透かしたように先輩はそう言った。
オレはなんだか照れ臭くなって、足の指の爪を手でなぞっていた。
『この間夢で、学校で泳いでたんだよね』
「え、プールないですよね」
『うん。まぁ夢だから色々おかしくて、放課後なのに尚に何も言わずにプールで泳ぎまくって、あ、やばいって夢』
「先輩って泳げるんですか?」
『いや、泳げると言えるほど泳げない。クロールはギリギリ泳げるかな、みたいな』
「へぇ、そっか」
『尚は?泳げる?』
「全然。水泳が嫌すぎてプールのないこの学校受けましたもん」
『え、まじで?それが志望動機?ははっおもしろー』
「いやぁ、ほんとに。もうやりたくないですね」
『まぁ私もやりたくないけど』
「うん」
少し、間が空いた。オレは小さく息を呑む。
『……尚っていつも何時ぐらいに寝るの?』
ちらっと部屋の時計を見る。今は10時22分。
「オレは……何時だろ。日によるかも」
『あーそういうタイプか。じゃあ2時まで起きてる日とかあるの?』
「あんまないですけど、まぁ夏休み終わる直前とかは」
宿題が終わってないから。毎年の恒例だ。
『あるあるだねぇ。私は11時には寝るかな』
「あ、健康的だ」
『家がちょっと遠いからね』
「あーですよね。何分くらいかかるんですか?」
『うーん、何分だろ。7時ぐらいに出るんだよね、電車が』
「え、早」
『でしょー。慣れたらいいんだけど。まだ駅から家が近いからありがたい』
「なるほど……毎日お疲れ様です」
『あらあらどうもー』
「てか、大丈夫ですか?電話しっぱなしで。もう10時半ですけど」
『全然大丈夫ー。私、もうこのまま寝れるもん』
「早いな。歯、磨きました?」
『磨いてるよ!突然小学生のお母さんみたいな』
「ははっ確かに」
『尚こそ大丈夫?電話』
「うちは全然。オレには興味ないですから」
『…………』
なんでもないように言ったつもりだった。けど、そうではなかったみたいだ。余計な一言を言ってしまった。
「あ、全然気にしないでください。うちはうち、よそはよそ、ですから。血だって繋がってるし」
『そう?』
「はい」
そうだ。先輩の家庭に比べれば大したことはない。うちは本当の親と暮らしていて、それなりにお金のある家で、それなりの暮らしをしている。先輩にわざわざ話すようなことは、あの日に話した兄のこと以上はない。
『でも、血が繋がってるからこそ、厄介なんじゃ……』
「え」
『ううん、ごめん。なんでもない』
「……そう、ですか」
『もうそろそろ寝る?』
「そうですね。なんか、先輩の声聴いてると眠くなってきました」
『え?うそー。じゃあゆっくり眠ってもらって』
「なんか永遠の眠りにつきそうな言い方」
『いやいや、そんなことないよ』
「本当ですかー?」
『ほんとほんと。……私もよく眠れそう』
「そりゃあ、よかったです」
『うん。じゃあ、おやすみ。電話ありがとう』
「いや、こちらこそ。楽しみにしてます。おやすみなさい」
『うん、おやすみ』
「…………」
『…………え、切らないの?』
「オレは、切れるのを待つ派で……」
『私もなんだけど!あはは、切れないじゃん』
電話の向こうではしゃいでる声がする。オレも気づけば笑っていた。自分の顔、鏡で見るの、こわいな。
「ほんとに……。先輩から切ってくださいよ」
『いやいや、尚が切ってよ』
「えー……じゃあ、切りますよ?」
『うん』
「……切ります」
『だからいいって、もう』
先輩は小さく笑っていた。オレはまだその吐息と声を聴いてたいと思ったけど、さすがにこのくだりが長すぎるから切らないと。
「おやすみなさい」
『おやすみ』
そう聴こえたら、そのまま切った。電話が終わった。
力が抜ける。オレはベッドにそのまま倒れた。思っていた以上に緊張していたのかもしれない。……でも、口角は上がっていた。
オレは今、幸せだ。
「……おやすみ」
目を閉じる。……あ、歯磨きしてない。




