第6話:モーニング
この帝国において貴族は全て、『表裏なき歯車』を自らを飾る衣服とせねばならない。
民草の着る麻や綿とは異なる素材・形状の、決して解れず、破れず、持ち主の成長と共に、持ち主に合う形で姿を変える神秘の衣装。これを着る者のみが貴族を名乗り、皇帝と拝謁することができるのだ。
よって7年前にブライアンの手脚を願ってしまった2人は伯爵家を継げない。
解決する方法は唯一。
新たなる『表裏なき歯車』を機械神より賜り、それを衣服とすることである。
だがそれは平易な事では無い。
それは神に認められるだけの功績を立てると言うこと。
故に彼らは邪神の尖兵を狩るのだ。
探偵のケリー氏の調査を元に土曜日は一日駆けずり回って夜中遅くに切り裂きジャック、邪神の尖兵を倒した。
日曜日は昼過ぎまで泥のように眠り、午後は買い物や学校の課題などを2人でゆったりと行ったのだった。
月曜日の朝、窓際でベアトリクスは新聞を眺める。
赤金の手脚に油を差して整備していたブライアンが尋ねた。
「どう?載ってる?」
「全国版の一面は、先週から変わらず。怪盗団『ドロシア女公爵と彼女のならず者たち』北東戦線に出没、の続報ね。
帝都版の方には見出し記事で載ってるわ。『貧民街で邪神の尖兵の死体!再来した切り裂きジャックの正体か?』ですって」
へえ、とブライアンがベアトリクスの背後から覆い被さるように覗き込む。半裸で作業をしていたブライアンの体温が彼女の首元にかかった。
ベアトリクスが左手で新聞を持ち、ブライアンが右手で新聞を持つ。
ベアトリクスは空いた右手で眼鏡を持ち上げる。
「もう、ちゃんと先に服を着てよね」
「仰せのままに、お嬢様」
ブライアンはそう戯けると、ぎゅっと背後から彼女を抱きしめて軽く耳を噛んでから離れた。
ばさりと新聞が床に落ちる。
「もう!」
朝食後、2人はさっと身仕度を整えて馬車で学校へ。
ブライアンはぱりっとした監督官姿である。ベアトリクスも服装は整っているが化粧気はない。
「土曜日みたいにちゃんと化粧すればいいのに」
「冗談じゃないわ。あんな夜の化粧で学校行ったら先生が倒れちゃうわよ」
くすくすと2人で笑いながら馬車は進む。週のはじまり、ちょっと気怠げに歩く男性や元気に走り回る少年少女たちをゆっくりと追い抜きつつ馬車はセント・アマネーの門を抜ける。
馬車止めで降りた2人はマロニエの並木道を歩き、互いの教室へと向かうために校舎の手前で立ち止まる。ブライアンはベアトリクスの手を取って軽く唇を寄せた。
「じゃあね、ビー」
「ええ、ブライアン」
ベアトリクスが一人、教室へと回廊を歩いていると立ち塞がる影がある。
「ベアトリクスさん!」
「ごきげんよう、ミス・キャンベル」
亜麻色の髪をなびかせて立つのはキャンベル商会の令嬢、人気の少ない回廊で待ち伏せしていたようだ。
「ベアトリクスさんはブライアン様と登校されてましたね」
「ええ、いつものことだけど」
毎週末彼らは外出しているため、週明けは必ずバーデンベルク家の馬車で登校することになるのだった。
「ベアトリクスさん、あなたがブライアン様に相応しいと思っているのですか!」
失礼な女だとベアトリクスは思う。
だが彼女はため息をついてこう続けた。
「実のところわたしも、彼にはもっと好条件の縁談を受けて然るべきだと思うわ」
「それなら!」
ベアトリクスは手を向けて言葉を止める。
「だけどその相手は貴女如きを意味しないわ、ミス・キャンベル。礼節も教養も有さぬ商家の娘」
「あ、貴女なんて歯車も持たない無能じゃない!」
ベアトリクスが酷薄な笑みを浮かべた。
ずい、と一歩進み出て指を突き付ける。銀縁の眼鏡が朝日を反射してぎらりと輝いた。
「へぇ……。『表裏なき歯車』を持っていることしか、わたしより誇れることがないのかしら?
でもそれだったら帝都の10歳以上の女性なら、誰でもいいことになりますわねぇ。貴女である必要があるのかしら?」
「う、うるさい!『無能令嬢』のくせに!何よ!今までずっとわたしたちの言いなりだったじゃない!」
彼女は激昂し、右手の上に『表裏なき歯車』を顕現させた。黄金色に輝く8の字のような形状の歯車が宙に浮かぶ。
だがそれが展開されるより速く、ベアトリクスは取り出した万年筆のペン先を彼女の眼前に突きつけた。
ペンポイントが睫毛に触れる。
「ひっ」
「『表裏なき歯車』は神の御業によるもの、この距離でもわたしが刺すより速く展開できるでしょう。試してみては?
さあミス・キャンベル。わたしを痛めつけて、あるいは殺して、貴女がブライアンの婚約者に収まれると思うならどうぞ?」
後退しようとして腰が抜けたのか、尻餅をつくようにどさりと倒れる。歯車がからりと転がり、虚空に消えた。
ベアトリクスはじっと彼女を見下ろし、ペンを仕舞う。
「たかが『表裏なき歯車』を有しているくらいで威張らないで下さいます?滑稽よ、貴女」
そう言って教室へと立ち去った。