後悔と嘘⑯
翌日。今日は飛鷹総合病院一階サロンで、プロピアニスト芹澤秋菜のソロコンサートが開催される日だ。平日だが、わたしは有給休暇を取得して病室に来ていた。
「芹澤のピアノがやっと聴ける」
夏樹は冬弥くんに点滴のチューブを良いように巻いてもらいながら、ベッドの上で嬉しそうに声を上げた。
「毎日夏樹くんの前で弾いとったけど」
「本物のピアノは聴いたことないけぇさ」
「そっか。じゃあ楽しみにしといて」
わたしは二人のやり取りを一歩引いて見ていた。まだ頭の整理が出来ていない。
昨日の夜、一人で湯船に浸かりながら考えていた。
──夏樹とわたしが両想いだった。夏樹はわたしが好きで、わたしは夏樹を好きだった。
『俺は病気で、いつまで生きられるかも分からんくて、それで春香と一緒になっても幸せに出来んと思った。いつ死ぬかも分からんのに、俺が春香を幸せにするなんて、とてもじゃないけど言えんくて』
考えていると、だんだん腹が立ってきた。どうしてわたしの幸せを夏樹に決められないといけないのだろう。小学三年生の時『ずっとそばにおっちゃる』と言ったのはわたしなのに。わたしが夏樹を幸せにしたかったのに。
でもそれも過去の話だ。今は黒瀬くんがいる。わたしを大事にすると言ってくれたこの人を、わたしも大事にしたい。
「この間行った芹澤のコンサート、すげぇよかった」
黒瀬くんはわたしを見て「な」と同意を求める。わたしは大仰に頷いた。
「うん。最高だった。また行きたい」
そこまで言って、あ、と思った。夏樹を盗み見ると、目が合った。
「なんじゃ、冬弥と観に行っとったんか」
「あ、うん。そう、なの」
曖昧に頷く。知られたくなかったのは、夏樹にではなかった。頼むから気付かないでくれと願ったが、黒瀬くんはわたしを見た。
「もしかして、チケットくれたの夏樹?」
咄嗟に目を逸らした。言い訳なんてしたくないけど、どう説明しようか考える。すると、夏樹が「俺が無理矢理渡したんよ」と口を挟んだ。
「大阪出張で行けんくなったけぇ俺の代わりに行ってくれって。な、春香」
「あ、うん。そう、無理矢理、ね」
一度断ったのであながち間違いではなかったが、最終的には自分の判断でもらったものだ。歯切れが悪いわたしの回答だったが、黒瀬くんは「ふーん」と言ったっきりそれ以上追求してこなかった。
「じゃあ、そろそろ行こうで」
夏樹がベッドから降りて立ち上がる。しかし黒瀬くんが「お前は車椅子な」とベッドサイドに置かれた車椅子を広げて乗るよう指差した。
「えー。俺歩けるんじゃけど」
「今日はダメ。主治医命令」
「ちぇー。じゃあ芹澤押してくれる?」
「うん、いいよ」
秋菜が車椅子のブレーキを外してゆっくり押す。その後ろに付いて病室を出ようとしたとき、黒瀬くんに手を引かれた。
「芹澤。悪い、先行ってて」
「あ、うん。分かった」
ドアが閉められ、病室に黒瀬くんと二人きりになった。今日の空は曇り空で、日差しが窓から入ってこない。電気をつけていない病室は薄暗かった。掴まれた手はすぐ離され、黒瀬くんに「ちょっと話そう」と小さく声を掛けられた。




