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春夏秋冬カルテット  作者: 音吹
30/68

高貴なデート④

 技巧的な音符群を華麗に弾きこなし、大自然の中を駆け抜けていくような爽快感かつ、ぐっと情熱的に高揚する。そして、明るく結ばれた全曲の終了とともに、秋菜の両手は鍵盤から離れて宙にとどまった。


 ホールは余韻を残して静まり返る。


 指揮者が両手を下ろすとともに、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。


「ブラボーっ!」


 どこからか指笛が聞こえた。あちこちで立ち上がる音もする。前に座る何人かも立ち上がって拍手を鳴らしていた。


 額にうっすら汗をかき、肩で大きく息をして椅子から下りた秋菜は、指揮者と左端にいるバイオリニストと握手すると、客席に向かって深くお辞儀をした。拍手の音がひと際大きくなる。喝采を浴びた彼女は薄ピンクのドレスを翻して下手側にはけていった。


『只今より、十五分間の休憩をいただきます──』


 アナウンスが流れると会場がゆっくりと明るくなった。ステージ上の演者たちも舞台袖へはけていく。客も思い思いに席を立つ中、わたしは誰もいなくなったステージから目を離せないでいた。ざわめきも遠くの方で聞こえている。


 ふと、そういえば黒瀬くんと一緒に来ていることを思い出した。秋菜のことをどう思っただろうか。隣を見ようとすると、目の前にホワイトブルー系チェック柄のハンカチを差し出された。首を傾げると頬から顎にかけて温かいものが流れる感覚がした。


「感動した?」


 言われて初めて自分が泣いていることに気が付いた。え、何で。黒瀬くんからハンカチを受け取り、目元に当てる。


 音楽を聴いて泣くなんて、初めてだった。ましてや歌詞のない音楽で、さらには馴染みもないクラシック音楽なのに。自分でも何の感情なのか分からない。ただ、勝手に涙が溢れて止まらなかった。


 秋菜と、話がしたい。でも、もうわたしになんか会ってくれないかもしれない。


 十年も連絡を取らなかったことを、今更後悔した。




 たっぷり五分ほど泣くと、わたしの涙はようやく止まった。大きく息を吐く。隣の黒瀬くんは手を伸ばし、わたしの目元を優しく拭って微笑んだ。


「化粧直してくる?」


「うん。ありがとう」


 お言葉に甘えて席を立つ。ロビーに出るとあちこちで数人のグループが円になり、談笑していた。「芹澤さん素晴らしかったわ」「鳥肌立っちゃった」そんな声が聞こえる。


 あれはわたしの幼馴染で親友です、と言いふらしたい衝動に駆られるが、秋菜はそう思ってないかもしれないので、飲み込んだ。


 パウダールームで確認した自分の顔は、ひどいものだった。目は少し充血し、瞼も腫れぼったい。どれだけ泣いたんだわたし。目元を中心に軽く化粧を直して、席に戻った。


「大丈夫?」


 戻るとすぐ黒瀬くんが心配そうに訊いてくれた。わたしは「うん。大丈夫」と笑って、ステージに目を向けピアノがステージ上から姿を消していることに気が付いた。


「あれ、ピアノがなくなってる」


「二部では使わないみたい。オーケストラのみの演奏になるんじゃない?」


 パンフレットを見ても曲名と解説が載っているだけで、ピアノの使用有無は分からなかった。


 五分前のブザーとアナウンスが流れる。


「それにしてもすごかったな、芹澤。音楽室で弾いてた姿とはまるで違った」


「うん。わたしもビックリしちゃった。なんか、近くにいるのに遠い感じ」


「そうだな」


 黒瀬くんの言った通り、二部はオーケストラのみの演奏だった。立ったり座ったりの演出もあって、飽きないように工夫された舞台は楽しかった。クラシック音楽って高貴でお堅いイメージしかなかったけど、凡人でも楽しめると知れてよかった。S席が一万円もするのも頷ける。


 再び休憩に入り、第三部を残すのみとなった。最後はピアノ演奏もあるようで、舞台上にピアノがセッティングされる。パンフレットによると、ガシューインのラプソディー・イン・ブルーという曲を演奏するようだ。


 舞台に姿を現した秋菜は、第一部と違い水色のドレスに衣装替えしていた。相変わらず胸は強調されている。何を着ても似合うな、なんて思ってしまった。第一部と違ったのはドレスだけではなく、表情も違って見えた。さっきは緊張している様子だったが、今はリラックスしているように見える。一曲弾き終えた解放感があるのだろうか。


 曲は下から上へ滑らすような音階で駆け上がっていく音から始まった。何の楽器だろう。ジャズのようなリズムで、眠りかけた酔っ払いが千鳥足で歩いている光景が浮かんだ。


 その後、秋菜の指が動く。ピアノのソロが始まった。適当に弾いているようにしか見えないが、しっかり音楽なのだろう。手を交差させたりしながら、前のめりで指を動かし盛り上がりを見せてオーケストラへ引き継いだ。


 どれだけの練習を重ねればプロのオーケストラとの信頼関係が築けるのだろう。指揮者もオーケストラの人たちも秋菜を信頼し、秋菜もオーケストラを信頼しているような顔をしていた。途中、ピアノのソロがあり秋菜は気持ちよさそうに弾いていたが、所々でおどけた顔をした場面があったときにはオーケストラの人たちも微笑んでいたので、多分アドリブでも入れたんだろう。秋菜は昔から即興も得意だった。


 第一部の曲は三十分ほどあったが、この曲は二十分ほどだった。


「ブラボー!」


 たちまち歓声が上がる。


 その後アンコールがあり、ピアノのみの曲を一曲、オーケストラのみの曲を一曲演奏して終演した。


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