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最悪な誕生日

「なぁ、トウヤ、なにか欲しいものないか?」

 

 コーヒーのゆげと、ひろげた新聞の向こうから、父さんがぼくにたずねた。なんでもないことを聞くように、ちょっとした朝のだんらんをよそおっている。毎年、このじきになると、父さんはおなじことを聞いてくる。


「ちょっと!」


 キッチンから、母さんがするどい声をとばす。よけいなこと聞かないで、と言いたいのが、ありありとわかる。これも毎年おんなじだ。

 どういうことかって?

 明日は、ぼくの七歳の誕生日。

 兄さんと姉さんの誕生日も、おなじ七月だから、父さんと母さんは、毎年ぎりぎりになってぼくのプレゼントを準備する。

 父さんは、ぼくの欲しいものを買ってくれようとする。ぼくがもらって喜ぶものを、こっそり聞きだして、サプライズしてくれるってわけ。まあ、バレバレなんだけど、とってもうれしい。

 やっかいなのは母さんだ。母さんは、ぼくに秘密で、センスのいいプレゼントを準備したいらしい。おととしは、ショッキングピンクの花がらハンカチ。去年は、ウサギのぬいぐるみだった。しかも、ウサギの洋服には、『愛をこめて。お母さんより』とししゅうつき。まったく、最高のセンスじゃないか! 

 しかも、ぼくがぬいぐるみを持っていないと寂しいと思ったらしく、これで遊んであげてください、と幼稚園の先生にあずけたのだ。おかげで「うさちゃんトウヤくん」という最低のあだ名がついた。はやく忘れてしまいたい。

 小学校に入学して三か月、いまはすごく大切な時期だ。イケてるやつ、と、さえないやつ、が明確になろうとしている。ぼくは暫定でイケてるほうだけれど、かっこいい誕生日プレゼントでクラス一番の人気者になりたいと思っている。


「父さん、ぼく、兄さんとおなじゲーム機がいいな。クラスで買ってもらった子がいっぱいもいるんだ。放課後にみんなでゲームやって遊ぼうって。ゲーム機がないと仲間はずれにされちゃうよ」

 

 身をのりだして、父さんから新聞をうばい取った。

 まあ、「いっぱい」といっても、実際はふたりだ。でも、ぼくは知っている。親は子供が仲間外れになるのを、なにより気にするんだろ。やさしい父さんには効果てきめんのはず。


「だめよ」


 返事をしたのは、やっぱり母さん。

 となりで、焼きあがったパンを食べながら、兄さんと姉さんがにやにや笑っている。ぼくと母さんの戦いをおもしろがっているに違いない。どうせ、予想は、母さんの勝ちだろう。

 ぼくは、むっとしていった。


「父さんにお願いしてるんだよ。母さんには関係ないじゃないか」

「あら、残念ね。関係おおありよ。うちでは、お金の管理は母さんの担当なの。あんな高いゲーム機買おうものなら、むこう三年間、誕生日もクリスマスもプレゼントはなしよ」


 母さんがキッチンから顔だけだし、ぴしゃりといった。


「父さん!」


 ぼくは、父さんに「お願い」とうわめづかいで視線を送った。母さんは「あなた、断りなさい」の視線で対抗してくる。

 父さんは、ポリポリと頭をかいた。


「……まぁ、うん、ゲーム機は少しはやいかもな」

 

 ちくしょう、母さんの勝ちだ。

 ぼくは天をあおいでから、母さんをにらみつけてやった。母さんは、勝ちほこった顔で、ウインクをとばしてくる。くそう、むかつく!


「なんで兄さんは良くて、ぼくはダメなんだよ。けちんぼ!」


 いらだちを父さんにぶつける。

 父さんは、ぼくから視線を外はずして、わざとらしくコーヒーをすすった。

 うちでは、父さんよりも、母さんの立場が強い。次に姉さん。兄さん、ぼくと続いて、最後に父さんだ。尻にしかれる夫ってやつ。つい昨日も、父さんが母さんに内緒で、お高いプラモデルを買ったのがばれて、一時間以上も説教をくらっていた。

 もう一機かくしてあるのを知ってるんだからな! 明日、そのプラモデルが母さんに見つかって、こなごなにされることが決まったぞ!


