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天才の弟  作者:
77/81

77 あなたは

「そのときに、俊介に会ったの」

 なんとなくわかっていたが、その言葉を本人から聞くと身体の奥の方がざらざらと、変な感覚に陥った。

「……うん」

 やっと打てた相槌は弱々しくて、情けなかった。先輩は、それには気づかないふりをして、そのまま話を続ける。

「橋から落ちようとしてるときで、止められたっていうか……えと、施設に来てたの、俊介も。それで、私のこと知ってて、咄嗟に嘘ついて……それからなんか、話しかけられるようになって……」

「うん」

「友達になったの」

「うん……」

 そうか。初めは友達だったのか。絡まれて嫌々付き合ったとかじゃ、ないのか。

 オレはそれにがっかりしていた。やっぱり根が悪い奴な訳じゃない。悪い奴だったらよかったのに。こんなことを考えたって意味なんてないのに。

「友達になって、私友達いなかったから嬉しくて、でも暫くして、付き合おうって言われて。……好きとか、わかんないまま付き合った」

「そっか」

「うん。別によかったの。手繋いで、ハグして」

「…………」

何も言えず、沈み始めた夕日をぼんやりと眺めていた。心はもっと薄暗いけど。

「でも、恋愛感情が何かわからないまま付き合って、それ以上は無理だった。だから、拒絶した。待つよって言われても私には、無理だってなんとなくわかったの。だから別れたいのに、別れられなくてどうしようってときに、俊介の親が施設から迎えに来たの。それでゴタゴタしてるうちに、もう会うこともなくて私も旭さんに引き取られたしね」

「そっか……」

 まともな関係をふたりは確かに持っていたらしい。オレは、また勝手に裏切られたように感じていた。利己的な感情が嫌だ。

「……先輩は、どうしたいの」

「え?」

「もう、『俊介』さんには会いたくない?」

「…………」

 先輩はオレから目を逸らし、自分の両手を眺めていた。

「……わかんない」

 会いたくない。

 そうははっきり言わない。

「そっか。……別に誰もそれを責めたりしないよ」

「うん……。もう、相変わらず優しいんだから」

 先輩はさっきまでの重たい空気を飛ばすように軽く笑いながらそう言う。でも、オレはそれに対する上手い返しが思いつかず曖昧に微笑んだだけだった。先輩は、また下を向く。

「私……」

「うん?」

「私、たぶん恋愛感情がないんだ」

「……え?」

「たぶん、だけどね」

 オレは間抜けな顔をしていただろう。先輩は、それを咎めも肯定もせず、ただ微笑んでいた。やっと。やっと言えた。楽になれる、というように。

「さっき言ったようにさ、俊介と仲良くなって特別にはなっても恋人なんてしっくりくることはなくて、それが苦しかった。でも今は離れて楽なんだ。だから、どうしたって、あれは恋じゃなかった。私は、皆と同じじゃない。普通じゃない。……同じ感情を返せないなら、そんなの、意味、ないのかな」

 微笑んでいた、のに、先輩はどこか泣きそうな目をしていた。

「……オレは、そんなの関係ないと思います」

「え?」

「もし、オレが先輩と違う感情を抱いていたとして、先輩はこの関係に意味がないと思うんですか?」

 オレは、たぶん少し攻撃的な目をしていたと思う。少し腹が立っていた。どこまでも自分を責める方向に考えることに。……あなたは、そんなことで立ち止まるべき人間じゃないのに。

「それは……違う。違う。私にとって尚はーー」

 先輩はそこで言葉を詰まらせた。

 オレはその先の言葉に何かを期待していたが、何を期待したのかわからない。

 先輩はオレからゆっくり視線を下げた。ーー上手く言える言葉が見つからなかったんだろうか。

 気づけば夕日はほとんど沈み、だんだんと空が暗くなり始めた。

「大丈夫です。先輩は、ちゃんと『普通』の人間ですよ。オレが保証します」

「…………」

「大体、普通とか何って感じですよね。先輩にとっての普通もオレにとっての普通も、皆違うのに」

「はは、なにそれ……」

「先輩」

「はい」

「オレ、先輩の性別が違ってても」

「うん」

「依さんの思う『普通』と懸け離れてても」

「うん」

「あなたが、自分を責め続けても」

「……うん」

「オレにとっては、十分魅力的で、素晴らしくて、代わりなんていない、神原依です」

「何言ってんの?」

 ただ頷いていた先輩は笑っていた。少し涙が光って見えたのはたぶん気の所為じゃない。きっとこれは照れ隠し。

 オレも先輩に微笑んだ。

「オレは、あなたをひとりの人間として、見てるつもりです」

 そう、言った後でオレはこの人をひとりの女性としても見ていた、と思った。でも、嘘じゃないから。今は別に言わなくていいはず。……いつか、ちゃんと包み隠さず話すから。だから、今は。オレのこの感情には気づかないで。気づいていないふりをしていて。

「先輩、帰りましょう」

 オレは立ち上がり、先輩に手を差し出す。先輩も嬉しそうにこっちを見て、そして手を繋いだ。

「うん」

 この手の温度も握り方も握る強さも。それは、変えないから。

 電柱の頼りない灯だけがオレ達に影を落としていた。

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