後悔と嘘⑦
「井上さん、友川先輩の様子はどうですか?」
二日後の月曜日。出社するや否や小西くんが詰め寄ってきた。わたしは力なく首を横に振る。
「まだ目を覚まさないみたい」
黒瀬くんと寄り添うように待合室の椅子で寝てしまった翌日、夏樹の容体に変化はなく、何もできないわたしは家に帰った。それから夏樹がどうなったという連絡はないまま今日を迎えた。
「そうですか……」
秋菜には一応メッセージを送った。するとすぐ国際電話がかかってきてお見舞いに行きたいと言うので、今はCCUに入っていて会えないと伝えると、泣き崩れた。彼女もまた、夏樹に対して『会いたくなかった』と言ったことを後悔していた。
どんなに悔やんでも時間は流れる。ただ祈るしかできない日々に苛立ちが募る。
黒瀬くんから『状態がいいから一般病棟に移ることになった』と連絡をもらったのは、夏樹が倒れてから十日後のことだった。
「井上」
仕事終わりに飛鷹総合病院へ行くと、入り口のところで白衣姿の黒瀬くんが待っていた。
「やっぱり白衣似合うね」
「そう? 俺は井上のナース服のが似合ってたと思うけど」
「ありがと」
話しながら黒瀬くんに連れられて循環器病棟に足を踏み入れる。ナースステーションの奥には患者さんの心電図や呼吸などさまざまなバイタルサインを無線でチェックできる大きなモニターが置いてあった。異常があればアラームで教えてくれるものだ。その音が鳴らないように祈りながら黒瀬くんの後に付いて行った。
「ちょっと、黒瀬先生の後ろにいる人、誰?」
「えーっ! 彼女いたの? ショックー」
すれ違う看護師たちがひそひそ話しているのが聞こえた。そうか、黒瀬くんは人気のあるお医者さんなのか。研修医時代、小児科で働いてた時もモテてたもんな。学生の頃もモテてたか。
「ここが夏樹の病室」
黒瀬くんがそう言って立ち止まったのは、大部屋の病室が並ぶ廊下の突き当たり、右手にある個室だった。病室入口のネームプレートには『友川夏樹』と書かれており、手指消毒用のボトルと手袋の箱が手すり部分に置かれていた。
無意識に消毒ボトルに手が伸び、適量を押して指になじませる。現場から二年離れていても身に付いていた習慣は忘れないらしい。黒瀬くんがドアをノックして開けてくれた。「どうぞ」と手で促され先に入る。
しかし、一歩入ったところで足が動かなくなった。
六畳ほどの部屋の窓際にベッドと床頭台があり、そのベッドに横たわる幼馴染から伸びる線はモニター心電図といくつもの点滴と繋がっていた。心電図の機械音は規則正しく鳴っている。変わり果てた夏樹の姿を見て、寒くないのにゾクリと寒気がした。
「井上?」
「あ、ごめん。ちょっと、待って」
震えはじめた手をギュッと握ると、黒瀬くんが「明日にする?」と言ってくれた。ここで逃げたら多分もう入れない。わたしはかぶりを振って「大丈夫」と頷いた。
「話し掛けてやってよ」
黒瀬くんは先にベッドサイドに近付いて「夏樹、井上が来てくれたぞ」と顔を覗き込んだ。
わたしは深呼吸して自分の気持ちを落ち着かせる。大丈夫、黒瀬くんがいるから大丈夫。ゆっくりと前に進み、黒瀬くんの隣に並んで夏樹の顔を見た。
「夏樹、来たよ」
隣人の幼馴染はスヤスヤと寝息を立てて眠っていた。その表情は穏やかそのものだ。揺さぶれば「うーん」と言って目を覚ましそうな顔を、ただ綺麗だなと思った。睫毛も長くて、鼻もシュッとしていて、唇も少しカサついてはいるが薄くて、茶色く染められた猫っ毛は細くて全部が愛おしい──そんなことを思った。