「トウヤ、あきらめろって。おれが七歳の誕生日に何もらったと思ってるんだ?」


兄さんが横から口をだす。


「竹刀とか?」


 兄さんと姉さんは、むかしから剣道をならっていて、いまは、中学の剣道部に入部している。たしか、はじめたのは小学校に入学したころといっていた。


「いいや、クレヨンだ」

「なんだって?」

「だから、クレヨンセットだよ」


 最悪だろ、と兄さんは、片方のまゆげを持ちあげる。

 ぼくは、我慢できずにプププと笑い声をあげた。楽しみにしていた誕生日にクレヨンセットをもらって、目が点になる兄さんを想像してしまったのだ。


「なによ。クレヨンセットに文句でもあるの」


 母さんが、あつあつのコーンスープを、兄さんの前にいきおいよくおいた。しぶきが飛んで、あっと兄さんが手をひっこめる。


「母さん、文句なんてあるわけないじゃないか。まったくもって最高のプレゼントだったよ。いやなことといったら、一年間、あだ名が『クレヨン』になったことくらいかな。そうだ、トウヤへのプレゼントは色鉛筆セットなんかどう?」


 どうやら、兄さんもぼくとおなじ思いをしていたらしい。

 姉さんがスープをふきだした。ティッシュをとってやると、ありがと、といって受け取った。そして、口元と机をきれいにふきながらいった。


「クレヨンってあんたのことだったの?」

「そうさ」

「給食時間の放送で『今日の曲は一年三組のクレヨンのリクエストです』って流れてたわ。かわった名前の外国人がいるって、みんなでうわさしてたのよ」

「弟が人気者で姉さんも鼻が高いだろ」


 兄さんは、ふんっと鼻をならす。

 ぼくと姉さんは、けらけら笑うけれど、父さんだけは心配そうに兄さんを見つめていた。兄さんが学校でいじめられている、とでも思ったのだろう。

 でも、けっしてそんなことはない。兄さんは、まわりを笑わせる天才。ムードメーカーってやつだ。いつだってクラスの中心にいる。一方、姉さんは、勉強も、運動もできて、みんなの「高嶺の花」らしい。意味はわからないけど、すごいってことだろう。ふたりの友達が家に遊びにくると、こぞってふたりをほめそやす。

 ふたりとも、ぼくの自慢のきょうだいだ!

 ふと、色鉛筆セットね、とつぶやく母さんの声が聞こえた。

 ぼくはあわてていった。


「か、かあさん、ゲームはあきらめるよ」

「あら、どうしたのよ。今日は、ずいぶんものわかりがいいじゃない?」

「うん。いい子だろ? だからさ、お願いだから、兄さんの冗談をまにうけないでよね。そうだな。うーん。かわりにサッカーボールがいいかな。あとサッカーシューズと、トレーディングカードセットと、ほかには――」


 サッカーボールは名案かもしれない。学校の昼休みには、クラスの男子でサッカーをすることがおおい。ぼくは、昼休みのヒーローで、このまえなんか、となりのクラスとの対抗戦でハットトリックをきめた。入学してから気がついたけれど、ぼくは運動がだいの得意らしい。そろそろ、サッカーチームにはいろうかと思っている。

 兄さんは、剣道をすすめてくるけど、まっぴらごめんだ。兄さんは、母さんの花教室を、花をつきさしているだけ、とバカにしていた。けど、ぼくにとっては、剣道も、棒をふりまわしているだけ、だ。きっと、将来はサッカー選手になっているに違いない。


「ひとつにきまっているでしょう」


 母さんはやれやれという感じでいった。


「えー、じゃあこれでいいや」


 ぼくは、リビングのすみにかざってある刀を指さした。

 さやも、つかも、まっ黒な刀。まんなかに金色で家紋がえがかれている。

 毎晩、みんなはこの刀に祈りをささげている。兄さんと姉さんは、さぼるときもあるけれど、父さんと母さんは一日だってかかさない。一分くらい、じーっと固まって両手をあわせている。毎日、毎日、よくやるもんだ。

 もちろん、ぼくはしていない。

 だって、バカバカしいじゃないか。

 それに、母さんが祈っているあいだはチャンスなんだ。台所に走っていき、おかしの袋をあけ、口につめこむ。のみこんだ頃にちょうど祈りがおわる。バレるのは、二回に一回。まぬけな母さんは、すべて見つけて、しかっているつもりだろう。

