再会④
夏樹が暖簾をくぐったのは、理佳子先輩と行くはずだった八十郎だった。テーブル席に向かい合わせで座る。ビールとおつまみ数品と焼き鳥を何本か頼んで、一通り料理が揃ったところでとりあえず乾杯から入った。
「じゃあ春香との十年ぶりの再会を祝して、かんぱ」
「ぷはぁ〜。目の前にいるのが理佳子先輩だったらもっと美味しかったのに」
「……いただきます」
ジョッキ半分を一気に煽る。あー生き返るわー。
「ねぇ、なんで営業やってんの? ロボット作るんじゃなかったの?」
たらふく食べて帰ってやろうと、もものタレを二本持ちする。夏樹はお通しの白菜漬けをポリポリと咀嚼しながら「春香こそ」と呟いた。
「医療従事者になっとると思っとった」
周りには仕事終わりのサラリーマンやOLが日常を忘れて大きな声でガヤガヤ話している。騒がしいはずなのに小さく呟いた夏樹の声は、わたしの耳にしっかりと届いた。医療従事者。ハッキリと職業を言わないところに、気遣われていることが嫌でも分かる。そもそも誰のために、と言いかけて小さくかぶりを振った。
「……わたしの話はいいの。で、何の用なの」
多分ここまでのプロセスを話せばお互いに長くなる。早く用事を済ませてとっとと帰りたかったわたしは、諸々をすっ飛ばして本題へいくことにした。夏樹も察したのか小さく頷く。そして声のトーンを落として言った。
「春夏秋冬カルテットで、また集まりたい」
天井付近で回っている扇風機から出る生温い風が、わたしと夏樹の間を通り抜ける。春夏秋冬カルテット、と聞いて身体が硬直するのが自分でもわかった。手に持った焼き鳥を落としそうになる。その名前をまた聞くことになるなんて、思ってもみなかった。
「……なんで」
冷静を装って焼き鳥を齧る。夏樹はジョッキを傾けてビールを飲みこむと、わたしを見て笑った。
「んー。高校卒業して十年という節目じゃけぇ? 同窓会的な?」
夏樹の右目の下にある三つの泣きぼくろが目に入る。わたしのお尻のほくろと同じように線で繋げば三角形になる。お揃いだなんてはしゃいでいたあの頃には、もう戻れない。
「……秋菜はフランスだよ」
自分の口から出た親友の名前に、自分で驚いた。サラサラのおかっぱ頭にパッツン前髪、奥二重で少しタレ目な彼女は、学校の音楽室でいつも優雅にピアノを弾いていた。芹澤秋菜。
すると夏樹はあからさまにホッとした表情を浮かべた。やんわりもう集まれないよ、と言ったつもりだったが、なんでそんな顔するの。
「よかった。芹澤がどこで何をしとんか、知っとったんじゃ」
そう言われてわたしは大仰にため息をついた。
「知ってたよ」
秋菜は小学校から高校までいつも一緒に居た親友だった。口数が少なく、自分の気持ちはピアノで表現する少し変わった子。高校卒業後はフランスの音大に行き、それからプロのピアニストとしてそのままフランスのパリを拠点に活動しているということは知っていた。秋菜はプロ入り後、新進気鋭の若手ピアニストとして日本でも注目されていた。生まれ育った町は旗やポスターで大賑わいだと母親から聞いたし、CDも何枚か発売されていたり、テレビで特集を組まれていたこともあった。
夢を叶え前に進む彼女はわたしとは真逆で、多分もう、届かない。
「じゃあ、連絡取っとんじゃ?」
夏樹はねぎまを串からひとつずつ抜いている。わたしは串を串入れに入れて首を横に振った。
「全然。『プロ入りおめでとう』の連絡さえしてない」
「……なんで」
「なんでだろう。分かんない。多分、薄情なんだよ、わたし」
自嘲をビールで流し込む。喉越しが悪くて不味く感じた。
すると夏樹は少し首を傾げて、そうかな、と言った。
「こうして突然現れた俺と飲んでくれるところとか、昔から変わらずに優しいと思うけど」
夏樹は三口くらいで頬を少し赤くさせていた。串から外したねぎまのもも肉を一つずつ箸で摘まんで口へ運ぶ。優しいとか言わないで欲しい。箱に閉じ込めて鍵を掛けた想いが揺れそうになって、夏樹を睨んだ。
「ネギも食べなよ」
「明日外回りじゃけぇ食べん。春香にやる」
「あんたが頼んだんだからちゃんと食べなさい」
「えー。お客さんに『こいつ口ネギ臭っ』て思われたくなーい」
「ちょっと、あんたお酒弱いの? 顔真っ赤だけど」
時間が経つにつれて顔の赤みは増していた。目も少しトロンとしていて、放っておいたらその辺で寝そうだ。
「そんなことよりさ、また四人で集まろうや」
「……わたしより黒瀬くん頼ったら?」
黒瀬冬弥。小中高と一緒で夏樹の親友。彼は一言で言えばクールボーイだった。銀縁の細いフレームの眼鏡に冷静沈着で、頭が飛び抜けて良かった彼は、高校を卒業後医大に行った。
「冬弥ね……」
夏樹はチビ、とビールジョッキに口を付けた。あざとい女子みたいで少しイラッとする。
春香、夏樹、秋菜、冬弥。わたしたちは小学校から高校までいつも四人で行動していた。小学校の先生に『春夏秋冬カルテット』と名付けられるほど仲良しで、家族より時間を共有していた気さえするほど毎日のように一緒にいた。あまりにも一緒にいるものだから先生たちも考慮してくれたんだろう。クラスが離れることは無かった。まぁ田舎町だったのでクラスも二クラスか三クラスほどしかなかったのだが。修学旅行も体育祭も文化祭も全部一緒だったのに、高校を卒業してバラバラになるとお互いに連絡さえ取らないほど疎遠になった。どうしてと言われても分からないと答えるしかない。それぞれの夢を追いかけてバラバラになった、ということにしておこう。
それから約十年。目の前に夏樹がいる。
「これ飲んだら帰る」
思い出に胸が痛くなったわたしは夏樹を見ずにそう言って二口で残りのビールを飲み干し、カバンから財布を取り出した。二千円を机に置いて立ち上がる。
「おつりはいらない」
数百円のおつりなんてくれてやる。身を翻そうとして、夏樹が机に突っ伏しているのに気が付いた。一瞬で自分の身体が冷えるのを感じる。やめてよ、治ったって言ったじゃん。
「夏樹っ……」
「おえ、気持ち悪い」
ジョッキ半分も飲んでいないのに、酔いつぶれたのは夏樹の方だった。自分で歩くこともままならない幼馴染を、介抱したのはわたしで。
つまりは、お持ち帰りをしたのは紛れもなく自分だった。