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自分、言葉の意味

自分という言葉の意味をどう考える。


自分とは脳髄にある情報と肉体のすべてのことか。


そうでないなら何なのか。


私が思うに、自分とは科学ではなく哲学である。


人により自分の範疇は異なるから、自分を証明することは出来ないと、私は思う。


証明出来ないものは、哲学だ。


自分という哲学はどんなものだろう。


自分とは、脳髄と肉体ではないとしたら、何だろう。


…それは、人間だろう。人ではない、人と人との間にあるもの、人と人が独立した個ではなく、相互に関わり合う生き物として、身体にあるだけの人だけが自分ではなく、自己という殻を破った先にある人と人との関わり合いを含めて自分なのだ。

 己の分とは肉体にある全てのみではなく、恐らくは人間という自己が関わり合う全てなのだろう。


 自分とはなんだろう。自分とは人間だ。ならば、関わり合う人さえも自分…自己の分身、自己の身の丈なのだろう。


つまり、私の自分とは自己ではなく、私と私の人間性…私と関わり合う全て…を包括したものなのだろう。


断言はできない。けれど、証明できない哲学であっても、私はそうでしかないのだろう。


私は人間だ。自分とは、自己と自己が関わり合う全てという人間性だ。


子供の責任は親の責任だと、人間は言う。ならば、それは親という自己が子供という自己を自分として、自責しているのだろう。


子供は、親の自責から離れて初めて本当の自分という個性を得るのだろう。自責なくして、自分はないのだから。

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― 新着の感想 ―
[一言] 人間だけでなくもっと言えば自己の歴史も自分で、自己の歴史に関わって変わったものも自分で、つまりは自分とは世界だ!
[一言] 人間を人の間とするのは言葉の感覚からも同感です。 「人間は教育によってはじめて人間になることができる」とはカントだったでしょうか。 教育は過去の積み重ねであり、肉体の中にあるものではない…
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