67 あったかいもの
「お待たせー……ってどうかした?変な顔して」
「え?」
気づけばリュックを背負った先輩が目の前まで来ていた。オレは先輩の言う『変な顔』から表情を戻せなかった。
「……どうしたの?」
「…………」
口を開くけど、言葉が何も出てこない。聞いてもいいんじゃないか、と、聞かない方がいいんじゃないか、って気持ちが行ったり来たりする。……だって、距離が前よりずっと近くなったのにオレの言葉ひとつでそれを変えたくない。
「尚?」
「……え」
先輩の手が頬に触れた。距離の近さに呆然とする。
すぐ目の前に顔がある。なんてこった。近すぎだろ。
心臓が動くのがわかる。苦しくて、緊張して、でもこのままでいたくて。
「先輩」
オレは頬に触れた先輩の手に触れる。
「ん?」
先輩は口角を上げてこちらを見る。……かわいい。もう何も考えられなくなる。この距離ならキスなんて簡単にできてしまう。でも、もしも本当にしてしまったら。
オレはオレを許せないだろう。
「今日」
「うん」
「呼び出しがあったのって、先輩のこと?」
「あー……」
先輩はオレの頬から手を離す。その手に触れていたオレの手も離れる。それに安心しながら寂しさも感じてしまった。
「言いたくないなら、いいです」
オレは慌ててそう言う。気になりはしたけど、無理矢理聞き出すようなことじゃないと思った。……それは後付けか。そんなことをして距離が開いたら、きっと耐えられないから。
「尚」
「はい」
「それも、一年後」
先輩はそう言って不敵に笑った。
答えてくれないのをつまらなくは思わない。むしろ、そう言うのを待っていたような気すらする。
「あ、一年後じゃないか。えっとー……あれが多分10月とかそのへんだったから、うん、そのへん」
「わかりました。待ってますよ、ちゃんといい子で」
オレは冗談ぽく言う。あんまり冗談でもないけど。
「じゃ、ほんとに帰りましょうかね」
「はい」
階段を降りて陸上部を横目にオレ達は帰る。
「もうすぐ受験生だぁー。嫌だなぁ」
「あー……そっか、そんな時期ですね」
「うん……まぁその前に学年末がある訳だけど」
「そうですね。あーやばい。受けたくない」
「ははっ。そりゃ無理だ」
冷たい風が肌に触れる。寒い。上着は着てるけどやっぱ寒いな。手に持ったままだったマフラーを見た後、先輩を見た。首と足が寒そうで仕方ない。
「先輩マフラーは?」
「あ、そう、そうなの。昨日帰りに着けてたんだけど、途中暑くなって外したときに落としちゃって、今洗濯してるんだよね」
「あーそうなんですね」
「うん」
歩く速度を落とすと先輩が気づいて不思議そうに止まった。オレは先輩の前に立って先輩の首にマフラーを巻く。一番簡単な巻き方しか知らないから、それで。
「え……いいよ。尚、寒いじゃん」
先輩はそう言って巻いたマフラーを外そうとする。オレは先輩の手を軽く掴んで止める。
「じゃあ……先輩が手、繋いであっためてよ」
先輩は驚いたように目を見開いてこちらを見ていた。本気で言ったけど、これは誤魔化した方がいい?あの縮んだ距離がまた開くのなら誤魔化す。でも、どうだ?どうしたい?
オレは今のこの優位な状況でなら、許されると。先輩と手を繋げるなら繋ぎたかった。
……オレは先輩が大事で、大事で、大好きで、でも、だから、先輩の特別になりたかった。
掴んでいた先輩の手がゆっくりと動く。オレは特に抵抗もせず、その手が離れていくのを見ていた。
先輩の手がポケットに入る。
やっぱり駄目なのか。
期待、していた。なんだかんだ、オレ達の関係は特別で。でも、それはオレにとっての認識でしかなかったのかもしれない。
「尚」
目を逸らしたオレの名前を呼ぶ。ゆっくりと先輩を見た。
「え?」
……オレはどんな間抜けな顔してんのかな。
カイロを握った先輩に手を握られる。暖かい。温かい。
なぜだか目頭が熱くなったのは見られないように先輩とは逆の方向を向いた。
「暖かい?」
「はい……死ぬほど」
「え?」
先輩は笑った。
男女ふたりで手を握っている。自分のマフラーを貸している。ほぼ毎日一緒に帰っている。
これが、恋人じゃないなんて誰が言えるだろう。
そう思うのに、オレと先輩は恋人じゃない。仲が良すぎる先輩後輩だ。
告白したらいける?無理だ。自分に自分で即答する。
だって、先輩は緊張してない。オレだけがいつも緊張して。……それだけじゃない。オレがはっきりさせるのがこわいからだ。ーー先輩はきっとその気がなくてもオレを受け入れてしまう。




