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天才の弟  作者:
32/81

32 今は

 今日は11月11日。時刻は16時06分。場所は階段。正面に3Fと示されている。記憶を遡る。

 あの手帳。先輩の手帳。あそこにはなんて書いてあった?確か…………

 11月11日 16時05分 2〜3 階段

 オレの記憶通りなら、あの手帳に書いてあったことはこのことだったように思える。ただの偶然の一致かもしれない。むしろそう思いたい。ーーでも。そうじゃないとしたら。先輩の青ざめた顔。あれは何を表していたというのだ。

 目の前で先輩たちが何かを話している。それすらもどこか遠くの情景のような、意識が朦朧としたような、変な感覚。

「先輩」

 先輩を呼ぶ。青ざめた顔は少し温かみをはらんだように見え、安心したように笑う。

「怪我、してない?」

 オレは頷く。それでもう精一杯だった。オレの頭は先輩のことでもうキャパオーバーだ。

「あの!」

 すぐ横から声を掛けられる。落ちかけていた女子生徒。胸の緑のバッジが目に入る。2年生か。今更だけど先輩であったことに気づく。

「ありがとうございます」

「いえ、全然。怪我ないですか?」

「うん、大丈夫」

 彼女は思いきり頷いた。ひとまず良かった。そろそろ別れどき、というか本来なら関わることがなかったんだから、この場を去ろう。

「先輩、行きましょう」

「うん……」

 オレは歩き出す。あ、手ぶらだ。先輩に本持っててもらっていたんだった。先輩を振り返る。

「先輩?置いて行きますよ」

 先輩はぼんやりとして動いていなかったが、はっとしたように顔を上げ、あの女子生徒に手を振り、早足でこちらに来る。

「ごめんごめん」

 横に並ぶ。足を踏み込むタイミングが合う。

「本、ありがとうございます」

「えっ?ああ、全然」

 先輩から本を受け取る。触れた手が酷く冷たかった。思わず動きを止める。

 先輩はそれを不思議そうにことらを覗き込む。

「どうかした?」

 口調こそいつも通りだが、まだ表情は引き攣ったままだ。

「嫌だったら拒絶してください」

 せめてもの理性でそう言うと、左手で先輩の右手を取る。拒絶される感じがなかったから、そのまま覆うように、逃がさないように手を握った。力を入れると、今にも壊れてしまいそうな手だった。その手を壊してしまわぬように、ゆっくりと歩き始める。

 冷たいままの手だけど、力が抜けたのがわかる。良かった。嫌がられてはいない。このまま、このままで。

「…………尚、荷物は?」

「んー」

 オレは曖昧に笑う。荷物を置きっぱなしの4階を通り過ぎ、そのまま屋上前の踊り場に向かう。先輩は何も言わずについてきた。

 オレたち二人の足音だけが響く。遠くの喧騒も気にならないくらいに。


 着いた。

 オレはゆっくり先輩の手を離した。気づけば先輩の手も温かくなっている。…………体温みたいに、何でも分け合うことができたら。そんなことを無意識に考えていた。

「先輩」

「なに?」

「先輩は…………なんか、隠してるよね」

「…………」

 こんなことを言ったって先輩は口を割らないだろう。聞いてほしくないときはいつも圧がある。もっとも無意識かどうかはわからないが。

「前にさ、先輩言ってましたよね。『自分の気持ち正直に言えるのは強い』って」

「……言ったかな?」

 とぼけている。先輩と目が合わないし。

「オレは、先輩のことが知りたい」

「もう十分知ってるでしょ」

 先輩は斜め下を見ながら言う。まったく目が合う気配がない。

 思っていたよりもこの壁は厚いのかもしれない。

「全然知らないですよ」

「そんなことない」

「じゃあ、なんなんですか。さっきの青ざめた顔は」

「それは…………」

 先輩は口籠る。やっぱり何かあるんだ。

「そんなに、オレには言えないことなんですか?」

「……………………」

 ずるい言い方をした気がする。でも、そうでもしないと何も言わないだろう?なぁ、言ってくれよ。

「先輩…………」

「言えない、今は」

 やっとこっちを見て先輩は言った。その顔に嘘なんか見えない。透き通った瞳をしている。でも、先輩だってずるいな、それは。

「今はっていつまで?」

「今日はやけに押しが強いね、尚」

「はい。こればっかりは」

 絶対に引けない。先輩は何かを抱えている。そしてーー消えそうだ。これは自分の勝手な感じ方だが。

「1年後とか、かな」

 先輩は泣きそうな顔でそう言い、笑った。

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