第4話:ウィークエンド
機械神像が自ら動き、子供の命を救った奇跡。
自らの権利を放棄してまで、友の脚を願った少女。
……だがこの話は美談とならなかった。
愚帝ウォーレス。稀代の愚かなる皇帝。
ブライアンを跳ねた馬車は、ウォーレスがお忍びで高級娼館へ行って一夜を明かして城へと帰途につくものであったのだ。そして彼は自らの不名誉が漏れるのを厭い、この件の口外を禁じた。
馬車に轢かれたブライアンの父、バーデンベルク伯には多額の慰謝料が支払われる。
伯爵は激昂した。
この件で一番不利益を被っているのは命を取り留めた自分の息子ではなく、ベアトリクス嬢なのだから。
なぜなら彼女は帝国の臣民全てに与えられる権利をブライアンのために使ってしまったのだ。
だがそれを諌めたのもまたベアトリクス嬢だった。
「おじさま、ブライアンが生きのこったことを、よろこんであげなくてはいやよ。おこっていたらブライアンがかなしむわ」
「だがそれでは君の名誉が!」
「それはブライアンのいのちよりだいじかしら?」
バーデンベルク伯は声を詰まらせ、大きなため息をついた。
「いや。……だが貴族は名誉に生きるものだ」
ベアトリクスは首を傾げる。
「おじさまはわたしのふるまいを、めいよがないと思うかしら?
お父さまはわたしのふるまいを、めいよがないと思うかしら?」
伯の目から涙が零れ落ちた。
「いや、……最も高貴な……振る舞いだ」
「ならそれでいいの」
バーデンベルク伯は慰謝料をボーデン伯に渡そうとし、ボーデン伯はそれを断った。娘は自らの行為を名誉であると言ったのだから。
バーデンベルク伯はブライアンとベアトリクスの婚約を願い出た。
ベアトリクスは頰を赤らめてそれに頷き、ボーデン伯はそれを快諾した。
こうして2人は婚約者となったのである。
週末。
ブライアンとベアトリクスは毎週末、外出届を出す。
金曜日の夕方、バーデンベルク家の馬車に2人で乗り込むが、向かう先は彼らのタウンハウスではない。
貴族たちの住まう高級住宅地を抜けて、商店街、その外れへと馬はゆっくりと歩いていく。
商店街と平民街の境のあたりの雑然とした地域、そこで馬車は止まる。ブライアンが先に馬車から降りて車内に手を差し伸べると、ベアトリクスはそれに掴まって馬車から降りた。
「坊っちゃま、どうぞ」
ブライアンは御者から2人の鞄を受け取る。
「うん。いつも通り週末はこっちにいるから、週明けの朝に馬車を回してくれ」
「かしこまりました」
ベアトリクスが声をかける。
「トマスさん、いつもありがとう」
「へえ、お嬢様。勿体無いお言葉で……」
馬がぶるりと身体を揺らし、馬車は歩み始める。
2人は建物の前へと進み、ブライアンは懐から真鍮の鍵を取り出して回した。
「どうぞ」
「ありがとう」
ブライアンはベアトリクスを中に入れて扉を閉める。扉には赤銅の表札。
そこには『B&B私立探偵事務所』の文字があった。
ブライアンが荷物をソファーに置く間に、ベアトリクスは窓に取り付けられた鎧戸を開けていった。
小さな事務所に光が差し込んでいく。
入り口側には応接のソファー。奥にはブライアンのデスク、その脇にベアトリクスのデスク。
ベアトリクスは自分の机の背後の扉を開けてキッチンへ。
壁際にあるフットペダルを踏むとカチリという音と共に竈門の薪に火が灯る。ボタンを押すと、キリキリとキッチンの一面を占有する無数の歯車が動き出し、金属のアームに掴まれたスプーンが紅茶缶に。
「あなたに一杯、わたしに一杯、そしてポットに一杯」
ベアトリクスは口ずさみつつボタンを3度押す。スプーンがぎこちない動きで紅茶缶からポットに3回茶葉を移す。スプーンと紅茶缶は壁際へと戻り、ポットがテーブルの上に。
竈門の上の薬缶が蒸気を噴出する音を立てると再びキリキリと歯車が動き、ポットにお湯を注いでいった。
壁際のタイマーが彼女の好みである5分の位置へと動く。
最新の全自動紅茶淹れ機だ。
ベアトリクスは棚からスコーンとジャムを取り出すと、軽食の用意をし、その間にカップへと淹れられた紅茶をお盆に載せて部屋へと戻った。
「ありがとう、ビー」
デスクの席に座ったブライアンが言う。
ブライアンは制服のブレザーを既に脱いでいて、シャツとベストのスタイルで机の上の書類を確認していた。
「事務所の調子はどうかしら?」
ブライアンのデスクに軽食と紅茶を置きながらベアトリクスが尋ねる。
「順調みたいだね、ケリー氏は優秀だ。ほら、婚約破棄が流行ってるし、今週も浮気なんかの身辺調査が忙しかったみたいだよ」
「ああ、婚約破棄ね……」
親の決めた婚約を破棄し、心に決めた人と結ばれる、あるいは認められずに心中するという物語は定期的に流行るもの。
帝都でも有数の歌劇団が婚約破棄の演目でロングラン公演を行っていて自由恋愛の気風が貴族の令息令嬢の間でも高まっている。
ベアトリクスもまた、ブライアンとの婚約解消を同年代の令嬢たちから迫られる事もあるのだ。
「婚約破棄はともかくとして、邪神が絡んでそうなネタはあったのかしら?」
この『B&B私立探偵事務所』の所有者はこの2人であるが、彼らは学生。実際に探偵業を行っているのはケリーという雇われの私立探偵である。
彼らがケリーに行わせているのは邪神関連の調査だ。帝都に紛れ込む邪神の尖兵たち。探偵業の傍ら、そういった噂を探らせている。もちろん滅多にそういった話があるわけでは無いが……。
ブライアンは書類より1枚の紙を取り出した。
「ある」