第7話:ブレイクタイム
ベアトリクスは教室の席に着き、授業の用意をする。
だんだんと座席が埋まり、先ほど回廊で話していたミア・キャンベルも教室に入った。彼女はこちらをちらちらと窺いながら、セオドラ・エザートンと彼女の取り巻きたちにひそひそと話している。
先ほどの件を彼女たちに伝えているのだろう。
ベアトリクスがかつて文献を漁って調べた結果からすると、彼女とブライアンは階梯を上げるのに十分な邪神の尖兵を倒してきている。
ベアトリクス自身は討伐に関わっているが、直接倒しているのはブライアンだ。彼女自身の階梯が上がらなくとも、彼の階梯が上がる確信はある。
放課後、階梯を上げるために大聖堂の機械神像に祈りを捧げる予約は行った。
そして週末は皇帝と拝謁する機会がある。
デビュタントだ。
貴族の令嬢は、『表裏なき歯車』による衣装を純白のものに、令息は衣装を漆黒の燕尾服にして皇帝陛下に御目見得し、貴族として社交会にデビューすることを認められると言う趣旨の舞踏会である。
そんなことをベアトリクスがつらつらと考えながら授業を受け、休み時間。
「週末のデビュタント、皆様はどういたしますか?」
セオドラ・エザートンがちょうどデビュタントについての話題を、わざとベアトリクスにも聞こえる声で話した。
「もちろん行きますわ」
「ご一緒させていただけるのですか?」
取り巻きたちがこたえる。
「お父様が席を取ってありますからね、ぜひいらして」
舞踏会の主役は社交会デビューの令息令嬢たちだが、既にデビューしている者たちも参加はできる。その参加費用だけで平民の年収を優に越える寄付金が必要となるが、デビュタントは貴族たちの見合いという側面も大きい。
無数の貴族が参加者を見定める場でもあるのだ。
「結局ミスター・バーデンベルクは去年もデビュタントに参加されませんでしたもの。もう今年しかありませんわ」
帝国においてデビュタントは15歳で参加するのが基本である。すでに婚約者がいるとより若く、何らかの事情があれば16歳以降で参加することもあれど、そもそも12〜18歳までしか参加資格がない。
「彼はどなたの騎士をつとめるのかしら」
ブライアンが誰の隣に立ってデビュタントに参加するのかはセント・アマネーの全女生徒たちの関心事であった。
「ミス・ボーデンも一緒にいかがかしら?……あら、失礼」
「ダメですよ、彼女は参加できないんですから」
くすくすと嘲笑の声を響かせる。
「ああ、お可哀想なブライアン様、不出来な婚約者を持ってしまったがために社交会デビューが遅れるなんて。
これはもう世界の損失と言っても過言ではないですわ」
「ほんと、『無能令嬢』よねえ」
実のところ、彼女たちはベアトリクスが『表裏なき歯車』をブライアンの脚にしたことを知らないように、ブライアンも歯車を自身の腕にしてしまったことを知らないのだ。
「……馬鹿げてるわ」
ベアトリクスは呟いた。
何の努力もせず、貴族という地位にいる女たち。
ただ血統のみで至高の座に座る愚帝。
「本当にくだらない」
彼女は自分でも困惑していた。朝、ミア・キャンベルに強い言葉を叩きつけてしまったことを。
それが彼女の真意であるのは間違いない、だがそれを押し殺し続けて学園生活を送ってきたのではなかったか。
自分は、ブライアンはこのままでは貴族を継げない故に戦ってきた。だがそれが手に入る間際になって、唐突にそれが色褪せて感じているのか。
貴族となって彼女たちと社交の日々を過ごす?冗談じゃない。
彼女は自分の内側に生まれた感情、それが怒りなのだと気づいた。
がたり、とベアトリクスは淑女にあるまじき音を立てて立ち上がる。
「あら、ミス・ボーデンどうされたのかしら?」
セオドラ・エザートンが尋ねる。
ベアトリクスは机の上の筆記用具を鞄に詰め込みつつ、短くこたえた。
「早退します」
鞄を肩にかけ、颯爽とスカートを翻して教室を後にする。
同級生たちは青天の霹靂とも言える行為を唖然と見送った。
「わたしには貴族なんて無理なのよ」
ベアトリクスは足早に廊下を進む。
そして両手で顔を挟むように眼鏡を持ち上げつつ呟いた。
「ブライアンはもっと高位の貴族からも縁談がきてるもの。それを妻としてもらって、わたしは彼の妾でも愛人でもなんでもいい。私立探偵事務所の秘書だっていいじゃない」
貴族で無くなっても傍にくらいは置いてくれるだろう、それとも妻となった人物に追いやられてしまうかも。
足早に進む彼女はすれ違った歴史学の教師に声を掛けられた。立ち止まってそれにこたえる。
「おや、ミス・ボーデンどうされました?」
「ああ、ギブソン先生。今日は……サボらせてもらおうかと」
初老の教師は目を丸くしてベアトリクスを見つめ、ゆっくりと頷いた。
「なるほど……まあ貴女ならいいでしょう」
「よろしいのですか?」
「今日の授業は先週のレポートの講評と解説ですからね。貴女が新たな知見を得られるものはない。だって、ミス・エザートンたちのレポート書いていたのは貴女でしょう?」
「……わかりますか」
「そりゃあわかりますよ。あそこまでのレポートを彼女たちが書けると思うほど、教師の目は節穴では無いのです」
ギブソン先生はそう言って笑う。
「さ、行ってらっしゃいミス・ボーデン。貴女のサボりが有益であらんことを」
ベアトリクスは立ち去る先生へと頭を下げ、再び歩き始めた。