メリィベルは婚約者に秘密を告白することにした
王国には、初恋の人を〈永遠の人〉と呼ぶ風習がある。
つまり〈永遠の人〉と称するほどに、人々は初恋を大事に大切に特別なものと思っているのだ。
初恋の人と結ばれたい。
平民も貴族も貴賤を問わず願うが、結婚が政略である貴族は貴族の責務と義務故に恋愛結婚は難しい。
貴族位が高ければ高くなるほど利権や契約が大きく絡む政略結婚となる。
だからこそ初恋の人を、誰にも触れさせぬ心の奥底に宝石のように隠し〈永遠の人〉と呼称するようになったのかも知れない。
大事に。
大切に。
自分だけの聖域として。
メリィベルは10歳の時のことを思い出していた。
当時は母親と二人で街中で暮らしていて、あの日は母親からお使いを頼まれてーーーー彼と出会ったのだ。
彼は貴族のような華美な服装ではなかったが、地味なのに布地も仕立ても極上な、あきらかに貴族のお忍び感あふれる身なりの良い男の子だった。
醸し出す雰囲気も品があり、黄金の髪と純青色の瞳は平民では有り得ない絢爛たる華があった。
そんな彼が不安げにキョロキョロしている。
迷子だ。ピンときたメリィベルは、同じ年頃の彼に声をかけた。おそらく貴族であろう彼に関わることは面倒事を引き寄せてしまうと思ったが、同じことを思って彼に近寄りもしない周囲の人々よりもメリィベルは、彼を心配する気持ちが強かったのだ。
悪い大人に捕まる前に、メリィベルは彼の手を取り事情を聞いた。
供とはぐれた、と泣きそうな顔で言う彼にメリィベルは視線を合わせ安心させるように笑った。
中央広場の大噴水で待とう、あそこならば人は多いし待ち合わせの定番として有名だし、あなたの容姿は目立つからお供の人がきっと見つけてくれる、そう言って笑うメリィベルに彼も頷いて半泣きでくしゃりと微笑んだ。
名前は?
メリーよ。
ライだよ。
メリィベルがお使いのお釣から屋台の赤い林檎飴を買って、噴水の端に座って二人でひとつの林檎飴をなめていると、人波をかき分け複数の男性が顔色を変えて走って来た。
あ! 声をはずませ彼が立ち上がった。
前に出た彼とは反対にメリィベルは後ろにさがり、そっと群衆に紛れ込み小さな姿を消してーーーー家に帰ると母親が倒れていた。
そして、もともと病弱だった母親は翌日に亡くなり、メリィベルは父親である伯爵に引きとられたのだった。
伯爵邸でメリィベルは正妻である伯爵夫人に初めて紹介された時、怒りと申し訳なさに身を震わせた。
10歳のメリィベルは父親をギロリと睨む。
「何故! 伯爵夫人にお子様がいらっしゃらないのですか!? お父様、貴族なのに白い結婚とか! 伯爵夫人を蔑ろにしすぎです!!」
「でも、そういう契約で彼女とは結婚を……」
「お母様がお父様の〈永遠の人〉で、身分差から愛人になったのは知っていましたが! それとこれとは別です! 血筋を重んじる貴族の正妻が子の有無によって扱いに大きな差がでることは、お父様もご存じですよね! 私のような小娘でも知っていることなのですから!!」
ガルガル怒る愛娘に父伯爵は叱られた猫のように身を縮ませる。
「伯爵夫人、父と母の代わりにお詫び申し上げます」
メリィベルは伯爵夫人に向かって土下座をした。愛人の子であったが、きちんと教育を受けてきたメリィベルはとても賢く情も深かった。
あわてて伯爵夫人も膝をつきメリィベルの顔を上げさせた。
「メリィベルちゃん、貴女が謝る必要なんてないのよ」
「けれども……」
「大人の問題に巻き込んでしまって、謝罪をするのはこちらの方だわ」
賢夫人と名高い伯爵夫人の慈愛の色を宿す瞳に見つめられつつ、キッ、とメリィベルは父親を振り返った。伯爵夫人の心情的には辛い選択ではあるが、夫人の身分を守る上で子どもは貴族として絶対に必要であった。
「私、知っているんですから! 伯爵夫人の実家への援助と引きかえの契約だったことを! お父様は私に伯爵家を継がせるつもりでしょうけど、私は伯爵夫人にお子様が生まれるまで、伯爵家の籍に入りませんからね!!」
青ざめた父親の心臓に打ち込まれたのは、でろでろに溺愛している愛娘メリィベルの脅迫だった。
そうして今メリィベルは16歳となった。
父親と義母と異母弟の4人家族となり仲が凄くいい。
その愛する家族に、メリィベルは心の中でごめんなさいと呟いた。
メリィベルがいるのは王宮の夜会会場で、目の前では第一王子による婚約破棄が演劇の如く繰り広げられていた。
王子が婚約破棄を突きつけているのは、メリィベルの友人の公爵令嬢セリスティーナである。
黄金の髪と純青色の瞳の第一王子は、隣に茶色の髪と瞳の小動物のように可愛らしい男爵令嬢をおき背後には側近たちを並べていた。
対して公爵令嬢のセリスティーナはひとりであった。
王子たちの周りには空間がつくられ、人垣がぐるりと取り囲んでいる。
神様、たった一匹で海を渡る蝶のような勇気を私に下さい!
