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春夏秋冬カルテット  作者: 音吹
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後悔と嘘⑫

「幼馴染くん、まだ目覚める気配無いの?」


 翌週の昼休憩。理佳子先輩は夏樹と面識があったので、夏樹の状態を全部伝えていた。


「はい。毎日通ってるんですけど、なかなか」


 仕事終わりに夏樹の様子を見に行くことは習慣になっていて、変化のない夏樹の様子に少し落ち込み気味だった。秋菜も朝から夏樹のお見舞いに行って病室で電子キーボードを弾いているらしい。


 そういえば秋菜は黒瀬くんに『病院のサロンで他の入院患者さんにも聴かせて欲しい』と言われたと言っていた。飛鷹総合病院には一階に立派なグランドピアノが置いてあるサロンがある。夏樹の病室から聴こえてくる秋菜の音楽を、他の入院患者さんが聴いて黒瀬くんが問い合わせを受けたようだ。


 その話を聞いていつか夏樹が『芹澤のピアノって、なんか分からんけど病気のこと忘れさせてくれるんよな』と言っていたことを思い出した。


「井上ちゃんもあんまり根詰めないでね。看病する人が倒れちゃったら幼馴染くんも悲しむから」


「はい、ありがとうございます」


 理佳子先輩に労ってもらえただけでわたしは元気になった。希望はある。わたしが諦めちゃダメだ。それに、一人じゃない。黒瀬くんも秋菜もいる。それが一番心強かった。





 その日は前触れもなく唐突にやって来た。


 いつものように仕事終わりに夏樹の病室のドアをノックした。少し騒がしいな、と思ったくらいで誰か見舞いに来てるのだろうと足を踏み入れた。


「あ、やっと来た」


 そこには白衣姿の黒瀬くんと花柄のワンピースを着た秋菜と、ベッドのリクライニングを立てて座り、手を挙げる夏樹がいた。


 ん? 何が起きているのか理解できない。しばらく三人を眺めた後、一旦病室から出てネームプレートを確認した。間違いない、友川夏樹の病室だ。


 ちょっと状況を整理しようとドアの前で考える。夏樹が起きてベッドの上に座っていた。と、いうことは……? すると、ドアが開いて黒瀬くんが出てきた。


「ごめん。連絡しようと思ったんだけど、夏樹が『驚かせたい』って言うから」


 入って、とドアを開けて促してくれたので、一歩踏み出した。「ほら」と背中を押され夏樹のベッドサイドまで近付く。


 クリっとした目の右下に三つの泣きボクロのある幼馴染は目尻を下げて「春香」とわたしの名前を呼んだ。


「……夏樹……?」


 押し込んだ箱の蓋がゆっくりと開く。わたしは押し込むのも忘れて夏樹の頬に手を伸ばした。温かい。


「春香、ごめんな」


「…………」


「はる……いてててててっ」


「夢だよね」


「違う、夢じゃない! 痛い! 痛いけぇ!」


「夢なら痛くないよね?」


「夢じゃないって! 春香さん落ち着いてぇぇ」


「現実ならこんなんじゃ足りない!」


 絶叫が病室にこだました。わたしは渾身の力で夏樹の頬をつねる。現実であって欲しいという思いが指先に集まった。


「痛いぃぃぃぃっ!」


「井上、一応病み上がりだから」


 後ろでしばらくわたしたちを眺めていた黒瀬くんに(なだ)められ、わたしはようやく夏樹の頬から手を離した。自分の指にも痛みを感じる。あぁ、夢じゃないんだ。


「なぁ、俺のほっぺ取れてない? ちゃんと付いとる?」


 夏樹は自分の頬をさすりながら秋菜に頬を突き出す。


「ふふふ、大丈夫。ちゃんと付いとる」


 クツクツおかしそうに肩を揺らす秋菜に確認してもらった夏樹は、チラとわたしを見た。


「毎日来てくれとったんじゃって? ありがとな」


 あんなに固く目を閉ざしていた幼馴染が、起きて赤くなった頬をさすりながらわたしに話しかけている。夢じゃなくて、現実。同時に視界がぼやける。


「なつき……」


「うん」


 呼びかけに応えてくれる。それだけでわたしの涙腺は崩壊した。


「うううっ」


 膝から崩れ落ちそうになって黒瀬くんが後ろから支えてくれた。


 夏樹が、目を覚ました。


 たったそれだけで報われて、救われる。よかった、本当によかった。


「……春香」


 泣き崩れるわたしに向かって、夏樹はゆっくり両手を広げた。夏樹はわたしの後ろに視線をやって目で問う。


「……少しだけだぞ」


 問われた黒瀬くんはわたしを軽く押して手を離した。夏樹との距離が近くなる。


「春香」


 なおも手を広げる夏樹の元へ、わたしはゆっくり飛び込んだ。


「夏樹っ」


「うん」


「おかえりっ」


「うん、ただいま」


 頭を撫でる手が優しい。後ろで秋菜が「本当によかった……」と鼻を啜る音が聞こえた。


 春夏秋冬カルテットは、ようやく和音を奏で始める準備に入った。


「長い」


 十秒ほど抱き締め合っていたわたしと夏樹だが、黒瀬くんの手によって引き剥がされた。


「心が狭い彼氏じゃな」


「うるせぇもう一回寝ろ」


 そのやり取りがなんだか高校時代に戻った感じがして、わたしたちは笑い合った。


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