好きだった人①
黒瀬くんと会って三日が経過した。ずっと黒瀬くんのことが頭をグルグルと駆け回っていてあまり寝付けないでいる。
今までも好意を伝えてくれたことは幾度となくあってそれとなく拒否してきたのに、この間の告白に頷きそうになったことに、酔いの冷めたわたしは動揺していた。
「ちょっと、井上さん。その領収書千五百円ですよ」
給湯室にコーヒーを淹れに行って帰ってきた小西くんに、後ろからパソコンを覗き込まれた。わたしは手元の領収書と経理ソフトに入力していた数字を見比べる。十五万円。二桁も多かった。
「あー……ありがと」
登録ボタンを押す前に中止ボタンで操作を止める。これじゃダメだ。大失態を犯しかねない。
「どしたんすか。最近なんか悩んでるみたいですけど」
小西くんは左隣の席に着いてコーヒーを啜りながらこちらを見る。今は月見班が先に休憩に行っており、周りの部署も人がまばらだった。
八月の経理部は閑散期で交代で有給休暇を取っており、今日は理佳子先輩が一日有給休暇を取っている。今は小西くんと二人だ。
この後輩なら、なにか分かるかもしれない。人生経験はわたしより二年少ないが、恋愛経験はわたしよりありそうだ。それになりより、わたしは誰かに相談したくてたまらなかった。業務には全く関係のないことだが、周りに人はあまりいないし、溜まっている仕事もない。
わたしは声のトーンを落として言った。
「あのさ、友だちの話なんだけど」
「はい」
「昔からその友だちに好意を寄せてくれている幼馴染がいて、学生の頃何度か告白されたけどずっと断ってたらしいのね」
「はい」
「で、社会人になってまた告白された時に、嫌じゃなかったし考えるって言ったんだって」
「はい」
「それって、どういうことだと思う?」
「はい?」
急に質問になったので、小西くんは逆に訊き返してきた。
「それって、井上さんの友だちの話ですよね?」
「うん」
小西くんは少し逡巡して口を開いた。
「友だちは、その幼馴染のこと、好きになったんじゃないですか?」
「……そうとしか考えられないよね」
訊いておきながら、わたしは小西くんが何と言うか分かっていた。わたしも黒瀬くんが好きということなのだ。
結論が出ていても尚、悩んでいる懸念は。
「でもね、今更『わたしも好き』って言っていいのかな。今まで散々断ってきて、色々助けてもらったりもしたのにその手を振りほどいたりしてさ。それなのに『まだ好きだ』って言ってくれる人のところに飛び込んでいくのって、都合良すぎない?」
必死すぎて友だちの話が完全に井上春香の話になってしまっていた。でも、もう訂正する余裕はない。今頭を抱えているのは、友だちではなくわたしであって相談相手は小西くんだ。二人で飲む仲の後輩に恥など忍んでいられなかった。
小西くんは腕を組んで小首を傾げた。
「そうっすか? 俺の友だちにもずっと一人の人を想い続けて告白しても振られ続けたけど、最終的に結婚した人、いますよ」
「それって友だちの話だよね」
自分が友だちの話と言っておきながら自分の話をしているので、思わず訊いてしまった。小西くんは苦笑する。
「これは友だちの話っす。俺、今フリーっすよ」
「そっか」
本当か嘘かの見分けも付かないほど、わたしの頭は固くなっている。相当悩んでいることが小西くんに伝わったのか、彼はわたしの背中を軽く叩いた。
「井上さん考えすぎですよ。男ってのは、逆に都合良いように使ってもらいたいんすよ。それが好きってことですから。なので、迷わず飛び込みましょう! ……って友だちに言っといてください」
小西くんはチャームポイントの犬歯を二本光らせると立ち上がって「ちょっとトイレ行ってくるっす」と言って部屋から出て行った。
経理部区画に一人取り残される。
小西くんの言う通り、考えすぎなのだろうか。