ぐっ、とメリィベルは足に力を入れて一歩踏み出した。
ごめんなさいお父様お義母様、私を除籍して下さい!
二歩目で人垣から抜け出して、メリィベルはセリスティーナの横まで足早に歩いた。
家の立場を思えば、他の友人たちのようにセリスティーナに寄り添うなどせず静観するのが正しいのだろう。しかしメリィベルは、ひとりぼっちで立っているセリスティーナを見捨てることはできなかった。
「……メリィベル……」
セリスティーナはメリィベルの姿にホッと息を小さく吐いた。
薔薇のように美しく背筋を伸ばして淑女の見本の如く立っていても、セリスティーナの内心では心細くて堪らなかったのだ。
メリィベルはセリスティーナを安心させるように笑った。
太陽に透ける花びらのように薄く散るソバカス。頭部の高い位置でひとつに括られてクルンクルンと栗鼠の尻尾のようにカールする茶色のポニーテール。濃い琥珀みたいに艶やかな茶色の瞳。
昔と変わらぬ小動物のように可愛らしい、その姿。
「……メリー……」
第一王子が目を輝かせて吐息と共に呟く。
「メリー、僕の〈永遠の人〉」
王子の言葉に隣にいた男爵令嬢はぎょっと身体を強張らせた。王子は冷たい氷の眼差しで男爵令嬢を見る。
「やはりお前は偽者だったのだな」
王子は自分たちを囲んでいる周囲の貴族たちを見渡して、片手を胸にあてた。
「陛下と公爵には許可をもらっているが、この婚約破棄は茶番である。男爵令嬢は名前をメリーアンと言い自分こそが僕の〈永遠の人〉だと名乗り出たのだ。名前のメリーや茶色の髪と瞳の容姿も僕の出会ったメリーと似ていて、それに大噴水の話など一致することも多かったが、話の内容が噛み合わないことも多々あり疑っていたのだ」
6年前のことである。
お互いに容姿など少しずつ変化しているだろうし、子ども故の覚え間違いもあるだろうが、それでも色褪せない記憶というものはあるのだ。
君にもらった林檎の飴、と言った王子に男爵令嬢は林檎味のフルーツキャンディを差し出してきたのである。
許さぬ。王子は腹の底から憤怒に煮えたぎっていたが、表情はロイヤルスマイルを浮かべて計画を練った。男爵令嬢を踏み潰すための。
王子への虚偽は有罪だが、〈永遠の人〉を偽ったことに関しては法的にはたいして罪にはならない。それが王子には許せなかったのだ。
父国王と婚約者の父の公爵に協力を求めたところ、王子以上に父親たちは怒りを露にした。〈永遠の人〉を偽ることは王国の大部分の人々にとって逆鱗に等しいのだ。
心の聖域に住む〈永遠の人〉は決して自分を裏切ることはない。
悲しい時は癒してくれて辛い時には慰めてくれて、誰も努力を認めてくれない時でも誉めてくれる。自分が俯いてしまう時には励ましてくれて、共に泣いてくれて、常に笑いかけてくれる。
自分を見捨てることのない絶対的な味方。
自分の、自分だけの〈永遠の人〉。
美しい思い出の中で微笑む特別な存在。
一部の、男爵令嬢のような人々にとっては愚かな馬鹿馬鹿しいことであったとしても。
「この夜会で婚約破棄の三文芝居をして、男爵令嬢の本性をあばく予定だったのだ」
法的に罪に問えないならば、生きたまま晒し首にすればいい。〈永遠の人〉を偽ったことを、特に高位貴族ほど許さないだろう。貴族には貴族ならではの殺し方がある。
「まさか本物のメリーと会えるなんて……。夜会を騒がしてすまなかった。夜は長い、演劇を見たと思って夜会を楽しんでくれ」
頭を下げられぬ王子にかわり、王子の後方に並ぶ側近たちが頭を下げる。王子も胸に手を当てることで謝意を伝えた。
周囲の貴族たちも王子に敬意を示し礼をとる。
