後悔と嘘⑧
「今日は他にお見舞いに来た人いるの?」
「いや、今日は井上だけ。夏樹の家族は週末来るって聞いた」
「そっか」
夏樹のご両親は二人とも働いているので、すぐに広島から駆けつけられないのだろう。それなら。
「ねぇ。なるべく話しかけた方がいいんだよね?」
「そうだな。聞こえてはいるはずだから、何かに反応して目を覚ますかもしれないし」
「じゃあ、わたし、毎日来るよ」
面会時間は午後八時までだったはずだ。仕事終わりに来ても一時間は面会できる。休みの日は朝から来てもいい。なるべく夏樹に寄り添いたい。
「うん、それがいい。俺も出来るだけ顔出すよ。主治医だし」
言われてベッドの頭上そばに貼ってあるプレートを見た。患者名『友川夏樹』の下に書かれた主治医の名前は『黒瀬冬弥』だった。
「絶対、目覚めさせるから」
十日前、わたしの前で弱音を吐いた黒瀬くんは、もういなかった。ちゃんとお医者さんの顔で患者さん──夏樹と向き合っている。夏樹のことを自分が診たいと医者になった黒瀬くんは、しっかりと自分のやるべきことを見据えていた。看護師を辞める時、黒瀬くんは『俺は井上と一緒に患者を救いたい』と言ってくれた。わたしはもう看護師ではないけれど、わたしも黒瀬くんと一緒に夏樹を救いたい。心からそう思った。
黒瀬くんのPHSが鳴った。
「はい黒瀬です……はい。分かりました、すぐ行きます」
電話を切った黒瀬くんは出入口のドアを手に持ったPHSで指した。
「悪い、呼ばれたから行くわ」
「うん。一緒に付いてきてくれてありがとう。お仕事頑張ってね」
ドアに手をかけた黒瀬くんに、ヒラヒラと手を振って見送っていると、黒瀬くんはなぜかわたしの前に戻ってきた。
「黒瀬くん?」
「ちょっと充電」
そう言うと、ギュッと優しさを含みつつも力強くわたしを抱きしめた。突然のスキンシップに固まる。
「く、黒瀬くん。夏樹がいるから……」
「ヤキモチ焼かせれば起きるかもしれないだろ」
数秒抱きしめられ、足りないけど行かないと、とわたしを離した黒瀬くんは不満そうな顔をして部屋から出ていった。
「ヤキモチって……」
夏樹が黒瀬くんに妬くはずないから、わたしにってこと? え、二人ってそういう関係だったの?
夏樹を見やると、まだ起きる気配を見せないほど静かに目を閉じていた。
布団を少しはぐって手を出す。手のひらを上に向け、わたしよりちょっと大きいその手の上に自分の手を重ねる。
「……早く起きないと仕事クビになるよ」
そう呟いた声は心電図の音に掻き消され、握った手が握り返されることはなかった。