 ちなみに、ぼくが祈ったのは二回だけ。

 姉さんの大切にしていたくしを折ってしまったときと、母さんのワインボトルをバットがわりにして割ったときだ。どうかばれませんように、と必死で祈ったのに、あっという間にばれた。そのあと、こってりしぼられたのは、いうまでもないでしょ。


「これ、すごく高そうだよね。うっぱらってお金にかえるよ」

「こらこら、罰あたりだぞ。それは、わが吉備家に代々受けつがれてきた、うちの家宝なんだ」


 父さんがコーヒー片手に、苦笑いしながらいった。


「なんでも、おおむかし、鬼の王様をたおした刀らしいんだよ」

「へー」

「さては信じてないな。うんうん。父さんもそうだったなあ。それ、ぜんぜん抜けやしないから、バットがわりにして遊んでたんだ。じいちゃんに見つかって、二日間もくらに閉じこめられたんだよな。それからだよ、刀の伝説を信じるようになったのは」


 父さんは、なつかしいな、と遠い目をしながらいった。

 それって、虐待ってやつじゃないだろうか。もし、あの、まっ暗で、虫だらけのくらに閉じこめられようものなら、頭をかかえて泣きさけんでしまう。

 じいちゃんも、ばあちゃんも、みんな亡くなってしまっている。父さんのほうのじいちゃんは、二年前に亡くなった。ほとんど記憶にないけれど、ご先祖さまの話をしていたことだけは覚えている。吉備家はゆう所正しい家なんだ、と口癖のように言っていた。


「人の大切なものをバットがわりにするなんて、とんだ悪ガキもいたものね」


 母さんが、ぼくと父さんを、きっとにらみつけた。

 ま、まあ昔の話だけどな、と父さんがどもる。

 ぼくは、母さんの視線に気づかないふりをして、父さんにきいた。


「これ抜けないんだね。さびついてるんじゃない?」

「うん、どうだろうな。いい伝えでは、その刀にふさわしいものにしか、抜けないらしいぞ。父さんは選ばれなかったってことなんだろうな」


 父さんが肩をすくめる。

 兄さんが口をはさむ。


「いやいや、さびてるだけだって。おれと姉貴もためしてみたけど、びくともしなかったんだぜ。強いやつが選ばれるっていうなら、おれが選ばれないはずないだろ?」


 兄さんは、にやりと笑って、剣道の面をうつジェスチャーをした。


「あんた、全国大会じゃ、ダメダメだったじゃない」


 姉さんがちゃちゃをいれる。


「なんだと!」


 兄さんは、先月、全国中学校剣道大会の初戦で負けてしまったのだ。兄さんに勝った人が優勝したのだから、相手が悪かったのだけれど、かなりくやしかった。

 当日の朝、かあさんが「勝つためにカツをたべろ」と言って、やまもりのカツ丼を兄さんに食べさせた。兄さんは、そのせいで胃もたれしたのだと言っていた。

 兄さんと姉さんが、ワーワーいいあっていると、父さんが立ち上がった。


「おっと、そろそろ時間だ。お前たちもだろ?」


 父さんは、ネクタイをピシッとむすんで、ジャケットをはおった。仕事に行くときの父さんは、けっこうかっこいい。大人の男って感じだ。

 兄さんと姉さんも、バタバタと準備しだした。


「じゃあ、母さん、トウヤ、行ってくるな」


 父さんが玄関にむかい、兄さんと姉さんもそれを追った。

 あーあ、結局、今年のプレゼントも母さんが決めることになるのかな。色鉛筆だけは、かんべんしてほしい。「色鉛筆くん」なんてあだ名がついたら、きっと、ぼくは、はずかしくて学校に行けやしない。


「トウヤもはやく準備しなさいよ」


 母さんが皿を洗いながらいった。


「はーい!」


 あと二十分もしたら、集団登校の時間だ。そのまえに持ち物を準備して、母さんに確認してもらわないといけない。母さんの確認なんていらないのだけど、保護者面談で先生から忘れ物が多いといわれたらしく、一か月は母さんチェックを受ける約束になった。

 先生め、よけいなことをしてくれたな!

