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第五章 「不協和音」

 ——歌ったらいいんじゃないかな。そういう、迷いとか苦しみとか優しさとか感謝とか「ごめん」とか「頑張れ」とか全部こめて。


 だってそれが、一番伝わるやり方だから。

 だって彼女は、そうしてくれたから。


 ——だから俺は、始まりの日に帰る。

 まだ何も始まっていないようで、すべてが起こっていたあの瞬間。

 君を想うなら、この瞬間から奏でたい。

 そんなイントロから始まるこの歌が、俺に刻むこの歌が、

 君の歌にもなったらいい——


 ——D.S.(Dal Segno(ダルセーニョ)


     *


 『聖火』のミュージックビデオを公開してから一日、ゴールデンウィーク初日。特に予定もなかった俺は、自分の部屋のパソコンで公開された弦華のMVを見返していた。

 現在の再生回数は百いかないくらい。他のSNSを使って宣伝しているわけでもないので、まあ順当な数字だろう。けれど、その再生数でも「いいね」が六件ついていて(そのうち三件は俺たち自身なわけだが)、そういう意味では悪くない滑り出しだと思う。

 実際弦華(いとか)は、数回でも見ず知らずの人が再生してくれたことをとても喜んでいた。しかも、そのうち三人はリアクションまでくれたのだ。弦華は大喜びし、俺もなんだか嬉しかった。

 ——ピロン。

『再生数伸びてる〜!』

 俺、弦華、絵梨歌の三人のグループで、弦華がいう。

 俺は「おめでとう」の代わりにスタンプを送る。

『宣伝とかしないの? 友達とかに』

 送ったスタンプに対する既読が二になり、絵梨歌が会話に加わる。

 どうやら皆、予定はないらしい。絵梨歌はともかく、弦華は少し意外だ。

『うーん、一応秘密にしてるんだよね笑』

『本名なのに?』

『本名なのに笑』

 会話はそこからしばらく続き、活動用のSNSアカウントを作ってみることが決まったあたりで終わりを迎えた。

 一応俺は、フォロワー五千人くらいの『秀叶』の活動用アカウントを持っている。もう長い期間動いていないとはいえ、そのアカウントを使えば今よりも多くの人に届けることができるだろう。

 だが俺は、それはしなかった。多くの人に広まるのは、必ずしも良いことばかりではない。自分の経験も踏まえて、今はこれでいいと思っていた。期待以上に緊張や不安を抱いている今、顔を出したばかりの若い芽は、安易に踏み潰されないようにすることの方が大切だと思った。

 顔といえば、『弦華』はMVで顔を出していない。姿こそ出てはいるものの、見切れていたり、背を向けていたりと、顔は見えない形になっていた。それは弦華自身の希望。彼女も、自分にとってのバランスを探しているのかもしれない。

 ——ピロン。

『再生数100回いった〜‼︎(キラキラ)』

 ……まあでも、彼女ならそんな心配もいらないのかもしれないな。

 視界の端に映ったジンバルを見て、俺はカレンダーアプリに『凛音(りんね) ジンバル返す』と入力した。


 ——事件が起きたのは、学校が始まる日の前日——ゴールデンウィーク最終日、日曜日の夜だった。


 ——ピロン。

 明日から再開する登校に向けて準備をしよう——とするでもなくギターを触っていた俺は、スマホ通知音をオフにしようと立ち上がった。

 初日は何もなかったゴールデンウィークだったが、なんだかんだ騒がしいゴールデンウィークだった。一切予定にはなかったのだが、弾丸で男友達と出かけたり、急に思い立って一人で遠出したりと、意外と充実した五日間だった。

 そんなこんなであっという間に過ぎたゴールデンウィークを経て、弦華の動画の再生数は予想以上に伸びていた。五日間で再生回数は二千回を超え、わずかだがチャンネル登録者もついた。動き出したばかりのツイッターアカウントで、弦華が百回おきに再生回数の報告をしているのはなんだか面白かった。

 あれだけ頑張って作り上げたMVが何度も再生され、真剣に取り組んだ結果に喜びを感じている弦華をみるのは、なんだか嬉しかった。このままのびのびと、大きく羽ばたいていってほしいと、そう思った。

 ——だから、そのメッセージを見た時、俺は反射的に不安を抱いてしまった。

 自分を守るための毒を持ち合わせていない彼女に、牙がかけられたように感じてしまった。

 それは、クラスのグループラインに送られてきたメッセージだった。


『これ弦華??? (『聖火』のリンク)』


 差出人は弦華とは別のグループの女の子。弦華と同じくクラスで人気のある人物の一人である。

「——っつ‼︎」

 俺は思わず、奥歯を強く噛み締めた。

 ——ダメだ!

 反射的にそう思った。言い表せない不安があった。あえて言葉にするならそれは、「まだ早い!」という言葉だった。

 まだ小さく繊細な炎、それ大事に大事に守りながら、その熱で作りあげたのが『聖火』である。その熱は大きな炎にもまさるかもしれないが、その反面とても揺らぎやすい。弦華自身、それはわかっていた。だから、最初から誰にも打ち明けなかった。だから、友達にも内緒にしたままにしていた。

 だから、こわかった。こんな形で秘密がバレて、弦華は今なにを感じている? どんな表情をしている? いつものように、笑えているだろうか?

 ——バカらしい。今さら、あの笑顔が思い出せないことを悲しく思うなんて。

 だがそれでも、願わずにはいられなかった。これはきっと、弦華が勇気を出した結果だと。きっと弦華が、自分で話す覚悟をした結果だと。並べられた「(クエスチョンマーク)」を視界に入れながら、俺はそんな淡い期待をし続けていた。

 グループでは、発言力の高い一部のクラスメイト達が次々に反応を示している。「ほんとだ! 弦華だ!」とか「すげ〜」とか「見てみる〜」とか、内容自体は好意的なものばかりだ。弦華はクラスの人気者、当然だ。


 ——だがそれでも、その日、弦華がこの会話に加わってくることはなかった。


 

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