セリスティーナとメリィベルは、思いもよらない展開に手を取り合って、雛鳥が餌をもらう時みたいに口を少し開けていて、きょとんと可愛い。
真っ青になった男爵令嬢は会場から逃げ出そうとしていたが、近くの貴族に足を引っかけられてべシャリと転んでいた。よろよろと立ちあがった男爵令嬢に手をかす者はいない。それどころか再び誰かが足を引っかける。男爵令嬢が扉に着くまで何度でも繰り返されて、それは今後の男爵令嬢の社交界における位置の暗雲を意味するものであった。
とある茶会で、王子の〈永遠の人〉が大噴水で出会ったメリーという名前の茶目茶髪の少女と耳にして欲を出したばかりに、と男爵令嬢は後悔して唇を噛むがもう遅かった。
「ライちゃん、本当に王子様だったのですね。似ていると思ってはいたのですけど……」
先日デビュタントを終え今日はじめて王宮の夜会に出席したメリィベルがもらした言葉を、
「もう一度会えるなんて……。嬉しいよ、綺麗になったねメリー」
と王子は拾うが、もはや子どもではなく王族の自覚と責任を持つ王子は自身の制御にも長けていた。
「ありがとう。セリスティーナを助けてくれて。メリーだけがセリスティーナに寄り添ってくれた」
「この茶番はセリスティーナの側近を探すフルイでもあったのだ」
セリスティーナは目を見開いて王子を見た。
「どんな時でも裏返らない。信頼と信用は固い絆となる。王族とて気持ちを預けられる友人は必要だ」
王子の言葉を、離れた場所にいるセリスティーナの友人たちが気まずげに悔しげに聞いている。メリィベルに妬みの視線を向けている者もいた。
「婚約破棄などと告げてしまい、悪かった」
「いいえ。理由があってのことですもの、ライアン殿下」
すでに5年間、婚約関係にあるライアン王子とセリスティーナの絆は深い。メリィベルが〈永遠の人〉と判明しても揺らぐことはなかった。
けれども。
「メリーは今、幸せかい?」
それだけはライアン王子は確かめたかった。〈永遠の人〉は心の中でも現実でも笑っていて欲しかったから。
「はい。父も義母も優しくて異母弟は懐いてくれて、私、伯爵令嬢として何不自由なく暮らしています。あの、その、婚約者も私をとても愛してくれて、私、貴族なのに相愛の幸福を……」
かつて食べた林檎飴のように赤く染まったメリィベルに、ライアン王子は満足げに目を細めた。
「困ったことがあれば、いつでも僕を頼っておくれ」
「メリィベル、また茶会の招待状を送るわね」
王族席に戻っていくライアン王子とセリスティーナを見送って、メリィベルは明日約束している婚約者のことを考えた。
林檎飴のライちゃんと会った、と言ったらまた嫉妬させてしまうかしら? 杏飴のアーサーちゃんの時のように。苺飴のユーグちゃんの時のように。葡萄飴のフレディちゃんの時のように。
ライちゃんは理性的だったけれども、あの3人は強引だったから。
今夜のことは社交界で大きな話題となるだろうから隠すことはできないし。
悩むメリィベルは、自分の〈永遠の人〉は貴方なの、とずっと恥ずかしくて秘密にしていたことを婚約者のご機嫌とりに打ち明けることを決心したのだった。
貴方は私の〈永遠の人〉。
もう恋では足りないくらい私の大事で大切な人なの、と。
ーーーー翌年、メリィベルは婚約者である黄金の髪と純青色の目をしたラインハルト・イリスと婚儀を結び、夫となったラインハルトは生涯メリィベルだけを飴細工を絡めるように甘やかに愛した。
王国の王族や高位貴族の多くは、黄金の髪と純青色の目の持ち主です。
読んで下さりありがとうございました。