 ランドセルを取りに行こうとして、ふと足が止まった。

 刀に目がとまる。

 鬼の王様をたおした伝説の刀。

 そんなもの、ただのおとぎばなしだ。信じちゃいない。どうせ、おじいちゃんのおじいちゃんくらいが、見栄をはって思いつきでつくったものだろう。

 でも、正直、かっこいい。ぼくが選ばれたら? 伝説の刀に選ばれた、最強の鬼狩り。世にひそむ鬼を、ばっさばっさと切りたおし、世界の平和を守るヒーロー。

 そばによって、じっくりと見る。黒光りしているさやが、ぼくをにらみつけているみたいだ。持ちあげてみると、ずっしりとした重みを感じる。おっとっと。危うく落としそうになってしまった。そのとき——。

 ドクン。

 刀がみゃくうったような気がした。

 気のせい、だよね?

 どうしよう。

 怖くなってきた。

 もう少し、まじめに考えてみた。

 もしも、もしも、本当に刀に選ばれてしまったら、とんでもない戦いに巻きこまれてしまうのではないか? 映画のヒーローのようではなく、はじめての鬼との戦い、出会いがしらにぱくりと食べられて、開始五分でバッドエンド、なんてことにはならないか?

 うでのなかの刀をじっとみつめて、そっと、もとあった場所に返しておいた。

 いつでもためせるのだから、また今度でいいや。

 そして、家を出たころには、刀のことなどすっかりと忘れていた。



 次の日。

 土曜日で学校は休みだった。

 週末は、家族ですごすことがほとんどだ。映画にいったり、買い物にいったりする。たまに、友達家族と一緒にキャンプにもいくこともある。兄さんはいやがって、ぎゃあぎゃあわめくけれど、母さんの考えでは、「平日は友達との時間。週末は家族との時間」らしい。毎回、兄さんをひきずってつれていく。兄さんも、なんだかんだで楽しむのだ。

 ぼくは不満なんてない。兄さんや姉さんは、よく遊び相手をしてくれるし、父さんとは週末しか遊べない。だから、週末がまちどおしい。

 でも、今日はちがった。母さんから、友達と遊んでくるようにいわれ、追いだされるように家をでた。ベッド下に、かざりつけのおり紙と風船をみつけた。ぼくがいないあいだに、パーティーの準備をするのだろう。

 ぼくは、そしらぬ顔で家をでてあげた。それが大人ってものだろ?

 友達と遊ぶ約束もなかったので、近くの公園に行ってみた。クラスメイトが毎週ここでサッカーをしていると話していたからだ。やっぱり、何人かあつまっていて、よろこんでぼくを仲間に入れてくれた。

 あんまりに楽しいもんだから、時間を忘れて、どろんこになってサッカーをしてしまった。あかあかとした太陽がゴールと重なる位置に見えとき、ぼくはぎょっとした。

 やばい! 五時までに帰ってくるように言われているんだった。

 みんなにバイバイをいって、あわててかえった。

 これが昨日だったなら、母さんの怒声がうかんできて、足どりが重くなったはずだ。でも、今日はちがう。ふとした瞬間に、口元がゆるんで、スキップまでしてしまう。

 だって、誕生日なんだから!

 一年でたった一日、母さんがなんでもゆるしてくれる日。

ちょっとした小言はあるかもしれないけれど、どうせ形だけだ。すぐに、電気を消して、ろうそくに火をつけて、聞きなじみのある曲を歌ってくれる。兄さんと姉さんの誕生日にも歌ったのだから、今月で三度目。

 父さんのおんちな歌声を想像すると、にやにやが止まらなくなってしまった。すれちがう人には、頭のおかしな男の子、と思われているかもしれないけど、かまうもんか。

 ぼくは、口笛をふきながら、家の門をあけた。一軒家の白いかべを夕日がにぶいオレンジ色にそめあげている。

 ぎー、と耳ざわりな音をたてて門がしまったとき、あれ? と思った。

 こんなに静かだったっけ?

