後悔と嘘⑬
「ビックリしたんよ、うち。持ってきた花を花瓶に入れとるときに突然『腹減った』って声がして、空耳かと思ったら夏樹くんが目ぇ開けとんじゃもん。思わず叫んだわ」
しばらく泣いて落ち着いた頃、春夏秋冬カルテットは同窓会を開催していた。面会時間は過ぎているが、個室であるのと主治医がいるので特別に許可してもらっていた。
「なにそれ夏樹らしい」
「だって、倒れる前に小西と飯食うとったんじゃもん」
実家前で集まった時よりも随分と和やかな空気だ。すごく心地が良い。
「ねぇ、なんで八十郎行くって言ってたのに魚蔵家にいたの?」
「ああ、八十郎が満席じゃったけぇ」
「なんだ。俺と井上の邪魔しに来たのかと思った」
「いや、これはホンマにたまたまなんよ」
「でも、そのたまたまのおかげで夏樹くんは助かったんじゃね」
確かにそうだ。あの時たまたま魚蔵家にいて、たまたま医者の黒瀬くんが隣の席だったから迅速な対応ができたのだ。不幸中の幸いというのは、きっとこのことを言うのだろう。
「……あの、さ」
夏樹が急に声のトーンを落とした。みんな注目する。
「どうしたの夏樹」
「いや、その……」
視線を落として、居心地が悪そうにもぞもぞと身体を動かす。何かを言いたいらしい。わたしたち三人は顔を見合わせて小さく笑い合った。
「えっと……その……」
「夏樹」
黒瀬くんが率先して手を挙げた。夏樹は弾かれたように顔を上げる。
「ごめんな、ひどいこと言って。本当は『お前のおかげで医者になれた』って言いたかったんだ」
「冬弥……」
次に秋菜が手を挙げる。
「夏樹くん、ごめんね。うち、夏樹くんが好きじゃって言ってくれたピアノ、続ける。続けたい」
「芹澤……」
最後にわたしが手を挙げた。
「夏樹、ごめん。病気が完治したって言われて喜べなかったのは、夏樹のそばにいる理由がなくなった気がしたからなの。自分勝手に傷付けてごめんね」
「春香……」
瞳を揺らした夏樹は三人を見回して、頭を下げた。
「俺の方こそ、心配かけてごめん。冬弥。冬弥のおかげで俺は生きてる。芹澤。結婚おめでとう。ピアノ続けてくれるの、すげぇ嬉しい。春香。毎日看病しに来てくれてありがとう。看護師っぽいことを春香が色々してくれとったって知って、嬉しかった」
やっとみんなで謝れた。後悔は完全に消えることはないが、言葉に出来ただけで幾分か心が軽くなる。単純に嬉しい。二十代後半四人がお互いに謝り、感謝する図はなんだか可笑しくて、誰からともなく笑い出した。
「はっずいわ」
「なんか青春しとるみたいじゃね」
「もう二十七だよ、わたしたち」
あはは、と病室に笑い声が響いた。これで仲直りかな、と思ったが。
「ごめん。もうひとつ謝らんといけんことがある」
夏樹が手を挙げて、わたしと秋菜を見る。なに? 首を傾げると、夏樹は口を開いた。
「……病気が完治したっていうのは、嘘」
「え……」
空気が震えた気がした。聞きたくなかったカミングアウトに身体が硬直する。秋菜は口に手を当てて目を見開いていた。夏樹は小さく手を振った。
「あ、いや、全くの嘘ってわけでもなくて、完治はしてないけど、改善して余命宣告がなくなったんよね。薬でコントロールできるほどには改善しとる」
黒瀬くんは小さく頷く。そうか、彼は主治医なので知っているのだ。
「あの日も薬を飲み忘れただけなんよ。ホンマに、それだけじゃけぇ」
「どうして、そんな嘘を……?」
絞り出すように喉の奥から出した声は震えてしまった。目頭が熱くなりかけて、寸でのところで我慢する。膝の上に手を置き、右手を握りしめながら左手で隠すように覆った。痛い。この告白も夢じゃない。
さっきまで合っていた視線が、いつの間にか逸らされていた。
「……冬弥は医者で、芹澤はピアニストで、春香は看護師で。全部俺の為に決めた進路じゃったのが、急に申し訳なくなった。本当にこの三人はその進路でええんかなって考えて、もしかして俺が病気じゃなかったら違う進路を選んどったんじゃないんかと思って。本当にやりたいことは別にあるのに、俺のせいで出来んくなっとるんじゃないかって……特に春香が」
