後悔と嘘⑥
『こうして俺と春香が十年ぶりにバッタリ会ったのって、奇跡じゃと思うんよね』
夏樹が酔いつぶれた次の日、夏樹はわたしにそう言った。なにがバッタリだ。仕組んでたんじゃないの。
「それで、井上さんについて知り得た情報を友川先輩に横流ししてました」
いつか聞かれた前職の話、友だちの話だと言って相談した黒瀬くんの話──
実家に帰った時、わたしと黒瀬くんが一緒にいてもあまり驚かなかった理由はそういうことだったのか。
「あと、これは俺の口から言うべきことじゃないと思うんですけど」
小西くんはそう前置きして、わたしを見た。
「友川先輩はずっと井上さんのことが……」
「井上」
後ろから足音が聞こえた。振り返ると黒瀬くんが歩いてきていた。わたしは反射で立ち上がり黒瀬くんに駆け寄る。
「夏樹は?」
「まだ意識が戻らない。全身検査したけど、臓器に異常は見当たらなかったから、とりあえずCCUで様子を見ることにした」
CCU……冠疾患治療室。心疾患が疑われる患者さんを収容する病棟のことだ。
「そっか……」
落ち込むわたしに黒瀬くんは「大丈夫だから」と言った。
「ちょっと寝てるだけだ。すぐ目を覚ますよ」
黒瀬くんはいつだって、わたしを落ち着かせてくれる。黒瀬くんが大丈夫と言うなら、大丈夫だ。わたしは「うん」と頷いた。
「あの……」
小西くんが遠慮がちに黒瀬くんの前に来た。そうか、黒瀬くんは小西くんのこと知らないんだった。
「あ、こちら小西くん。同じ経理部の後輩なの。夏樹とは同じ大学の先輩後輩だったらしい」
小西くんの紹介をすると黒瀬くんは小さく頭を下げた。
「どうも、黒瀬です。夏樹の幼馴染で井上の……」
「彼氏さん、ですよね。学生の頃から井上さんのことが好きで、断られても諦めなかったっていう」
「こ、小西くん」
なぜかベラベラと喋る小西くんを慌てて制すると、黒瀬くんはフッと笑った。
「俺、諦め悪いから」
その瞳は蛇のように鋭く、まだ起きない夏樹に対しての言葉のように思えた。
「今日のところは帰りな。何かあったら井上に連絡入れるよう頼むから」
CCUに入ったら医療関係者と家族しか入れないので会うことは出来ない。小西くんは少し躊躇う様子だったが、「分かりました。失礼します」と言って病院を後にした。
小西くんが見えなくなって、黒瀬くんは待合室の椅子に腰掛けた。「……井上」と呼ばれ、隣を指されたので促されるまま座る。
「ごめんな。乱暴な言葉使ったりして」
最初、何に対して謝られているのか分からなかった。少し考えて黒瀬くんに言われた言葉を思い出す。
『しっかりしろ春香っ!』
『今夏樹を助けられるのは、俺とお前しかいない!』
初めて名前を呼ばれたのと『お前』と言われた。黒瀬くんはそんな小さなことを気にしていたのか。わたしは首を横に振った。
「ああ言われないと動けなかったよ。むしろ感謝してる。ありがとう」
そう言うと黒瀬くんは俯いて額に手を当て、大きくため息をついた。その肩は微かに震えていた。
「このまま目を覚まさなかったらどうしよう」
その呟きはあまりにも弱々しく、黒瀬くんから発せられたものだとは思えなかった。
「黒瀬くん……?」
「本当は、あんなこと言うつもりなんて無かったんだ。夏樹に会ったらお前のおかげで医者になれたって、言いたかったんだ」
あんなこと。帰省中に四人集合した時、黒瀬くんは夏樹に『「病気が治ったからお前たちは必要ない」って意味だったんじゃないのか!』と言った。多分それのことを言っているのだろう。そうか、黒瀬くんも後悔しているのだ。あの時ああしていれば、あの時こうだったら。そんなたらればを考えながら生きていくのは、本当はしんどいのに。
非常灯の灯りに反射して、黒瀬くんの頬に一筋の涙が伝った。
「……ごめん、カッコ悪くて」
「そんなことない」
わたしは持っていたカバンの中からホワイトブルー系チェック柄のハンカチを取り出し、黒瀬くんに差し出した。秋菜のコンサートに行ったときに黒瀬くんが貸してくれたものだ。洗って返しそびれたままカバンの中に入れていた。黒瀬くんは無言で受け取ると、目元に当てた。
「……井上の匂いがする」
フッと口元を綻ばせた。わたしもつられて笑う。
「なにそれ」
座っている外来待合は広く、二人しかいない。小さく笑った声は思いの外響いて、暗闇が広がる廊下に消えていった。
「黒瀬くん、我慢しなくていいよ。思ってること全部言って? わたしがついてるから」
颯太くんのときは黒瀬くんがわたしのそばにいてくれた。今度はわたしの番だ。黒瀬くんに比べれば頼りないかもしれないが、隣にいることくらいは出来る。黒瀬くんはチラ、とわたしを見てそっと手を重ねてきた。
「こうしてくれるだけでいい」
そしてわたしの肩に頭を乗せると、銀縁眼鏡の奥の目をゆっくりと閉じた。
時刻は午後十時を過ぎたところ。規則正しい寝息と黒瀬くんの体温で安心したわたしは、いつの間にか目を閉じていた。




