66 呼び出し
「昨日、○○駅前横断歩道付近で、本校の制服を着た生徒に進路を妨害されたと、先ほど連絡がありました。心あたりのある生徒は生徒指導室まで来てください。繰り返しますーー」
部活中にそんな放送が流れてきた。
「進路を妨害?」
「そんなことする?」
先輩も小柳達も疑問を口にする。それも少し楽しそうに。
まぁ、気持ちはわかる。こういう普段ないような変な内容のクレームっておもしろい。……けど、なかなか頭の良い学校でそんな生徒がいるのか。誰なんだろう。
場所は明確なのに内容が曖昧だ。進路を妨害、とかなんだ?
「てか、これ難しくない?こんなの先輩あげちゃって大丈夫かな?」
「え、ですよね。なんか穴がガタガタに……」
先輩の言葉にオレは激しく同意する。
タイルアートは無事に完成し、もう一つのプレゼントを作っている。それはレザーのキーケースだ。
まさかの手縫い。
とは言っても、小さい穴は事前に開けてるから糸を通すだけなんだけど、穴のサイズが微妙で……なんというか、見た目がよろしくない。
……離れて見たらそうでもないか。いや、どうだろ。
「そういやさ、テストっていつだっけ」
「知らない」
「テスト……」
二月。テストなんかあったっけな。いや、あるんだけど。
「去年、確か二十何日かだったからおんなじぐらいじゃないかな」
「え、もうすぐテスト期間じゃないですか!嫌だぁー」
「あはは。一年生って数学何やってるっけ」
「えっとー数Ⅱの最初らへんです」
「あーまだまだ序の口だね」
「え」
小柳が言葉を失う。ついでに顔色も失ってる。
「小柳って数学嫌いだっけ」
「嫌いなんてレベルじゃないよ!数学アレルギー、そろそろ発症しそうだもん」
「なに大真面目な顔して言ってんだよ」
「大真面目だからだよ。岡本さんも草間クンも結弦も、よく理系に行こうと思うよ、ほんと」
小柳は机に突伏しながら言う。
「いや、オレは歴史が嫌すぎてだけど」
「や、それでも理系に行くのは頭おかしい」
「いやいやいや」
「にしてもアレだね。美専いないの、びっくりだなー」
岡本さんがそう言った。確かに。意外と数人はいるイメージはあった。
「みんな、現実的に考えてるんですかね」
「あー確かに。絵で食ってく、とか無理だと思うよね」
……そうだ。普通なら、そうだ。
「それにさ、うちの学校、画家いたらしいしね」
「あ!一回噂になりましたよね。この近くにいるとかなんとか」
「そうそう。あれって結局どうなんだろうね。本当にいたのかな」
「さあ?」
「…………」
ちょっと懐かしい話題に皆楽しそうに話している。オレは興味なさそうな表情を意識する。
「名前……なんだっけ」
「草間卓」
「あ、それそれ!結弦よく覚えてたね」
「印象的な絵だったから」
「まぁ、確かに」
「なんか……凄いよね」
「でも、私は草間の絵の方が好き」
「えっ……」
突然飛んできたオレの話題に固まる。荒木の方を見ると、なんてことない、みたいな表情を浮かべている。だからこそ、嘘じゃない気がした。……たぶん、ただの『草間』つながりだろうが。
「てか、草間卓と草間クンの苗字一緒だったね。全然考えたことなかったけど」
「あー、そう、ね」
オレは歯切れ悪く言ってしまった。バレたくないのに、顔とか行動が正直過ぎる。
「親戚とか、じゃないよね」
「絵の雰囲気まったく違うし」
オレが何も言わなくても皆はオレと『草間卓』が無関係という感じで話をしている。
呆気にとられた、というのだろうか。
てっきり知り合いなんじゃないのー、とか言われると思っていた。オレは安堵する。
「実際のところ、何が売れるとかよくわかんないよね」
「それぞれの好み」
「そうそう、それ」
「……できた」
「うんうん……え?」
荒木があんまり感情の乗らない声色でそう言う。小柳は頷いた後に、目を見開いて荒川を凝視している。
「え?終わった?ふざけてんの?」
「終わった」
「ふざけんな」
「いや、ふざけてない」
そう言って荒木は先生のもとにキーケースを渡しに行く。器用だな、アイツ。
「え、速すぎません?」
「ね」
「オレまだ三分の二」
「いや、私まだ三分の二どころか、三分の一だよ?」
「ははは、笑えねぇ」
「あ、おかえり」
「ただいま」
帰ってきた荒木は新たにキーケースを持っていた。
「もしかして追加か?」
「そう……」
あからさまに嫌そうな表情を浮かべる荒木に小柳がにまにまし始めた。
「そーだそーだ。イチ抜けするとか許さないからな」
「帰れると思ったのに……」
「ざんねーん」
結局オレ達は部活が終わる六時まで、ちまちまとキーケースを縫った。
いつものように先輩の元へと向かう。今日も自習頑張ってんだろうな。
教室を覗く。……が、いない。でもいつも座っている席に荷物はあるからトイレだろうか。
オレは目立たないように、教室からは見えない位置……と、階段の踊り場の隅で待つ。
…………まだかな。ポケットに入れっぱなしの腕時計で時間を確認する。まだ6時10分を指すか指さないかだった。
……ふと、先輩と手を繋いだことを思い出していた。もう感覚が薄れてきてしまったが、温かかった気がする。柔らかくて、オレの緊張も何もかも包むような、そんな安心感のある手だった。
それはきっと彼女に緊張とかいう感情がなかったからだろう。ただ、思ったまんま、そのまんま、オレの手を引いた。握った。
あの手に、もう一度触れたいと思うのは傲慢なことなのだろうか。
ぼんやりと自分の右手を眺め、握りしめた。
「あれ、尚?」
「うわっ……先輩」
声のした方を見ると階段を上がってきている先輩がいた。
「え、驚きすぎでしょ。もう部活終わったんだ」
「え、はい」
「じゃあ帰りましょー。片付けしてくるね」
突然現れた先輩にオレの心臓は一瞬止まっただろう。先輩のこと考えてるときに本人が来るとか……めっちゃ焦ったぁー。
呼吸を繰り返して先輩の後ろ姿を見る。
……ん?あれ?先輩は階段を上がってきた。ということは、ただトイレに行ってたんじゃないのか。職員室?質問なら参考書とか持っていっているはずだ。彼女は手ぶらだった。
オレは先輩から目を逸らした。
もしかしたら、と思うことがあったから。今日のあの放送。……これは、踏み込んで聞いてもいいことなんだろうか。




