第9話:グローリー・デイ
帝都の大聖堂。10歳のあの日以降も幾度か訪れている場所であるが、今日は2人の貸切である。
この日のために領地から駆けつけている両家の父母や聖堂の司祭たちが見送る中、白の衣装に真紅を纏った枢機卿が2人に頭を下げる。彼は7年前にブライアンを抱きかかえた司祭であった。
「大きくなられましたな。この日を待ち望んでおりました」
「猊下……まだ我らの階梯が上がったわけでは」
ブライアンは答え、あの日より7年分の皺を蓄えた枢機卿はふふと笑う。
「自明の理というものにございますよ。あなた方の活躍は、わたくしの耳にも届いておりますゆえ。
さあ、あの日奪われた名誉と奇跡を取り戻しに参りましょう」
枢機卿の先導を受け、2人は身廊を抜けて聖堂の中央へ。
機械神の像の前へと向かう。丸天井の下で3人は立ち止まり、無数の配管と歯車で構成された異形の神を見上げた。
「ビー」
ブライアンのテノールが無音の聖堂に響く。
「緊張している?」
「……そうね」
「いい?」
ベアトリクスは息を吐いて、深く吸った。
「いいわ」
2人が頷くのを確認し、枢機卿は機械神像に祈りを捧げ、最後にこう締めくくった。
「我は機械神に希う、彼らの能力を開示せんことを!」
機械神像の全身から蒸気の噴出する音。無貌の仮面の奥で目がぎらりと光り、高らかな音と共に右手が動く。
その指は壁に取り付けられた巨大な鍵盤を幾度も叩いて言葉を産み、枢機卿の目の前に2枚の紙片を落とした。
その紙片に2人の名と、彼らの階梯が2段階目に達していることを認めた枢機卿は2人を寿いだ。
「幸いなるかな、今ここにその献身が認められ、偉大なる階梯を一段上がった忠実なる神の信徒たちがいることを。
神は授けん、無限へと至る新たなる可能性を。
信徒よ。『表裏無き歯車』を願い、欲したまえ。そしてさらなる献身を捧げたまえ」
ブライアンとベアトリクスは見つめあった。ブライアンは言う。
「ビー、貴族となるため、神より衣装を賜るの嫌だったりしない?」
「そ、そんなことないわ!」
ベアトリクスは慌てた様子で眼鏡を押し上げながら答える。
「なんでそんなことを言うのかしら」
ブライアンはがしりとベアトリクスの腕を掴み、琥珀の瞳を覗き込んで言った。
「『わたしみたいな評判が悪いのを妻とするのではブライアンの評判が下がるのでは』なんて心配して、急に機械神にパン焼き窯でも願って貴族籍から外れようとしているのではないだろうかと不安になったんだけど」
「ええ。そんなことは無いわ」
ベアトリクスは当然とでも言うように、にこりと笑った。ブライアンも笑みを見せる。
「ふふ、じゃあこうしても問題ないよね。
神よ!機械神よ!僕は願う、ベアトリクス・ボーデンの身を飾る衣を!」
ベアトリクスは息を呑んだ。
巨大な神の手がブライアン手の上に重ねられ、魔力が渦巻く。魔力は黄金に輝き、8の字の形状の歯車が残される。
歯車はさらに光を放つと変形し、ベアトリクスの身体を覆っていく。
それは海の如き蒼のドレスとなった。後ろの膨らんだバッスルスカートの形状をしたイブニングドレス。
鎖骨の見えるベアトップで、胸元は藍に近い深い蒼。スカートは無数の布を重ねることで波のような形状を模し、裾の方に向かって段々と白くなり、波濤の色もまた模していた。
長い手袋も二の腕のあたりは藍に近い深い蒼。手のあたりに向かって白くなるというグラデーション。
そしてウエストは黄金のコルセットによって折れんばかりに細く締め上げられ、優美な曲線を描いている。
最後に青い羽根を金のリボンで止めた、つば広の帽子がふわりと彼女の頭の上に乗った。
「ああ、綺麗だよ。ビー」
ブライアンが感嘆のため息を漏らし、ベアトリクスはわなわなと震えた。
「何で!わたしみたいな評判が悪いのを妻とするのではブライアンの評判が下がるのではって思って、機械神にパン焼き窯でも願って貴族籍から外れようとしていたのに!」
「ほら」
「……はっ!」
「ねえ、ビー。貴族は嫌だ?」
ベアトリクスが眉を寄せる。
「……わたしに社交なんて出来る気がしないの」
「うん」
「刺繍とか、音楽とか貴族の妻らしいことができないし」
「うん」
「可愛くないし、綺麗でもないし」
「うーん?」
ブライアンは首を傾げてから、彼女の前に跪いた。
「そんなに美しい姿を見せて可愛くないとは神に怒られてしまうよ。
そしてブライアン・バーデンベルクにとって、ベアトリクス・ボーデンはこの世界で最も可愛い人物であるとここに誓う」
「なっ」
「そして僕は社交界で活躍するよりも、知的な会話ができて歴史と経理に長けた妻がいい」
「えっ」
「刺繍や音楽ができなくても、邪神の尖兵を倒す囮になって硫酸で攻撃できる。そんな妻がいい」
「んっ」
ベアトリクスは空いた手で帽子を押さえ、顔を隠した。帽子の端から見える耳が真っ赤に染まる。
「愛しています、ベアトリクス。僕の妻になっていただけませんか」
ベアトリクスはしばし沈黙し、揺れる声で叫んだ。
「……神よ!機械神よ!わたしは希う、ブライアン・バーデンベルクの身を飾る衣装を!」
ベアトリクスの前に出現した歯車は輝き変形し、ブライアンの身体を覆って漆黒の燕尾服となる。
ベアトリクスは呟いた。
「……謹んでお受け致します」
ブライアンは立ち上がって彼女を強く抱きしめた。ベアトリクスもブライアンの背中に手を回した。
ベアトリクスは尋ねる。
「……ねえ、ブライアン。なんでわたしが逃げようとしてるって分かったの?」
ブライアンはベアトリクスの帽子を退かし、額に唇を落として言った。
「それを未だに気付いてない君が可愛いんだよ、ビー。
君は本心と逆のことを言うとき、眼鏡を触る癖があるんだ」