四角関係②
そのまま一年が経過し、高校三年生の春。わたしは担任の先生と二者面談をしていた。
「井上の成績なら、今志望してる大学じゃあ勿体ないんよねぇ」
三十代後半でショートカットが良く似合う風貌で、縁なし眼鏡をかけた岡田先生が腕を組んでそう言った。
「もっと上の大学目指さん?」
自分の頭が良いなんて自惚れたことは思ってなかったが、確かに模擬試験での希望大学は全部A判定だった。それは全部県内や隣県に看護学部がある大学で、もっと上というと地元を離れるということを意味していた。
「もっと上ですか……」
「地元を離れたくない?」
「まぁ、そうですね……」
離れたくない理由などひとつしかない。屈託なく笑う夏樹の顔が思い浮かんだ。一緒の大学に行くと分かってから、わたしは前向きな妄想しかしてこなかった。秋菜も黒瀬くんも近くにいないのは寂しいけれど、それよりも夏樹と一緒にいられるならと、それしか考えていなかった。やっぱりわたしは薄情だった。
「そうかぁ。まぁ本人の意思が一番大事じゃけどさ、一応いくつかピックアップしてみたけぇ、チラ見だけでもしといて。じゃ、次の……上田と交代」
岡田先生は残念そうに言ってわたしの前に三部ほどパンフレットを置いた。
「はい、ありがとうございました」
それを手に取りわたしは進路指導教室を後にした。
三年一組に戻ると自習時間のはずなのにやたら騒がしかった。一部の生徒のみ静かに勉強をしていて、大半の生徒はあちこちに散らばって談笑している。カルテットの三人は後者だった。
「お、春香帰ってきた」
わたしは次の上田くんに声を掛け、窓際一番後ろの夏樹の席に集まっている三人の元へ合流した。
「ただいま」
「春香ちゃんおかえり。あれ、そのパンフレットどしたん?」
秋菜が目ざとく見つけて首を傾げる。わたしはなんとなく見られたくなくて、胸の前で両腕を交差させてパンフレットを隠すように持った。
「なんか先生がくれた」
それだけ言って、夏樹の隣の自分の机の中に突っ込んだ。
「わたしが二者面談の間、三人で何話しとったん?」
「今日の晩飯なんかなって」
「昼もまだなのにもう晩御飯の話?」
「夏樹くんは常にお腹空いとるけぇね」
「食べ盛りじゃしな」
わたしと夏樹と秋菜で話している間、黙っていた黒瀬くんから視線を感じた。目が合うと黒瀬くんは小さく首を横に振って「嫌じゃわ夏樹がデブになるん」と会話に参加した。多分この時、二者面談で先生から言われたことを薄々察知していたんだと思う。
昼休みも四人で弁当を食べて、お手洗いで席を外して教室へ戻る時だった。
「井上」
教室から出てきた銀縁眼鏡の黒瀬くんは、わたしを呼んで「ちょっとええ?」と教室から離れた渡り廊下へ誘導した。中庭が見渡せる二階の渡り廊下には、桜の花びらがところどころに落ちている。追いかけっこをする男子生徒が通ると、桜の花びらが舞い上がった。
「どしたん、黒瀬くん」
「……一緒にこの町出ん?」
「え?」
どこからかやってきた白い小さな蝶々が頭上を飛んだ。風に流されるようにヒラヒラと飛び回る。
「二者面談で『もっと上を目指さん?』とでも言われたんじゃろ?」
「…………」
心の内を全て見透かされているような気がして目を逸らした。わたしが答えないのをいいことに、黒瀬くんは続ける。
「俺も思っとったんよな。井上の成績なら今の志望校じゃ勿体ないって。夏樹のそばにいたいのも分かるけど、それならもっと上で学んでみようって、思わん?」
夏樹のそばにいたい。その言葉がわたしの胸にストンと落ちた。引っかかったのは『それならもっと上で学んでみようって、思わん?』の部分だ。目を合わせると、黒瀬くんは眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた。
「医大もさ、たくさんある中であそこを選んだんは、自分の偏差値に合ってたのもそうじゃけど、心臓病についてより深く学べそうだったけぇなんよ」
暖かいそよ風が吹いた。桜の花びらが舞う。黒瀬くんはわたしの頭に手を持ってくると髪に触れて、小さく笑った。
「ま、俺も井上の近くに居りたいだけなんじゃけど」
つままれた桜の花びらをわたしに見せ、フッと息をかける。ヒラヒラと下に落ちるそれを眺めていると、黒瀬くんはいつの間にかいなくなっていた。
「心臓病についてより深く……」
黒瀬くんの言葉を繰り返す。ただ一緒の大学に行けるだけでそれ以上のことは全く考えていなかった。途端に恥ずかしくなる。こんなので看護師として夏樹の側にいてもいいのだろうか。
家に帰って岡田先生からもらったパンフレットを見ながら、パソコンで検索した。ひとつは長崎県、ひとつは兵庫県、ひとつは東京都。それぞれ特化した専門分野がありどれも魅力的だと思った。自分が志望している地元広島県の大学も検索してみる。それでもやっぱりここが一番魅力的だと思った。夏樹のかかりつけの病院だって近くにある。何かあればすぐに駆けつけられる。結局は、そこだった。わたしはもらったパンフレットを勉強机の奥に仕舞った。




