後悔と嘘⑭
「目が覚めてからの第一声は『腹減った』だったらしいよ」
翌日、わたしは出社してから小西くんに夏樹が目覚めたことを報告した。
「なんすかそれ。友川先輩らしー」
小西くんはそう言って泣きながら笑った。
「じゃあもう退院できるんですか?」
「ううん。まだ精密検査が残ってて、それで異常がなければ退院らしい」
一ヶ月近くも目を覚まさなかったこともあり、もうしばらくは入院生活を余儀なくされるようだった。まあその方が安心だ。また倒れられても困るし。
「そっかー。でも本当によかったっす。これでようやく眠れます」
小西くんもよくお見舞いに行っていた。自分が誘ったからこうなってしまったんだ、とずっと気にしていて、日に日に弱っていっていた。元気がない小西くんに経理部の人たちまで元気をなくし、閑散期も相まって経理部の空気は淀んでしまった。
これで小西くんがいなくなりでもすれば経理部は解散するんじゃないかと思ったくらいだ。でも今日でその空気は入れ替えられるだろう。こちらにも大きく安堵した。
「ねぇ、そういえば『これは俺が言うべきことじゃない』って何か言いかけたことあったよね?」
救急搬送された夏樹の処置中に、暗がりの外来待合で小西くんが言った言葉が後になって気になった。小西くんは「はて」と首を傾げた。
「俺そんなこと言いましたっけ」
この後輩は嘘がものすごく下手くそだ。明らかに視線を合わせないようにしている。
「言ったよ。なに? 夏樹がなんだって?」
ズイと詰め寄ると、小西くんは困ったように頬を掻いて、苦笑した。
「目覚めたんですから、本人に直接聞いてください。俺の口からは、とてもじゃないけど言えません!」
両手で大きくバツ印を作って、小西くんは逃げて行った。あ、こら待て。
「なんなの、もう……」
訳が分からない。わたしは小さくため息をついた。
いつものように仕事終わりに夏樹の病室へ向かった。もう目覚めたので行く必要もないが、なんとなく習慣付いてしまったのでほぼ無意識に足が病院に向いていた。
いつもなら病室のドアを開けると秋菜がいるのだが、今日はいないようだった。いたのはベッドの上で誰かが剥いたリンゴを食べている夏樹だけだった。
「あれ、秋菜は?」
「明日のコンサートの打合せじゃって、顔だけ出して出てった」
そういえば黒瀬くんに頼まれたサロンでのピアノ演奏は、夏樹も目覚めたので明日開催予定だった。秋菜はその後、フランスに帰国するらしい。
「リンゴ食べる?」
「あ、うん。もらおうかな」
ベッドサイドの丸椅子に腰掛けて、切られたリンゴひとつをもらう。お互いシャリシャリと音を立てるだけで、なんとなく無言になった。え、なんか、気まずい。
何か話題を、と思って目だけ動かすと、床頭台の上に置かれたひとつのゲームソフトが目に入った。春斗が置いていったものだっけ。なんのゲームかは分からないが、いかついラベルからして闘う系なんだろう。
「春斗とは、よくああいうゲームするの?」
「ん? 春斗? ああ、まぁ、そうじゃな。格闘ゲームとかサッカーゲームとか、対戦系が多いかな」
「ふーん。そうなんだ」
しまった、自分がゲームをやらないもんだからその後が続けられない。他に何か話題がないかと逡巡していると、夏樹が食べかけのリンゴをお皿の上に置いた。
「春香」
「はい?」
夏樹は身じろぎして姿勢を正すと、わたしを真っ直ぐ見てきた。え、なに、なんか怖い。
「俺はまだ春香に嘘ついとることがある」
「え……」
正直昨日のでもうお腹いっぱいだったのだが、まだあるのか。何か良からぬことを言われそうで身構えた。とりあえずリンゴを口の中に入れて飲み込む。ひと呼吸してから夏樹を見つめ返した。




