後編
それから数日後。
また同じ堤防で釣りをしていると、こちらに近づいてくる人影が視界に入った。
先日の老人ではない。黄色いライフジャケットを着込んだ中年男性で、よく日焼けした肌だった。いかにも海の男という雰囲気だ。
「こんにちは。お一人ですか?」
「はい。何か問題でも……?」
つい警戒して、そう返してしまった。
あの老人はこの堤防を良い釣り場だと言っていたが、釣り人を一人も見かけない。ならば実は釣り禁止の場所であり、地元の漁師が注意しに来たのではないか、と思ってしまったのだ。
「いや、別に……」
男は少し表情を曇らせてから、質問を続けた。
「……それで、本日の釣果は?」
「見ての通りです」
なんだか既視感を覚えながら、私はクーラーボックスを開けてみせる。老人に声をかけられた時と同じく、今日も中身は氷だけだった。
「ああ、ボウズですね。なら良かった」
男の雰囲気が柔らかくなるが、今度はこちらがムッとする番だった。釣果ゼロを「良かった」とは、どういうことか?
そんな態度を察したらしく、男がバタバタと手を振る。
「いや、失礼しました。ですが……。この堤防、危ないから気をつけてくださいね」
そう言われたら、怒っている場合ではなかった。私が表情を変えると、彼は説明を続ける。
「最近ここで、釣り人が何人も亡くなっていますから」
驚きの発言だった。
「えっ!? そんな危険な場所なのですか?」
なるほど、それならば誰も見かけないわけだ。
それこそ堤防を管理している役所か漁協の方で、立ち入り禁止とか釣り禁止とかにすべきだろうに……。
「いやいや、そんなに大袈裟に考えないでください。一人じゃなく複数で釣りするなら、安全ですから」
人が死んでいるとは思えないほど、男は軽い言い方だった。
確かに、仲間同士で来れば互いに注意し合えるし、その意味では、私のように一人の釣り人は事故に遭いやすいのだろう。
だが、いくら誰かが一緒でも防げない事故だってあるはず。たとえば二人まとめて波に攫われる、みたいなケースも考えられるではないか。
そう思いながらも、私は話の続きに耳を傾ける。
「ここで一人で釣りをしていると、ゴン爺が現れて『釣れますか?』と尋ねてきて……」
「それって、緑色のフィッシングベストを着た、短い白髪頭の老人ですか?」
私が口を挟むと、男は「あちゃあ」という顔で天を仰いだ。
「やっぱり出ましたか!」
何のつもりか知らないが、失礼な言い方ではないか。出るとか出ないとか、幽霊でもあるまいし……。
そんな私の内心には気づかず、男は額に手を当てながら、さらに言葉を続けていた。
「3年前に亡くなったんですけど、いまだに成仏できないみたいで……。一人でたくさん釣ってる人を見つけると、自分の仲間にしちゃうんですよ。ゴン爺のことだから、あの世で釣りクラブでも作る気じゃないですかね」
(「危ない堤防」完)