58 依存
「すごかったですねぇ」
オレは何も気にしてないって風に、笑ってみせた。大丈夫。笑えている間は大丈夫。だから、心配はすんな。
そんなオレとは反対に先輩は険しい顔でこちらを見ていた。今までに見たことのない表情だ。
「……どうして、笑うの」
空気を読まない、という選択肢はもうなかった。できなかった。
「…………どうして?」
でも、小さな足掻きとして、オレはそう繰り返した。
「別に、笑いたかったら笑えばいいんだ。でも、違うでしょ?私は無理して作った笑顔なんか見たくない」
「…………」
先輩は怒っていた。眉をひそめて、ほんの一瞬だって目を逸らしてくれない。
「なんか……最近おかしいよね。気、遣ってんの?なんのために?」
先輩が手に持っていた作品の一覧表を握りこむ。ぐしゃ、と音が聴こえる。オレはぼんやりとそれを眺める。
「…………」
オレは応える言葉が見つからなくて、ただ車の走る音と心臓の音を聴いた。
「否定、しないんだ。やっぱそうだったんだ」
先輩は目を伏せた。オレはそれを見て、どうしようもなく焦った。駄目だ。駄目だ。これじゃあ余計に先輩を傷つける。いや、違う。結局オレは、先輩がオレから離れていくのがこわい。
「そ、れは……オレは、こわい。先輩にどこにも行ってほしくない。けど、先輩を傷つけたくない」
「……え?」
独白のように、オレはひたすら考えていたことを言葉にした。下を向いて、先輩とは目が合わないように。これこそ、先輩から見放されるかもしれない。そうなったらなったで、結果的にはいいのかもしれないとも思う。
「なんとなく、わかってんだよ。先輩が何をしてんのか。自分より他人ばっか優先して、そんなんじゃいつか死ぬんじゃねぇのってさ。先輩の優しさに気付かずに、傷つける人だっているって。オレだってそうだ。先輩の優しさに甘えて、つけ込んで、傷つけるんだ。オレは優しい人間じゃない。だから知らずに先輩を傷つけるなら、オレは悪いもの全部呑み込んで、せめてオレだけは……」
傷つけないように、離れていかれる前に、自分から離れようと。
「勝手に決めんなってば!」
「え?」
言いかけていた言葉は先輩に遮られた。先輩は今までにないほどの大きな声をオレにぶつけた。
あ、これ、本音だ。
そう思わせるほどの。
「あーもうっなんでそうなるの」
珍しく頭を乱暴にかいて、グシャッとなった髪のまま、先輩は言葉を吐く。オレはただ、間抜けにその場に突っ立っていた。
「そんなん、全部尚だって一緒じゃん」
「は……?いや、え」
先輩の声はさっきよりは落ち着いて、ワントーン下がったように感じる。混乱しながらも、オレもやっと少し落ち着く。
「私のこと優先して、全部呑み込んでんじゃん。私、別に傷ついてないし。てか、優しい?私が?違うよ。私がやりたいことやって、勝手に迷惑かけまくってるだけだよ」
「いやいや、違うでしょ、それは」
「一緒だよ」
そう言って先輩はオレの両腕を掴んだ。服が皺になるくらいに。
「傍観者になり切れないからやってるだけ。それよりも尚がなんか取り繕ってる方が嫌だよ。そっちのが……傷つくって」
「え、あ」
最後の言葉、先輩は目を逸らした。低い、掠れた声色からそれが本当であると暗に言っているように感じられてしょうがなかった。
「なんでも言いなよ。全部聞く」
でも次の瞬間には、オレに優しく微笑む先輩が目の前にいた。
「……ほら、また優しいじゃんか」
次に目を逸らしたのはオレだった。
「いや、私が聞きたいだけ」
男前なことを言う。何がそんなにも彼女を衝き動かすのかがわからない。
「……先輩、そんなんじゃオレ、先輩に依存するよ。先輩がいないと駄目になる」
若干脅しのようにそう言った。
オレの腕を掴む手を取り、じっとその手を眺めた。ちっさい手。簡単に握り潰されそうなほどに。
こわくて、いや、見たくなくて先輩の顔は見なかった。
「……いいよ」
「えっ」
想定外に優しくて、穏やかな肯定の言葉が返ってきて、思わず先輩を見た。
「いいよ、依存しても」
「え、本気で?言ってんですか?」
「うん」
「え、ほんとに?」
「だから、いいってば!」
笑っていた。先輩は笑っていた。
でも、その瞳は小さく、波のように揺れていたように見えた。
それは気の所為だと思いたくて、何も見なかったふりをした。
だから、オレも笑った。




