再会⑤
◇
時刻は午前六時半。回想に三十分も費やしてしまった。床ですやすや寝息を立てる幼馴染を起こそうとして、タンクトップが胸まで捲り上がっているのを見た。心臓が規則正しく動いているのが見える。そのことにひどく安心した。よかった、生きてる。
「夏樹、起きて」
捲れたタンクトップを下ろし、小さく身体を揺さぶる。暑いのか、猫っ毛の茶髪が汗で額に張り付いていた。
「う~ん……もうちょっと……」
むにゃむにゃと口を動かす夏樹にイライラメーターが上昇していく。
「おい、起きろ」
先ほどよりも強く揺さぶると、小さく目を開いてヘラと笑った。
「芹澤、おかえり……」
ブチッとメーターが振りきれる音がした。無言で奴の鼻をつまみ、口に手を置く。数秒後、夏樹はカッと目を見開いて起き上がった。
「ぶはっ! し、死ぬかと思ったっ……」
肩で息をする夏樹を上から見下げる。同時にメガネのブリッジを上げた。
「今すぐここから消えろ」
凄んでみせるも夏樹はキョトンとしている。しばらくわたしを見て、自分の格好を見て「……きゃ」と恥ずかしそうに腕で露出した肌を隠した。身体がデカいので隠しきれていないが。
「え、なんで春香がおるん?」
「ストーカーされた挙句ジョッキ半分で酔い潰れ自分の住所もちゃんと言えなかったので僭越ながら介抱させていただきました」
「あー……俺酒弱いんじゃわ。ごめんな、ありがとう」
きまりが悪そうにするのでわたしは「別に」とそっぽを向いた。
「あんたんちどこか知らないけど、帰ってシャワー浴びたら?」
仕方なくなけなしの良心で家に連れてきたが、二人きりでしかも幼馴染とはいえ男と同じ部屋で一夜を共にしたことに、今更ながら恥ずかしくなってきた。夏なので露出度高めだし。夏樹は呑気に欠伸をして「そーじゃな。汗かいたし……」と言いながらぐるりと首を回してわたしの部屋を見た。
「……あれ、俺ん家と間取りが一緒じゃ」
ワンルームは大体同じような間取りだと思うけど。一応聞いてみる。
「……どこに住んでんの」
「メゾン・ド・ユキっていうアパートの二〇三号室」
嘘だろ。わたしは白目を剥いた。そのまま気を失いそうになる。その反応を見た夏樹は「もしかして」とおもむろに立ち上がり、玄関へ向かった。
「ちょっと、その格好で出るな!」
ガチャリ。開いた玄関から涼しい風が入り込む。確認を終えた夏樹は人懐っこい笑顔で戻ってきた。
「こっちでもお隣さん! よろしくな!」
最&悪。ずれ落ちた眼鏡を直す余裕もなく、わたしはため息とともに大きく肩を落とした。
急ぐ必要もないと判断したのか奴はくつろぎ始めた。
「なー、朝ご飯食べたい」
昨日の夜介抱してもらった挙句、朝までご馳走になろうとした幼馴染に「昨日の飲み代、わたしが払ったんですけど」と嫌味を言ってやったら「じゃあ今度俺がおごるけぇ」と窘められ、捨て犬の風貌で「ね、お願い」と懇願されたわたしは結局簡単な朝食を用意するハメになった。目玉焼きとソーセージを一緒に焼いたやつと、冷凍していたお手製味噌玉の味噌汁。
「うめぇ! 春香はいいお嫁さんになるな!」
無邪気にそう持ち上げられては悪い気はしなかったが、タンクトップ一枚とパンツ一丁で言われたのであまり嬉しくはない。
テレビから爽やかな音楽とともに天気予報の絵が流れる。ローテーブルに向かい合わせで、わたしの手料理を食べる夏樹。
誰かと一緒に朝ご飯を食べるなんて久しぶりだな、と味噌汁を啜っていたら夏樹が「昨日話したことじゃけどさ」と静かに話し始めた。
「冬弥に電話はしてみたんじゃけど、番号変えとるっぽくて繋がらんかったんよね。芹澤にも電話したけどなんせ海外じゃし、やっぱり繋がらんくて。春香も繋がんなかったら立ち直れんって思っとった矢先、本人見かけて思わず待ち伏せした」
ごめん、としおらしく謝るのでわたしは「もういいよ」と制した。
「これ食べたら帰って」
「……春香は四人で集まりたくないん?」
四人。小さい頃からずっと一緒に過ごして高校卒業後に疎遠になった幼馴染。
「今更集まってどうすんの」
無意識に低い声が出ていた。また集まろうなどと約束したわけではない、高校まで一緒に居ただけの薄っぺらい関係で、今更同窓会なんて誰も来やしない。
「……そう、だよな。今更だよな。ごめん」
二人の間に沈黙が流れ、カチャカチャと箸がお皿に当たる音が響いた。
「っていうか、ジョッキ半分も飲んでないのに酔いつぶれる人初めて見た。お酒弱いなら飲まないようにしなよ」
わたしがそう言うと夏樹はご馳走様と手を合わせ、全部綺麗に食べ終えたお皿を流しへ持って行って「嬉しくてつい」と呟いた。
「十年ぶりにさ、春香に会って、春香は標準語じゃったけどさ、やり取りとか、あの頃と変わらずに接してくれたことが、嬉しくてさ。酔うの分かっとったけど、見放さんでくれるって信じとったけぇ、飲んだ」
ごめんな、とまた謝る。そんなに謝られると、こっちが悪者みたいだ。
「わたしは、」
何か言わなくちゃと思って開いた口から、音は出なかった。ひゅっと空気だけが喉を通り抜ける。
沈黙が二人を支配した。テレビから星座占いが流れている。
わたしは夏樹に会いたくなかった。連絡をしなかったのも、夢を追って田舎から出たのに違う職業に就いていることを知られたくなかったからだ。
「……こうして俺と春香が十年ぶりにバッタリ会ったのって、奇跡じゃと思うんよね」
まぁバッタリっちゅーか、俺が一方的に見つけたんじゃけど。
夏樹はそう言って笑った。その笑顔は昔と変わらなくて、胸がキュッと苦しくなる。
「じゃ、帰るわ。お邪魔しました。ありがとな」
そのまま玄関へ歩き出したのでわたしは「待って!」と引き留めた。帰したくないなんて微塵も思ってない。
「スーツ忘れてるしその格好で出るつもり?」
「……わお」
つくづく締まらない奴だった。