37 依さん
「オレの兄は非の打ちどころがない奴なんです。でも、だからこそ初めて親に逆らったというか、『探さないで』って置き手紙だけ残して、家族と完全に連絡を絶ちました。…………オレが中2のときに」
「まもなく一番線に到着の列車ーー」
電車が来る。オレは立ち上がった。
「電車来たし、行きましょうか」
オレは笑ってみせる。でも顔が引きつっているのが自分でもわかった。
「話、最後まで聞くよ」
「…………いや、駄目だ」
心配そうにそう言った先輩に思わず甘えそうになった。でも、これ以上は時間が遅すぎる。何より自分のせいで、先輩に無理をさせたら駄目だ。テスト期間な訳だし。
「尚?」
「行きましょう」
オレは先輩の手を掴み、電車へ急いだ。
正直、愚痴というのはこれから話す内容だった。でも、何故かそこまで心は重くない。…………きっと、真剣に心配してくれる先輩の存在のおかげだろう。
先輩は優しすぎる。
他人のオレにここまでやる義理はない。…………他人。じゃあ、なんだ?オレもあの手帳にあったように、オレを助けるためにそばにいるのか?……でも、直近の11月11日以降は書いていなかった。
わからない。わからないけど、オレにとって先輩の存在が大きくなっているのだけは確かだ。
「尚、知ってるか?芸術ってのは空気を読んだら、もうそれは『芸術』じゃない。『作品』にしかなれないんだ」
「ん?うん」
「空気ってのは他人がいるから読むもんだ。だけどな、空気は他人がいてもいなくてもあるんだ。それに惑わされたら、それでおしまい」
「……兄ちゃん?」
「いや、おまえにはまだ難しかったな」
ぐしゃぐしゃと兄ちゃんはオレの頭を撫でた。見上げると、感情が感じられない瞳で遠くを見ていた。ーー恐怖を感じた。
飛び起きる。鼓動が速い。…………夢か。でもこれは過去の、まだオレが純粋に兄ちゃんを好きだった頃の話。オレはまた寝転んだ。
あの噂が出回ったせいか、こんな夢を見たのは。
…………学校、行かないと。
「はよ」
「お、草間おはよー」
「…………なんか、空気淀んでね?」
教室に入ると重々しい空気が漂っていた。なんでこんなに。テスト期間だからわかるっちゃわかるけど。
「みんな、疲れてんのさ」
「早いて。まだテスト発表2日目だぞ」
「みんな、真面目だからさ」
「そう言う小平は余裕そうじゃん」
「ふふふ…………そんなわけねーじゃん?提出物一個も終わってねーよ」
「ははっ笑えねぇ。つーか、そこオレの席。どきたまえ」
小平はオレの席を当たり前のように占領していた。オレから目を逸らし、机に突伏する。おいこら。
どく気配がない小平の背中にリュックを乗せる。
「ゔっ重っ」
「はっはっは」
中身の詰まったリュックをそのままにするのもさすがにかわいそうだったから、すぐ持ち上げる。と、すんなりどいてくれた。
「どうぞ、お座りください」
「どーもどーも。まぁ、オレの席だしな」
リュックから教科書を取り出し、机に詰める。パンパンだ…………って4stepが挟まってる。最悪だ。
「…………しわっしわ」
「なにやってんだよ、じゃばらじゃん」
「たしかに」
……このしわしわ具合は微妙に腹が立つ。うん、なんというか、おまえのことは大事にしてきたつもりだったんだけどな、4stepよ。
「おはよ、ってなにその4step。しわしわー」
「え、あぁおはよ」
「河原さん、おはー」
河原さんだ。オレの右手に握られた4stepを見て言う。
「……なんか空気重いね」
「だよな」
「みんな疲れすぎ」
3人で共感する。
「でも河原さんは何気に勉強してるでしょ」
「え、いや、してないしてない……ことはない?」
「どっちやねん」
小平が華麗にツッコむ。エセ関西弁、出てんぞ。
とにもかくにも、今はテスト期間ということだ。勉強しねぇと。アイツのために脳みそと時間を割く訳にはいかない。
放課後、先輩と合流するべく階段を下りる。確か……1組だっけ。遠めに教室を覗く。ん?あ、いたいた。
「先輩ーー」
ここにいるの、みんな先輩か。テスト期間だし、人がいっぱい残ってる。おまけに先輩は何人かのクラスメイトと仲よさげに話してるし。……あの人……葛西くん、だったか。その人もいる。仲いいんだ、やっぱり。
教室を出る人の波が途絶えたところで、教室に少し身を乗り出す。
「依さん」
先輩が目を丸くしてこちらを向いた。




