不協和音⑤
「結婚? 芹澤が?」
午後一時。夏樹がうちに来る前に黒瀬くんの家にお邪魔していた。黒瀬くんのお父さんとお母さんに熱烈な歓迎を受けたので、わたしと黒瀬くんの関係がこの地域でバレるのも時間の問題だと悟った。
黒瀬くんに秋菜の話をすると、驚いた黒瀬くんは眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた。
「そう、国際結婚だって。それで家庭に入るからピアノも辞めるんだって」
「へぇ、意外だな。フランスは共働きが一般的なのに、芹澤は専業主婦になるってこと?」
「そうみたい」
黒瀬くんの部屋は物がほとんど無かった。あるのは学習机とベッドの骨組みだけ。わたしたち二人はそのベッドの骨組みに横並びで座って話をしていた。
「あれ、そういや春斗は元気?」
「元気すぎるくらい元気だよ。帰ってきてから喧嘩ばっかでお母さんに怒られてる」
「昔から仲良かったもんな、井上姉弟」
ははは、と笑った黒瀬くんの目尻にシワが出来て、こんな笑い方するんだと知った。そういえばこんな近くで黒瀬くんを見たのは初めてかもしれない。
「黒瀬くんはお兄さんいたよね。八歳くらい離れてたんだっけ?」
「うん。もう結婚してこないだ三人目の子どもが産まれたらしい。これでも俺、叔父さんだよ」
「オジサン! 響きが嫌だねぇ」
ケタケタ笑うと、黒瀬くんは愛おしそうにわたしを見て微笑んだ。その姿にドキッとする。幼馴染から恋人に変わって、黒瀬くんはよくそういう顔をするようになった。すごく大切にしてくれている事を思い知らされる。とてもじゃないけど慣れる気がしない。
「ちょっとトイレ」
そう断って黒瀬くんは部屋を出た。一人になって初めてクーラーの駆動音を聞いた気がした。急に落ち着かなくなって忙しなく目を動かす。といっても部屋にあるのは棚に何も入っていない勉強机だけなので、自然とそれを見た。
「……ん?」
勉強机の上に何か置かれているのに気がついた。立ち上がって近付く。それは長方形の紙の真ん中に数字が並んでいるもので、写真の裏側だとすぐに分かった。手を伸ばして表に返す。教室の黒板を背に男女四人が写ったその写真の黒瀬くんは、仏頂面で眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げている。わたしの手帳と秋菜のピアノに置かれていた写真と同じもの。
ドキッとした。黒瀬くんがこの写真を持っているのは知っていたが、まさかここに置いているなんて。
わたしは写真をそっと元に戻してベッドの縁に腰掛けた。同時に黒瀬くんがトイレから戻ってきた。
「クーラー効いてない廊下は暑いな」
パタパタと手で顔を扇いでわたしの隣に座る。
「今年暑いよね」
同調しながら頭の隅であの日のことを思い出す。
『春夏秋冬〜カルテット〜』
「井上」
不意に黒瀬くんが手を伸ばし、わたしの頬に触れた。絡み合う視線。近付いてきた黒瀬くんを拒む理由が見つからず、わたしはゆっくりと目を閉じた。




