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天才の弟  作者:
65/65

65 隣

 先輩と並んで歩く。オレの気分は良い。良すぎるぐらいに良い。

「先輩、これ」

 オレは今日もらった感想の紙を手渡す。

「ん?」

 なに、と言いながら先輩は紙を受け取る。

 じっと真剣に読む先輩の横顔を眺める。オレは少し緊張していた。これを見せたところで何になるんだ、とか考えてしまったからだ。

「…………」

「……すごいじゃん、尚。めっちゃ、え、すご……」

「え……」

 何度もオレと紙を見比べて先輩はそう言った。めちゃくちゃ、嬉しそうに。

「すごいよ。すごい。もう……画家だね」

「いやいや……」

 先輩が紙を握る手を強くしたのか、少し皺が寄る。

「尚」

「は、はい」

「頑張ったね」

「……うん」

 穏やかに微笑む先輩の顔を見て、オレは嬉しくて仕方なかった。ひとりでこの幸福を噛み締めてもよかったけど、共有できたらそれはそれでめちゃくちゃ幸せだ。

「はい」

 先輩がオレに紙を渡す。

「あ、はい」

 オレはそれを折れないように丁寧にポケットにしまう。家に帰ったら大事にしまっておこう。

「尚を認めてくれる人がいてよかった」

 独り言のように先輩はそう言った。なんて返したら良いのかわからずオレは口を開かなかった。

 信号が目の前で赤に変わる。

 ひとりで歩くときは、あー引っかかった、とか思うけど、先輩が隣にいるとそんなふうに思うことはないな、とふと思った。

 オレにとって、きっと代わりのいない、大事で、そばに居たいと思える唯一無二の人なんだろう。そう思う。……けど、高望みはしないよ。

 それを恋愛感情で括って、それを先輩に押し付けて、この関係が緊張感を持ってしまうのが何より嫌なのかもしれない。

 きっと先輩は望まない。

「ーーえ」

 信号が変わる。

 先輩が無言でオレの手を引いた。袖口を、とかじゃなくて、オレの手を握って。

 きっと先輩は望まない。

 そうだろう?先輩はオレに恋愛感情なんか抱いていないだろう?それなのに、なんで。

 ただ引っ張られる。オレはのろのろとそれに付いていく。

 早鐘を打つ心臓と、先輩のリラックスしたような後ろ姿は不釣り合いに見えてしょうがない。でも、オレはこの手を自ら離すことはできないんだろう。

「尚」

 振り返って笑う先輩は夕日を全身に浴び、明るく光っていた。きっとこれは、オレが先輩を色眼鏡で見たからじゃない。

 先輩は色眼鏡なんて無くたって、とんでもなく魅力的で、オレと隣を歩くにはもったいなさすぎる人間だから。



 それからオレ達は電車が来て、オレの降りる駅に着くまで、手を一度だって離さなかった。

 手を握った、その真意を確かめることもしなかった。

 ただ……ただ、この時間が終わるのが辛くて、だからと言って止める術もないから、手を離す理由ができないように、隣に居た。それだけだった。

「また、明日」

 そう言って微笑んだ先輩はやっぱりいつも通りで、手を離してしまえば、今さっきまでの出来事が夢の中じゃなかったのか、とさえ思った。

 これが、夢の方が納得できる。こんな幸せなことが現実で起こっただなんて、きっと明日には夢だったのだと疑わないだろう。

「はい。また、明日」

 オレは夢見心地でそう言った。手にはまだ温もりがあった。何か、何か、やむを得ず先輩と一緒にいる理由があればいいのに。

 オレは小説や漫画みたいに、何の理由もなく、相手を引き留めることなど出来やしない。


 ガシャガシャガシャンッ


 音に驚き肩が跳ねた。

 音の方を見ると自転車がドミノ倒しみたいに倒れていてる。オレのチャリは無事だ。……けど。

 ため息をつき、一台ずつ戻していく女性。オレは少し迷う。オレがしなくても別の誰かが……こういうとき、迷わずすぐに行動できたら人間として素晴らしいんだろうな。そういう人間に、なりたい。そしたら、きっと先輩の隣に並んでもいい奴になれる気がする。

 黙ってドミノ倒し状態のチャリどもに手を掛ける。

「え、ありがとうございます」

「いえ」

 淡々と戻して戻して、片付いた。

「ほんとうに、お手数おかけしました」

「あぁ、いえ。災難でしたね」

「はい……ありがとうございました」

「いえいえ。じゃあ」

 軽く頭を下げて自分のチャリのもとへ歩く。まぁ今は気分いいですから。

 オレ今、幸せだから。



 チャリに跨り、ゆっくり漕ぎ始める。冷たい風が顔に直で当たって、寒い……というか、冷たい。しまった。手袋リュックに入れっぱだった。でもまた取り出すの、面倒くさいな。頑張ろ。まぁあかぎれになって後悔するんだろうけど。

「さっぶ……」

 思わず独り言を呟く。まじ寒い。

 今日は、本当に色々あった。色々。

 あの感想。なんて書いてあったっけ。一番好きな絵、とか、頑張ってくださいみたいな。

 あれは……すげぇ嬉しい。こんな嬉しいのかってぐらいに嬉しかった。今までのことを全部肯定してくれたようにすら思った。

 それから、先輩に見せたらめっちゃ嬉しそうにしてくれて……そうだ。先輩に手を繋がれた。あれが夢じゃなければ、だけど。……温かかった。

 好きだ。

 女性として……はそうだけど、もっと根本的にーー人間として、すげぇ好きだ。

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