69 素、またはふり
今日は久しぶりにひとりで帰る。いつもと同じ道なのになんか……違って見える。早く帰ろう。
「あれ、草間?」
背後から声を掛けられる。ゆっくり振り返ると見慣れた顔の奴がいた。
「あぁ小平」
「やっほ」
小平は小走りにやってきてオレの隣に並んだ。
「小平って部活やってたか?」
「やってねーよ。おまえが一番知ってるだろうよ」
「ははは、そうだな」
「つーか今日先輩は?」
「今日はなんか用事あるって」
「へぇーそっか」
「……って聞いてこないんだな。根掘り葉掘り」
「何を?」
「何をって……先輩のことだよ。前はそういうこと興味津々だったじゃんか」
「あぁそうか。聞いてほしいんだな?」
「そういう訳じゃないけど」
「ははっ……なぁ、草間。ちょっと話せるか?」
「え?今話して……ってそういうことじゃないか」
「おまえに、話聞いてもらいたい」
小平がいつになく真剣な表情を浮かべていた。オレはそれを断るなんてできるはずもなかった。
「…………」
「…………なんか、話せよ」
「あぁ、うん……」
「…………」
コンビニのイートイン。目の前の小平は今まで見たことのないくらい、悩んでいるようだった。目の前の買ったコーヒーをちびちびと飲んでいる。そういやコイツ、ふざけてること多いし、なんかイメージないけど余裕でブラック飲めるんだよなぁ。……にしても全然話さない。
「まぁ、いいけどさ、話さんくても」
オレは半ば独り言のように言う。
「やっぱ草間っていい奴だよなぁ」
「今更か?」
「今褒める気失せたわ」
ははっと乾いた笑いを漏らした小平だけど、やっぱり元気がなさそうだった。
「……俺って、酷い奴?」
「……は?」
想定していなかった質問にオレは聞き返す。
「だから、俺って酷い奴なのかって」
「ちょ、待て待て待て。どういうことだよ?なんで?」
「……なんでもだよ」
小平は俯いたまま、そう答えた。オレはそれがたまらなく不快だった。
「いや、だからなんでそう思うのかって」
「……ちょっと、そう思うことがあって」
まだ俯いたまま、そう言う。
「ーー誰に言われた」
「それは……」
小平は口籠る。オレはそれを見て腹が立った。コイツにこんな思いをさせる奴に。
「誰だ」
言いたくないのかもしれない、とは思った。でも、聞かずにはいられなかった。
「……母さん」
息を漏らすようにそう言った。てっきり同級の奴かなんかかと思っていたけど、まったくの見当違いだったみたいだ。
「そう、か……」
確かに微妙に言いづらい相手。親を完全な悪者にはしたくない、子供の心理か。一番近い血縁関係だからこそ切り離せない。
……そうだ。小平が部活をしない理由。いつだったか、教えてくれたことがあった。シングルマザーだって。だから家のことはしないといけない。そう言って笑っていた。……あの笑顔は、無理して作られていたものだったのか。
「ひとつ、先に言っとく」
「ん?」
「オレは小平が酷い奴だとは思わない。思えない。ちょっとお調子者の、素直ないい奴。だから、その心配はすんな」
「……あー……そう。そうだな。そうだよな。俺、草間なら俺のこと、ぞんざいに扱ったりしないから、俺を否定しないから、言った」
「否定しねぇよ」
「うん。……俺、よく彼女ほしいとか言ってたじゃん」
「え?あぁそうだな」
突然彼女、という単語が出てきて戸惑った。
「あれ、嘘じゃないんだけど、人を好きになれる自信もないんだ」
「…………」
「俺は自分を認めてくれる、好きでいてくれる。そんな人がいてほしいけど、でも、俺も誰かを本気で好きになって、もし付き合えて?それで、いつか別れるとか想像したら、とてもじゃないけど耐えられないと思うんだ」
「うん」
「俺、好かれたいけど、本気で好きになられたくない。なりたくない。いつか、壊れんなら、最初からない方がいい。……嫌われたくない」
「大丈夫だから、小平。オレは嫌いになったりしないから」
「……ほんとに頼むよ?俺もうすでにおまえに嫌われたら耐えられないぐらいに、おまえのこと認識してるから」
「それはそれは光栄です」
「はははっ」
少しふざけたように言うと小平は笑ってくれた。それに少し安心する。ただその笑顔を見て気になったことを思い出した。
「……なぁ、今日帰り遅いのって……」
「勉強してたんだよ……って何その目。嘘ではないんだけど」
「まぁそうか」
「なんか家にひとり嫌だと思って。……つっても学校もあんま人いなかったけど」
「まだ一応一年だしな。まだ部活やってる人のが多いから」
「そうそう」
「結局、何があったんだ?」
「いーや、大丈夫!もう十分話聞いてもらったわ」
「いや、全然なんだけど。どうしてそうなった訳?それは教えてくんねぇの?」
「言わない。草間の中で俺の親が悪者になっちゃ悪いし」
「……すげぇよな、おまえ」
オレは小平の言葉を聞き、ただ普通に尊敬した。ここにきて、小平は親の周りからの評価さえ気にすることができるのか。……学校では馬鹿のふりをしているだけなのか。思っている以上に考えてるし、客観視できるし、想像までできるのか。……すげぇな。
「え?」
それなのに小平は間抜けな顔をしていた。そうだ。これが、小平だ。
「いや、なんでもねぇわ。それもいいとこだってだけ」
「は?」
完全に頭にハテナマークを浮かべた小平を見てオレは笑った。小平もそれにつられて笑う。
オレが今日初めて気づいたことは、小平にとっては当たり前のことだったみたいだ。そんな小平に信頼されているのが、嬉しかった。