 なんだか、不吉な感じがする。

 心臓が一度だけ、とくん、と大きくなった。

 おそるおそるドアノブに手をかけたとき、もう一人の自分が、開けるな、とさけんだような気がした。どうしてかはわからないけど、見なれた木目の悪魔が、あけたら後悔するぞ、とでもいいたげに見つめてきているようだった。

 となりの家のおばちゃんを呼んでこようか? 家にはいるのが怖いから一緒に来てくれませんかって? いやいや、大笑いされてしまう。あの人、まるで、ぼくが赤ちゃんみたいに接してくるから苦手なんだよな。

 ぼくは、変な考えをふりはらって、しずかにドアを開いた。

 家のなかにたまっていた、生あたたかい空気が、むわっと体中をつつむ。外も十分暑いのだけど、それとはまたちがった、気持ちの悪い温かさを感じた。

 むせるような鉄くさいにおいが、鼻をぬけ、肺の中にはいってくる。

 うっ、とうめきそうになった。

 呼吸がはやくなる。

 はぁ、はぁ。

 自分のはく息がひどく大きく感じる。

 くつを脱いで、ゆっくりろうかを進む。

 ただいま、とは言わなかった。声をだしてはいけない気がした。

 リビングのドアのすきまから、光がもれだしている。なかからは、天気予報のお姉さんの声がはっきりと聞こえてくる。


「明日は、太平洋がわを中心に雨が強ま――」


 父さんのつまらない冗談も、母さんの小言も、兄さんと姉さんのくだらない言い争いも、聞こえない。

 ひょっとして、みんなで誕生日ケーキでも買いに行っているのだろうか? カギもかけずに? そもそも、くつは、きれいにそろえられていたじゃないか。

 おかしい。ぜったいに変だ。

 ぐちゃり。

 そのとき、リビングのむこう側から、なにかをつぶしたような、不気味な音がきこえた。

 ドアのすきまからのぞいても、角度がないせいで、なにも見えない。

 一度、大きく息をすう、そして、はく。

 意をけっして、ドアをあけはなった。


「――え?」


 そこは、地獄、だった。

 まず、目にはいったのは、兄さんと姉さん。二人ともソファーでからみあっている。テレビを見やすい二人のお気に入りのソファー。リビングにいるときは、いつだって二人でこのソファーをじんどっていた。いつもどおり場所にいるのだけど、それ以外のなにもかもが、いつもと違っていた。

 兄さんの首は、ねじれて反対側をむいていて、ぼくには後頭部しか見えない。体はこっちをむいているのに、頭はこっちを見ていない。とてつもない違和感。それに、右うではソファーのしたに転がり、肩から流れた血が、ポタリ、ポタリ、とむごたらしい血だまりをつくっている。

 姉さんは、胸もとから、へその下までぱっくりと割れていた。ぞうもつがそっくりなくなっていて、まっ赤な腹の内がわがきれいに見えている。兄さんとちがい、姉さんの顔は正面から見えてしまっている。これでもかというほど、口とまぶたを大きくひらき、苦しげな表情をうかべている。助けをよんだのか、それとも、痛みで悲鳴をあげたのか。

 だめだ。わけがわからない。

 なにが起きているのか見えていても、なにが起きているか理解はできない。眼球からはいる情報が、脳まで伝わってないみたいだ。

 視界がぐらぐらゆれる。それとも体がゆれているのか?

 息をいくらすっても、空気が肺にはいってこない。

 Tシャツが汗でべっとりとはりつく。

 はぁ、はぁ、はぁ。

 とにかく、父さんと、母さんを探さないといけない。そう思った。

 思ったやさき、父さんが見つかった。というか、最初から目の前にいた。ダイニングテーブル横のイスにすわり、頭をホールケーキにつっこんでいる。たぶん、ぼくの好きなショートケーキだと思う。いや、姉さんが好きなラズベリームースケーキか? 首元からとびちった、おびただしい量の血で真っ赤に染まっていて、よくわからなかった。

 テーブルには、ほかにもいろんなものが置かれていた。今年のワールドカップで使われた人気モデルのサッカーボール。たぶん白色だったサッカーシューズ。ぼくが大好きなトレーディングカード。それと、かわいらしい動物の絵がかかれた、センスのない色鉛筆セット。

 それを見た瞬間、奥の和室から、ぐちゃり、とまた音がした。

 母さん?

