45 紙切れ一枚と恋
まわりの騒音もなにも聴こえなくなって、とにかく凝視してしまう。というかせざるを得ない。
……なんだこれは。そこら中に、目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目目……………………………………………………。睨むような目、哀しむような目、喜ぶような目、憐れむような目、怒るような目、泣き出しそうな目。
一つ一つが目なのに、少し離すと大きく描かれた一つの瞳になる。
なんだ、これ。
これは……絵、なのか?それは当たり前だ。これが絵じゃなければ、なんだというのだ。でも、これは絵というより…………芸術。いや、それもどこか違う気がする。何かが違う。これは…………そうだな。もう感情そのものじゃないか。
オレは動けなかった。瞬きすら躊躇われるように、呆然とそこから目が離せなかった。
「ーーさし、尚!」
「えっ、あ」
気づくと先輩が心配そうにこちらを覗きこんでいた。
「どうしたの、大丈夫?」
「あ、うん」
全然ちゃんと受け答えできなかった。瞼の裏にまで焼き付いたこの絵が、思考を停止させていた。
「その絵……」
「あ、えっと、下に落ちてて……」
「そう」
先輩はじっとその絵を見つめた。オレは目のやり場に困り、またその絵を眺めた。
…………あ。
右下隅にS.S.と書かれているのに気づく。画家がサインするような、そういうやつだろうか。
S.S.
草間 卓
オレは食い入るようにその絵を見た。これは、草間卓の絵なのか……?あの、草間卓が近くにいる、という噂は本当だったのか?『火のないところに煙は立たない』。確か、そんな言葉があったよな。
これは、その証拠なのかもしれない。
「尚?」
「……先輩。この絵、オレの兄のものかもしれません」
「えっ」
先輩はオレの次の言葉を待つように、こちらを見た。
「これは、たぶん、草間卓の絵です」
「んーおいしいー。ね、尚」
「いや、まだ食べてないんすけど」
「ふふふふふ」
オレ達は、いや、先輩はたこ焼きを頬張っていた。
あの絵はとりあえず封筒にしまい、オレは先輩の幸せそうな顔をのんびりと眺めていた。
「あ、水ありがとうございます」
「あーいえいえ」
……そういや、河原さんに箸取って貰ったけど、一組しかなかったな。取ってこようか。
「せんぱーー」
「食べて」
目の前にたこ焼き……というか、半開きの口に無理矢理突っ込まれる。幸い、そこそこに冷めてきてるから、火傷まではないと思うが……いや、そういう問題じゃないだろ。
「どう?おいしい?」
満足気な先輩に少し怒ったような表情を作る。…………てか、いいわけ?これは漫画とかでよくある、間接キスになるんだけど。
…………いいらしい。先輩はなんの躊躇いもなく、次のたこ焼きを食っていた。気にした自分が馬鹿らしい。
「うまい」
「ねー」
たこ焼きはうまかった。久しぶりに食べたからか、目の前で先輩が幸せそうにしているせいか。とにかくおいしいたこ焼きだ。
「はい」
「え、またですか」
「うん」
先輩はまたオレの口のすぐそこまで、たこ焼きを運んできていた。カップルかよ。まぁ、いいか。
「じゃあ……」
咀嚼する。うまい。
たこ焼きを食べるオレを見て、先輩は嬉しそうだった。今度、オレも仕返ししてやる。
……にしても、先輩は気を遣ってこんなことをしているのだろうか。あの、兄の絵のことを気にしなくて済むように、わざと。
ふっ。
思わず笑みを零した。だとしたら、こんなにも気遣いが上手な奴を見たことがない。
嬉しそうに目を細めている先輩。
きっとこの人は、自分のことは二の次で、他人を大事にする人なんだろう。きっと、必要以上に。そうなったのは、彼女のあの能力のせいか、もう生まれつきなのか。どちらだとしても、尊敬に値する。
…………こんなん、好きにならない訳がないだろう。
オレは気づけば恋に落ちていた。




