68 それから
あれからというもの、オレ達は自然と手を繋いで帰るようになった。なぜかは知らない。ただいつも通りの会話と歩く速度で、手を繋ぐことだけが違っていた。
ーー寒いから。
これは理由でもなんでもないかもしれない。でも、オレと先輩、共通した理由はこれひとつだろう。
でも、やっぱり期待はしてしまっている。
毎日というぐらいに手を繋いでいれば、もうただの先輩後輩に思えるはずがない。それなのに……なんだろう、この違和感は。何かが、違っていた。
「じゃあ、また来週」
「はい。気をつけて」
「うん。尚も」
そこで手を離した。
きっと周りはこのバカップルが、とかなんとか、思っていることだろう。
まぁ、でも人が多くなければ、当たり前のように手は繋いだままだった。電車の中でも。
それが、オレ達の普通になりつつあった。
「草間くん」
「え、な、なに」
朝学校に来ていつものように席に座っていると、河原さんがすごい至近距離まで顔を近づけてきた。なんだ、なんなんだ。
「あの先輩と付き合ってるの?」
「は?いやいや、なんで」
「だって、昨日見ちゃったの。手、繋いで帰ってたよね。ね、いつから?いつから?」
「ちょ……一旦声、抑えようか」
オレは必死に口の前で人差し指を立てる。周りがめちゃくちゃこっちを見ている。
「えっと、大前提として、先輩と付き合ってない」
「……え?なに言ってるの?」
河原さんは呆れたようにこちらを見下ろす。オレが座ってて、河原さんは立ってるから当たり前の構図ではあるんだけど。
なぜ当事者のオレの言葉を嘘だと考えるんだ。
「だから、付き合ってない」
「いやいや、そんな嘘で誤魔化されるような奴じゃないんだけど」
「いや、ほんとに付き合ってないんだ」
「……え?ほんとに?」
オレの微妙な表情でやっと察したらしい。遅いわ。オレは嘘なんか、全然言ってないってのに。
「うん、付き合ってない。まじで」
「え、じゃあ、なんで手、繋いでたの?」
「あー……」
オレにもわかんねぇよ。なんで手ぇ繋いでたかって?オレが聞きたい。
「わかんねぇ……」
「……え。どうしたらそんな状況になんのよ」
「それもわかんねぇ」
「でも、恋人じゃないのは確かなの?向こうは付き合ってるつもりとかはないの?」
「ない」
「え、即答」
「ないから」
思い返す。先輩と一緒に帰ったときのこと。
……やっぱりその手の好意を感じたことはなかった、と改めて認識する。
だから、きっとそう。恋人ではない。期待してないと言えば嘘になるけど。……ここ最近、この思考を何度したんだか……。考えたって結論はいつも同じなのに。
「それで……いいの?」
「いいって、なに?」
オレはとぼける。反射的に。それが、防衛本能なんだろう。
「付き合いたいって、思わないの?」
「……思うよ」
切実に、これが、本音だった。オレはきっと、先輩の特別になりたかった。オレが思う『特別』は恋人になることだった。
「だったら」
「駄目だよ」
優しい声が漏れた。自分で思ったよりもずっと。
「駄目だ。オレは、先輩を無意識に傷つけるのだけはしたくない」
「……そう」
河原さんは小さく頷くとそのままオレに背を向ける。が、振り返って言った。
「なんかあったら、相談ぐらい乗ってあげる。前にキミを騙すようなマネ、しちゃったから。それぐらいは」
「……あぁ、そっか。ありがとう」
「うん」
河原さんは次こそオレに背を向け、去っていった。
久々に話したな。
「お疲れー。部活終わり?」
「あれ。ここで待ってたんですか?」
部活が終わり、リュックを背負い帰るぞ、というときに、美術室とトイレの間の廊下で話し掛けられた。すぐそこには長いベンチがある。
「うん。勉強疲れちゃって」
「ですよね。毎日偉いです」
軽く頭を下げる。
先輩も、どうもどうも、と頭を下げる。
「あ、そうだ」
「ん?」
歩き出してすぐ、先輩が思い出したような声を上げる。なんだろう。
「明日用事あるから、一緒に帰れない」
「あ、了解です。気をつけてくださいね」
「小学生じゃないんだから」
あはは、と先輩は笑う。
まぁ、オレの思う『気をつけて』をわかってないからだろうな。きっとまた、誰かのための行動だろう。
「でも、そっかぁ。ちょっと寂しいですね」
「そう?」
「え、はい。最近は本当にずっと一緒に帰ってて、え、ちょいと寂しくないですか?」
オレだけなのか、とそれはそれで寂しくなる。
「うん。寂しい」
先輩はあっさりと頷いた。それは嘘には思えなかった。思いたくなかった。
落ちていく夕日が視界を覆う。眩しくてあったかくて寂しい。
「今日も、いいですか?」
校門の外に出た後、先輩はそう言った。右手をこちらに差し出しながら。
オレは迷わずそこに手を伸ばす。
「もちろんです」
先輩は穏やかに微笑んだ。
先輩の右手は冷たかった。