そこでようやく目が合った。
「もっと上の大学を目指せって言われとったんは知っとった。それでも進路を変えずに俺と同じ大学に進むって聞いて嬉しかったけど、ホンマにええんかって思うようになって。俺に縛られて春香が飛び立つんを止めるんが、申し訳なくなった。俺の病気のせいで」
瞬きも忘れて真っ直ぐ見つめ合う。上手く言えないけど、わたしも夏樹も勘違いをしているようだ。勘違いをして、すれ違っている。
確かにわたしは夏樹の病気があったから看護師になりたかったのかもしれない。でも、病気だったからというよりは、単純に夏樹が好きだったからだ。好きな人の役に立ちたい、ただそれだけだった。
「病気が治ったって言えばみんな自分のやりたいことやるんじゃないかって思った。まさか『みんなのこと必要ない』っていう意味で捉えられるなんて、思ってなかった」
夏樹の声が震えた。夏樹もまた、後悔していた。わたしたちはみんな同じ方向に勘違いをしているようだ。いつも一緒にいすぎて分かった気になっていた。こうやって話してくれないと分からないのに。
「夏樹はひとつ、勘違いをしてる」
真実を話してくれた幼馴染に、わたしも真実を話す。
「勘違い?」
「うん。わたしが看護師になりたいと思ったのは、夏樹の病気を知る前からだよ」
「……え?」
夏樹の目が見開かれた。真実はこうだ。
「わたしが看護師に憧れを抱いたのは三歳くらいだったかな。それで夏樹の病気のことをお母さんから聞いたのは小学校に上がってからだったから五歳? 六歳? だから、夏樹が病気だったから看護師を目指したんじゃなくて、看護師を目指した先に、夏樹の病気があったの」
実家近くのクリニックにすごく優しい看護師さんがいて、風邪を引いたとき良くしてくれた。ありがちな憧れだが、たった三歳でもはっきりと『この看護師さんのような看護師になりたい』と思わせてくれた。そこについてきたのが夏樹を好きになった自分だ。
いつの間にか夏樹の為に看護師になりたいと書き換えられてしまっていた。それが夏樹にとって苦しかったのなら、わたしが解放してあげなければならない。
「ごめんね。わたしが夏樹を好きになったばっかりに、苦しい思いさせた」
「春香……」
蓋をきちんと閉めないと、また夏樹を苦しめることになるかもしれない。隣の黒瀬くんを見る。あの愛おしそうな表情とわたしを包み込む温かい体温。ずっと見てくれていた優しい瞳。思い出せば出すほど泣きそうになり、思わず目を伏せた。
「夏樹。俺はお前のおかげで医者になるって決めたんだ。お前のせいじゃなくて、お前のおかげ」
黒瀬くんがわたしの後に続いた。秋菜もニッコリと微笑む。
「夏樹くん。うちも夏樹くんがピアノを好きって言ってくれたけぇピアノ続けてこれたんよ。それは病気じゃったけぇとか関係なく、夏樹くんが居ってくれたけぇ夢を叶えられた。ありがとう」
「冬弥……芹澤……」
今まで病気のせいだと自分を責め続けたことが、ようやくそうじゃなかったんだと分かって安心したのだろう。夏樹の大きな瞳が揺れて瞬きを一回したところで、涙が頬を伝った。
「そっか……俺、ずっと、勘違いしとったんか……バカじゃなぁ」
わたしも秋菜もつられて泣いた。黒瀬くんはそんなわたしの頭を、鼻を啜りながら優しく撫でてくれた。
謝罪して、感謝して、わたしたち四人はようやく再会を果たした。十年という月日はかけすぎていたと思うが、誤解が解けたなら結果オーライだ。この幼馴染四人グループは、これから先もかけがえのないグループになっていくだろう。それを築いたのは紛れもなく夏樹だ。『同窓会がしたい』とわたしの前に現れなければずっと勘違いとすれ違いをしたまま、一生交わることはなかったかもしれない。夏樹がいてくれて本当によかった。
四人の笑い声が室内を駆けた。




