33 それ
「1年後とか、かな」
そう言った先輩に何も言えず黙りこくるオレに、先輩はほっとしたような表情を見せた。でも寂しささえも孕んでいるように見えた。
オレはこの手をなぜ離したんだろう。自分から手を離しておいて、今更繋ぎなおすこともできないまま、オレたちは時間だけを共有していた。
この距離は、縮まることがあるんだろうか。
きっと先輩は未来に起こることがわかるんだ。そう考える他なかった。タイムリープしてるからか、予知夢か何かか。なぜかはわからない。あまりに現実味がないのはわかっている。でもそう思わされるほどのことがある。
もし違っていたとしても軽いものではないのは確かだ。1年後。それを待つしか真相は突き止められそうにない。オレは先輩を見守っていようと思った。
「ひーさし」
「うわっ」
次の日、先輩はいつも通りだった。今では昨日のことが何か悪い嘘なんじゃないかと思えるくらいにいつも通りだった。距離が空くかと思っていたが、意外にもそういうことはなく、むしろ以前より近い気もする。
「絵、描かないの?」
「そうっすね、描きます」
動揺を悟られまいとすぐにそう返す。
いつものように教室の鍵を閉め、美術室への荷物を取りに行った。
「尚」
「なんです?」
「ありがとね」
……驚いた。まさかそんなことを言われるとは思いもしなかった。
「何が?」
オレはわざとわかっていないふりをし、笑ってみせた。それは先輩もわかっているようで、いろんな感情が混ざったような、そんな顔で笑った。
「あ、そうだ」
先輩は思い出したようにそう言う。
「今度は何?」
「…………いや、なんでもない」
「そう、ですか」
深追いはせず、黙ったまま歩いた。
両手にキャンバスや絵の具やら持っていたら、先輩がこちらに手を差し出した。一瞬その意図が理解できず、どきりとした。でも、その手はきっと荷物を持つよ、というだけだろう。
「ありがとうございます」
オレは絵の具とかが入った袋を渡した。カタカタ、と筆とパレットが音を立てた。
「先輩、イケメンですね」
「えぇ?」
「さらっと荷物持ったんで」
「いやいや普通でしょ」
先輩はそう言い、目を逸らした。顔は見えないのに、若干嬉しそうなのが雰囲気でわかる。こういうのにこの人は喜ぶのか。オレは無意識に、にやけていた。
「この絵、いつまでに完成させるんだっけ」
「確か年明けの、10日とかだった気がする」
先生が言っていたことを思い出しながら言う。10日で合っていたとしても、年越しは何にも追われること無く平穏に過ごしたいというのが本音だ。そのために早く絵を進めないといけない。
「そっか。冬休みも来る?」
「あぁ、はい。この進捗だとほぼ確定で」
「はははっ。そうか。じゃあ私も来ようかな」
「え、寒いのにわざわざ?」
驚くとともに若干引いた。来る必要もないのに寒い中、この人は来るというのか?頭おかしい。反射でそう思う。
「まぁ、自習もしたいし」
「なるほど」
納得したふりを適当にしながら、オレは来なくていいなら学校なんぞわざわざ来ないな、と思った。
「尚の完成した絵、一番に見るのは私だから」
子どものような顔をして先輩は笑った。それをただかわいいと思った。
「大学とかって決めてるんですか?」
「とりあえず志望校書いて出さないかんかったから……一応決まってはいるんかな」
歯切れが悪い。まだ迷っているように見える。
「学部とか聞いてもいいですか?」
普通に気になって聞いてみた。
「工学部」
「おお、かっこいい」
「そう?私はカッコよくないけどね」
へへっと笑った。
工学部か。総合の授業で調べたな。どうだっけ。材料とか建築とか、あとは機械とか、か?
「建築」
「え?」
「建築、行こうかと思って」
先輩は袋を肩に掛け直してそう言った。その横顔に迷いが窺える。
「いいんじゃないですか」
「……なんで?」
ちらっとこっちを見て笑う先輩。ヘタなこと言えないな、と思う。
「建築って将来的には人と関わること多いだろうけど、先輩は話すの上手いし。あとはコツコツ作業すんの得意そうだし」
思ったことをそのまま言う。
「絵、下手だけど?」
「建築は絵とは違いますよ、たぶん」
オレもよくは知らないから曖昧に言った。でもきっとそうだろう。絵が上手いからといって、図面やら模型やらが上手くできるとは限らないんだから。
「じゃあ、私でもいけるか」
先輩は冗談めかしてそう言った。オレも軽く返す。
「好きなんだったらいけますよ」
うん、とか返されるかと思っていたが、何も返ってこない。横を向くと、曖昧に微笑んでいた。あれ?と思う。先輩は何を考えているんだろうか。
朝、学校に行くと靴箱の近くに先輩の姿を見つけた。先輩、と声を掛けようとしてーーやめた。
先輩の隣に立ち、『それ』を一緒に眺める。
「あ、尚」
「はやざいます」
「はよー」
こっちを見た先輩はまた『それ』に視線を移す。大きな大きな圧倒的な絵に。芸術に。
「めっちゃ上手いですよね」
にこっと先輩に笑う。こうすべきだとなんとなく思ったけど、自分の笑い方にとてつもなく違和感を覚えた。頬の筋肉が痛い。所謂作り笑いだ。
アイツなら、こんな顔はしないよな。
意図せず睨みつけるように、『それ』を見上げた。




