51 これって
「あ、先輩。おはようございます」
先輩の姿を見つけて挨拶する。先輩は目を細めて微笑む。
「おはよー尚」
次の日も先輩は来た。朝9時過ぎ。眠そうな空気は感じさせなかった。
「寒いですね」
「ね、ほんとに」
先輩はポケットからカイロを取り出し、握りしめる。カイロって一度使い始めると、もう手放せなくなるよな。オレはカイロの入ったポケットに手を突っ込む。
とりあえず5階まで行ってキャンバスとか、その他もろもろ取って、またいつもの場所に移動するか。
「宿題、終わりそう?」
「あー……やばいです」
「だよね?私まだ一個も終わってないんだけど」
「え、それはまずくないですか」
「……え、そんなやばい?」
「まぁ……」
「ええー?まぁ、まだ10日ぐらいはあるし」
「一瞬ですよ、そんなの」
…………いつも通り、会話できてる?笑えてる?
頬の筋肉が微かに震えるのがわかる。引き攣るとはこのことだろうか。うまい笑い方がわからない。
…………何かが違う。
さっきから何かが違うって。描いても描いても違う気がしてならない。
どうも、いつも以上に身が入らない。はーっとため息をつく。眉が寄っていたことに気づき、眉間を指でほぐす。
「尚、大丈夫?」
「え、あ、大丈夫です」
オレは壁にもたれて目を閉じた。それでも頭の中のぐちゃぐちゃしたものは、ずっと消えやしない。
「尚……」
めちゃくちゃ心配されてる。どないしよ。苦笑いしながら、とりあえず目を開ける。
「チョコ、あげるー」
「え、あざす」
チョコを渡され、反射的に受け取る。え、唐突ー。
「糖分って大事だよねー」
「そうですねぇ」
貰ったチョコを口に放る。ザクザクしてる。うまい。うまいったら、うまい。
「……今日はもう帰ったら?」
「え?」
躊躇うように先輩がそう言い、オレは間抜けに聞き返す。
「なんか、調子悪そうだし」
「でも……」
時間が足りない。足りない。どう考えたって足りない。年末までの活動できる日は今日と明日。年明けからは土日を除くから、というか宿題がまだ全然終わってないから丸々一日を部活にあてられない。
足りない。
「休むのも大事だよ」
そう先輩は言って勝手にオレの筆やパレットを片付け始める。オレはただ呆然と座っていた。
オレはこんなにも迷って、まだ帰るかどうかも決めてないというのに、なんでそうあっさりと決められる?
所詮は他人のことだからか?
筆を筆洗油で洗う先輩。
……絶対片付け方なんか知らなかったはずなのに、もう覚えたんだ。
空気を読みすぎるぐらいに、察しが良すぎるぐらいに、周りに気を配って生きてる彼女がオレの迷いに気づいていない訳がない。
……彼女にとってこの行動がオレにとっての最善なんだろう。
そして、オレはそれを享受するのだろう。
「そうですね。帰りましょうか」
オレは目を閉じ、薄く微笑んだ。
その夜。先輩からラ○ンがきた。といっても内容は大したことない。予定できちゃったから明日は行けない、と。寂しさとともに安堵してしまった。
ただ一つ、良いお年を、と直接言えなかったことが気がかりだ。
『良いお年を』
そう打ち込んで送信ボタンを押そうとしたが、止める。
年上の人に対して『良いお年を』って言うとき、敬語みたいなのって何?良いお年をお過ごしください?世間一般ではそうだとしても、オレと先輩の関係的には何かが違う気がする。かといって『良いお年を』でもなんか違和感。
まぁいいや。送ってしまえ。
送信ボタンを押した。すぐ既読がつく。
……普通にこわいよな。ここタップするだけで伝わるって。こわ。誰が生み出したんだか。
……あ、返ってきた。良いお年をって。スタンプも一緒に。あれだ、おっさんネコ。
オレはそれっぽいスタンプを送り返した。
先輩とのやり取りは、結構簡素なものだった。
溜まっている宿題にやっと手を出す。多すぎてやる気起きん。
「はぁーっ」
机に突伏すると同時にバイブ音が聴こえた。なんだ?先輩か?
『Sana.K
話したいことあって、明日時間ある?』
……誰。
通知の欄に見覚えのない名前がある。Sana。さな。さな?誰?
その通知を開く。通知に表示されていた文の前に名乗ってくれていたみたいだ。この連絡の主はどうやら河原さんらしい。
……でも突然なんだ?まさか、告白、とか。流石に自意識過剰か。
えっと明日だっけ。先輩も来ないみたいだし、まあいいか。いいよ、と。
画面を閉じ、床に寝転ぶ。ヴヴッとバイブ音が響いた。返信来たのか。早。
手放したスマホにまた手を伸ばす。
『ありがとー12時ぐらいに北門で待ち合わせて、ご飯食べながら話さない?』
てっきり話だけするのかと思っていたけど、どうやら違うらしい。ご飯一緒に食べんのか。じゃあやっぱ告白とかじゃないか。
『おっけー』
と返したら、ぺこり、と書いてあるおっさんネコのスタンプが送られてきた。最近流行ってんのか?
…………つーか、これってデート?