 音を立てないように和室に近づき、引き戸のすきまから中をのぞく。

 カーテンをしめきった、うす暗い部屋のなかには、動いている人がいた。

 男が二人、女が一人。

 二人は立っていて、男が一人、しゃがみこんで、何かにむしゃぶりついている。どろっとしたものをすくって、口から液体をたらし、ぐちゃぐちゃと行儀悪くかぶりついている。

 そいつが顔をあげたとき、リビングからの光が口元にかさなった。そして、食っているものがなんなのか、横たわっている人が誰なのか理解してしまった。

 母さんだ!

 耳がキーンとした。

 一瞬おくれて、ぼくが絶叫したのだとわかった。

 ひざがガタガタふるえ、立てなくなった。尻もちをついてしまう。

 はやく逃げなければ。交番にかけこもう。いや、110番か? いやいや、こいつらをほおって逃げ出すのか? 武器をとりにいけ。キッチンから包丁をもってこい。無理だ。三人もいるんだぞ。そもそも何者なんだ? 強盗? 殺人鬼? とにかく動けってば。なにをするんだ? ああ、どうすれば——。

 頭はぐるんぐるんと回っているのに、体はまったく動かなかった。わけのわからない声であえいで、あしをばたつかせただけ。

 すっと引き戸がひらいて、母さんを食べていたおおがらな男、さらに、若い女がでてきた。

 男は、いままでみた誰よりもおおきかった。天井に頭をぶつけてしまいそうだ。いやらしいく笑う顔の下半分は、まっ赤にそまっている。口が三日月のようにひろがり、白くとがった歯をむき出しになっている。

 女は、白かった。肌も、服も、髪も、ぜんぶ白い。血まみれの家のなかで、たった、いってきすら血をあびていない。きゃしゃでモデルみたいなたたずまいが、血だらけの部屋に似合わず、とても気持ち悪い。

 ただ、そんなことよりも、あきらかにおかしいところがひとつ。

 ぼくは二人のひたいを交互に見つめた。

 つの、だ。

 男は一本。女は二本。ひたいから、つのが生えている。節分に幼稚園の先生がつけていたような、子供だましのおもちゃじゃない。体の一部としてある。まがまがしく、おぞましいつのが生えている。その姿は、まるで——。


「……お、おに?」


 がちがちとなる歯のすきまから、うらがえった弱弱しい声がでる。

女は、表情のない顔でぼくをみおろし、


「デザイア様、まだ子供がいたようです」


 と、和室のなかの男に声をかけた。


「殺せ」


 和室の中の男が、一言だけ言葉をかえした。その声は、この世の悪いものを全部につめて、めちゃくちゃに混ぜこんだような、暗く、冷たく、おそろしい声だった。

 はい、と女はこたえると、しゃがみこんで、するどい爪をぼくの首にあてようとした。動くことも、声を上げることもできない。爪を目で追うことしかできなかった。

もうだめだ、と思った。それと同時に、この地獄からぬけ出せる、みんなと同じところに行ける、とも思った。

でも、それを、もう一人の男が止めた。


「ちょっと待て」


 男は、のぶとい声をだして、女のうでをつかみあげる。


「邪魔しないで」


 女はいらだったようすだ。


「おれがやる。お前は簡単に殺しすぎだ」

「嫌よ、ジルー。あなたのいたぶるやり方、きらいだわ」


 女は、男のうでをはらいのけ、またぼくにむかって手をのばす。


「メリア! いいかげんにしろよ。なんども楽しみを奪いやがって」


 ジルーとよばれた大男がどなると、メリアという女が動きをとめた。


「楽しみ?」

「ああ、そうだ。楽しいね。おれたちはそういう生き物だろ? 人間をいたぶるのは最高のごらくだ。生きたまま内臓を食われているときの、こいつらの悲鳴なんて格別だね。さっきもそうだった。女の悲鳴が歌声のように脳にひびいてた。なのに、なのに、お前がそれをうばった! 一回であきたらず、二回もだ! おれの獲物をかってに殺しやがって!」


 メリアは、わめきちらすジルーをひとにらみすると、すっかり無視してぼくにむきなおった。そのひとみの奥にあるのは、悲しみか、それとも、罪悪感か?


「すぐに楽にしてあげるわ」


 やさしげに言ったメリアのうでを、ぼくはたたきつけた。

 いま、ぼくの頭のなかでは、ジルーの言葉がループしてた。

 この男はなんていった? 

 楽しかったといわなかったか?

