高貴なデート⑥
「井上春香さんいますー?」
次の日、大阪から帰ってきた夏樹は、仮払金の清算をする為に経理部へやって来た。最初の処理をしたのはわたしなので、最後の処理も自分でやる。
「はいはい。書類見せて」
持ってきた紙を受け取り、電卓片手に計算していく。
「余剰金返して」
「はい」
余ったお金を受け取り、金額が合っているか確認する。ふんふん、間違いはなさそうだ。
「オッケー。じゃあここにサインちょうだい」
指定した箇所に名前を書かせる。任務完了。
「あ、これ、お土産。これは経費に入れとらんけぇ安心して」
「本当に買ってきてくれたんだ」
紙袋を渡されたのでありがたく受け取った。経費に入れないのは当たり前だけど。チラと見えた中の包装紙にはたこ焼きの絵が描いてあった。
「春香、ちょっとだけ時間いい?」
用事が終わったので仕事に戻ろうとすると、夏樹に呼び止められた。なぜか小西くんがわたしを一瞥する。チラ、と理佳子先輩を見ると微笑んで頷いてくれた。
夏樹に誘導され廊下に出る。基本この階の人たちは席でパソコンとにらめっこする仕事なので、廊下には誰も出ていなかった。
「どうしたの?」
なるべく苛立ちが出ないように努めて冷静に訊ねる。夏樹は頭を掻いて「昨日」と言った。
「芹澤のコンサート……行った?」
「行ったよ。よかった、すごく。プロってすごいんだなって、感心した」
泣いたことは言わない。なんで泣いたのか自分でも分かってないし。
「えっと、芹澤とは……」
「会えなかった。ごめんね」
自分で言っておきながら感情がこもってないなと思った。ごめんだなんて微塵も思ってない。嘘をついていることにも罪悪感はないので、こうして薄情なわたしが出来上がっていくらしい。
「そっか」
あからさまに肩を落とす夏樹。一応「夏樹が行けなくて残念だったね」と同情しておいた。
「もういい? 戻るね」
踵を返そうとすると「やっぱり」と夏樹が呟いた。
「俺が病気じゃった方がみんなバラバラにならんかったんかな」
空耳だと思った。夏樹を振り返ると定まってない焦点をわたしの向こう側に当てていた。
『病気じゃった方が』ってなに。
二年前の思い出したくない光景がフラッシュバックする。鳴り響くモニター心電図、泣き叫ぶ母親の声、微動だにしない八歳の颯太くん──
「……っ」
嫌だ。思い出したくない。苦しい。
まるで自分が病気だったからみんな仲良くしていたみたいな言い方。どうして、そう思えるんだろう。
『大丈夫。落ち着いて、ゆっくり息吐いて』
黒瀬くんが背中をさすってくれる。大丈夫、わたしには黒瀬くんがいる。自分に言い聞かせるように呼吸を整えると、わたしは夏樹を見据えた。
「どしたん春香。顔色悪いで……」
「病気だった方が良かったなんて、言わないで」
「え?」
「わたしは、あんたと同じ病気で、八歳で、この世を去った子を知ってる!」
「春香……」
「『怖い』って震えるあの子を、救えなかった。『病気だった方が』なんて言うな!」
誰もいない廊下にわたしの声が響いた。夏樹は何か言おうとしているが、声にならないようだった。
「井上さん、九州ブロックから電話です」
経理部から小西くんが顔を出して教えてくれた。わたしは「じゃあね」と今度こそ踵を返す。
「春香っ」
夏樹の声が背中に刺さったが、わたしは振り返らず自分の持ち場へ戻った。