 みんなを殺すのが楽しかった、だと?

 腹の底から、ふつふつと怒りが湧き上がってきた。恐怖を怒りがぬりつぶしていく。ふるえているのは変わらないけれど、ふるえている理由はかわった。恐怖なんかじゃない。怒りだ! 体のなかの血が、ふっとうしそうなくらい熱くなっているのがわかる。

 ぼくは、ジルーのあしに組みついた。びくともしないあしに、あらん限りの力でかみつく。

床にたおして殴りつけてやる! 顔が二倍にはれあがってもやめないぞ! それで、お前の気持ち悪いつのを引っこぬいて、口のなかにぶちこんでやる!


「お前ら、ゆるさないからな!」

「はは、勇ましいな。これは楽しくなりそうじゃないか」


 ジルーがあしをふりあげると、ぼくのからだは軽々ととんだ。壁に背中をぶつけ、息がつまる。すぐに立ち上がって、歯をくいしばる。

 ジルーは、ごきごきと指をならしながら、おおまたで歩みよってくる。首をもたげ、にやにやと笑っている。女は、おどろいた顔で動きを止めていたけれど、すっくと立ちあがってこちらを見やった。

 興奮しているからだろうか、痛みはほとんど感じない。頭もよくまわっている。どうすればいい? どうすればこいつらをたおせる? リビングのなかに視線をはしらせて、リビングのはしっこにそれを見つけた。

 父さんの言葉がよみがえる。

 鬼の王様をたおした刀。

 ぼくは、転がるようにとびついた。まっ黒なさやをもって、ふりかえる。きのうは重かったはずの刀が、やけに軽く感じる。そして、さやは強く脈うって、焼けるように熱くなった。はやくぬけ、はやく鬼を切れ、とそう言っているのがわかる。

 鬼をにらみつけると、どういうわけか、ふたりともおおげさに飛びのいた。

 ジルーは、自信満々そうな笑みをけして、腰をかがめている。メリアはもっと距離をとっている。なんだ? 警戒しているのか?


「まさか」


 メリアがつぶやいて、和室の奥に顔をむける。

 和室の奥のデザイアよばれた男が、ゆっくりとリビングに顔をだした。若い男。ジルーと比べると、背が低く、線も細い。けれど、デザイアを前にすると、いまにも肌がぶくぶくとあわだち、体をぺちゃんこに押しつぶされてしまいそうな感覚におちいる。この男にさからってはいけないと本能が告げている。


「見つけたぞ」


 デザイアの視線がぼくを刺す

 ああ、もうだめだ。ぼくは殺されてしまう。

わきあがった怒りの炎は、みるみるうちにしぼんでいった。恐怖と絶望が心をむしばむ。泣きながらゆるしをこいたい。どうか殺してください、と首をさしだしてしまいたい。

 でも、手のなかに感じる熱だけが、それをゆるさなかった。みんなを殺した鬼にくっすることをよしとしなかった。

 ぼくは、ありったけの勇気をふりしぼって、デザイアをにらみつけた。刀のさやをにぎりしめて、いつでもぬけるようにした。一歩前にふみだし、


「ばけものめ! お前を殺してやるからな!」


 とどなった。

 ジルーは、ぎょっとして大きく目をみひらき、メリアは、信じられないものを見た、とでも言いたげに息をのんだ。まるで、デザイアに逆らう人間などこの世に存在しないとでも思っているような反応だ。

 デザイアだけは、うれしそうにクツクツと笑う。


「それでこそ最後の鬼狩りよ。お前だけはわが手であの世におくってやろう」


 デザイアがゆらりと歩をすすめ、ぼくが覚悟を決めようとしたそのとき、庭につうじる窓ガラスがわれて、ひとりの男が飛びこんできた。

まっ黒なロングコートに身をつつんだその男は、ぼくと鬼たちの間に立ちはだかった。腰には一本の刀が差してある。男は、あたりを見わたしてから、ちらりと肩ごしにぼくを見た。

 ひたいにつのがない。

 人間だ!

 助けが来たんだ!


「なんとか間に合ったか」


 男がしわがれた声でぼそりとつぶやく。

 ぼくは耳をうたがった。

 この男は目が見えないのだろうか。もしくは頭がどうかしてしまっている。間に合った? これほどまでに手おくれな状況がほかにあるだろうか? 文句をいってやろうとしたとき、ドタドタという足音がきこえてきた。そして、ろうかから五人の人間がかけこんできた。かれらは、刀をぬいて鬼を取りかこむ。

 大人のなかにひとりだけ、姉さんと同じくらいの年齢の、つややかな黒髪をたばねた女の子がいた。

 警察にはみえないけれど、これだけの人間がきてくれたなら、もう大丈夫だ。この化け物たちをつかまえて、死刑にでも、実験体にでもしてしまえばいい。みんなを殺したむくいだ。ざまあみろ、と思って鬼たちの顔をみた。

 ジルーは、首をならして、目をぎらつかせながら笑っていた。獲物がのこのこやってきたとでも言いたげな態度だ。メリアもめんどうそうな顔だけれど、あせりはない。

 はっとして、鬼を取りかこむ人間をよくみると、ひとりのこらず顔は青白く、汗をだらだら流していた。ひざも笑っているようだった。いまにも逃げ出したいのを必死でこらえている、そんな感じだ。

恐れている。

たぶん、ぼくよりもずっと、鬼を怖がっている。


「ごちそうが多いな」


 ジルーが喜んでいった。メリアは、眉をひそめながら、ため息をつく。


「鬼狩りですか。デザイア様、どういたしましょう?」


 場に緊張がはしる。鬼も、人間も、デザイアの言葉をまつ。


「ひとり残らず殺せ!」


 デザイアの命令を合図に戦闘がはじまった。

さして広くないリビングを、人や物があっちこっちにとびまわる。

ガラスがわれ、棚がたおされ、テーブルがひっくりかえった。七年間すごしたリビングが、またたく間に戦場に変わってしまった。

 ぼくが立ちつくしていると、急にえりもとを引っぱられて体がういた。肩からおちて、地面をころがる。頭をふるって立ち上がると、庭に放りだされているとわかった。刀も手放してしまったみたいだ。周りをみて、刀がリビングのわれた窓のそばに落ちているのを見つけ、拾いに行こうとしたとき、


「おい、こぞう」


 と、黒ずくめの男がリビングから声をかけてきた。どうやら、こいつに放り投げられたらしい。男と目があって、ぞくりとした。長い黒髪のすきまから見えるひとみは、暗くよごれて、ひどくにごっている。世界にあるものすべてをうらんでいるようなひとみ。


「さっさと逃げろ」


 男は、命令口調でいった。


「い、いやだ!」


 ぼくは、声をはりあげて言いかえす。

 本音を言えば、このまま一目散に逃げてしまいたい。ここにいたってなにもできやしない、と冷静なぼくがささやく。でも、その声をはねのける。みんなをおいて、かたきをとらずに逃げるなんて、そんなのはダメだ。


「逃げてたまるか!」


 恐怖心をふりはらうように、声をあらげた。

 男は、意外そうな顔をして立ちすくんだかと思うと、ふっとおだやかに笑った。


「予言など信じていなかったが、本当なのかもしれないな」


 わけのわからないことをつぶやくと、


「なあ、勇気ある少年」


 と、さとすように続けた。

 家のなかからは、悲鳴や高笑いが聞こえてくる。見えなくてもわかる。人間の悲鳴と、鬼の高笑いだ。


「いいか。いまは逃げるんだ。生きのびることだけを考えろ。それが、いまのお前の戦いだ」


 男のひとみに、すこしだけやわらかな光が見えたような気がする。


「おれたちの犠牲をむだにしないでくれ。おれたちの思いをつむいで、いつかお前が鬼をほろぼすんだ。お前こそがおれたちの希望なんだ」


 男の背後にデザイアが見えた。

 男は、刀をぬいて、ぼくを守るように背をむける。


「さあ、いけ!」


 男がさけんだ。

 涙がほおをつたった。

 父さん。母さん。姉さん。兄さん。

 ごめんなさい。

 さようなら。

 ぼくは、走りだした。

 大好きな家族に背をむけて走った。

 いつか必ず、かたきをとってみせる!

 絶対に鬼をほろぼしてやる!


いつか小説家になれることを信じて毎日執筆をしています。

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どうぞ、よろしくお願いします。


同時にもうひと作品も投稿しております。

『ヤクと悪魔の塔』

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