第3話:ワンス・アポン・ア・タイム
彼らは共に正装して両親に連れられ、帝都の大聖堂へと向かう。
機械神より『表裏なき歯車』を賜るために。
それは手にした者の想いに応じた形に変わる神秘の道具、戦いを志す者が持てば剣や銃に、空を飛ぶ夢持つものが持てば翼に変わるもの。
だがそこで事故は起きたのだった。
彼らがちょうど馬車から降り、両親から離れて二人で大聖堂へと向った時であったこと。
大時計塔から正午を告げる巨大な鐘が打ち鳴らされて、霧の帝都に重々しく響いていたこと。
時計塔や町の至るところから噴出する蒸気が、風に流されて大聖堂の前へと流れてきたこと。
「暴れ馬だ!」
誰かの警告の声は、馬の嗎は、軋む車輪の音は、鐘の音にかき消された。
黒塗りの馬車が白い霧の中から現れるのを人々が目にした時、全ては手遅れだった。
2人の眼前に突如現れた馬車を見たブライアンは、咄嗟にベアトリクスを突き飛ばす。
そしてその刹那の後、彼の体は車輪の下へと吸い込まれていった。
鐘の音が止まった。
「……ブライアン?」
石畳の低い位置からベアトリクスの言葉が霧の中に響く。
「おい、何をしている。出せ」
馬車の中から男の声が漏れる。
馬車はそこから走り去ろうとしたが、聖堂騎士が駆け寄り、興奮する馬の轡あたりをおさえ、別の騎士たちが馬車の車体を持ち上げた。
その時、風向きが変わり霧が晴れる。
石畳の上に倒れるブライアン。彼の下に紅が広がっていく。
「ブライアン!」
彼の父の叫び、母の悲鳴。
地面に倒れるブライアンの身体。左腕と左脚があらぬ方向に曲がり、千切れているのか服の上に轍が残る。
スカートが汚れるのも構わず、這うようにしてベアトリクスがブライアンに近づいた。
「ブライアン……おきて?」
彼に手を差し伸べる。気を失っているのか反応はない。
「中へ!」
従者が聖堂へと走り、中から司祭が白い布を持ってきて彼の身体を包む。
2人の両親が近づいてくる。ブライアンの母も気を失ったのかブライアンの父に抱えられていた。
「まずは聖堂の中へ」「ベッドを用意させます」「医者を呼びに遣いをやりましょう」「治癒の力を持つ歯車は?」「今呼んでおります。ただ、ここまでの重傷を癒せるかは……」
大人たちが話しながら聖堂へと急ぐ。
機械神降臨の彫刻がなされた巨大な扉を潜り、精緻な大理石の彫刻と無数の黄金の歯車、銀の配管によって飾られた身廊を急ぐ。
配管はオルガンの如き音を響かせる。聖堂では神の息吹と呼ばれる蒸気が中を通ると、美しい調べが響くように設計されているのだ。
聖堂の中央、巨大な丸天井はそれぞれが神話の一節を描く無数の絵画と、窓からは光が天使の梯子のように降りてくる。
そしてその奥にあるのは巨大な機械神像。
無数の配管で巨人の上半身を模したような神像。人間で言えば顔に当たる部分は無貌の仮面。
「まって」
聖堂の中央に差し掛かり、裏手の僧坊へと回ろうとした大人たちの足を少女の声が止めた。
それは小さな声であったが、なぜか大きく響いた。
「ブライアンをだれかたすけられる?」
大人たちはそれに答えられない。
「かれをおろして。わたしがやるわ」
何の根拠もない子供の戯言のような言葉。だがそこには誰もがそれに従うだけの確信があった。ブライアンを抱える司祭は後にそれを神性を感じたと語った。
司祭は聖堂の中央の床にブライアンを下ろした。布は紅に染まり、それと反比例するように彼の顔は雪花石膏のように白かった。
聖堂騎士が従者より鋏を受け取り、ブライアンの服に鋏を入れていく。
患部が露出した。肘と膝のあたりで千切れかけた手脚。皮膚が破れ骨まで露出している。
誰もが言葉を失った。
ベアトリクスただひとりが、それを見て決然とした表情を浮かべて機械神像を見上げ、跪く。
「かみよ!きかいしんよ!あなたのちゅうじつなるしんと、ベアトリクス・ボーデンはねがうわ!ブライアンのけがをなおすちから……」
機械神の像は無機質な顔をベアトリクスに向ける。
そこに言葉は無い。表情も無い。だがベアトリクスは、それを見て悟った。
部位の欠損を治すほどの高位の治癒の業をなす歯車は手に入らない。それはより高位の、遥かに階梯の高い歯車を以ってせねば実現しない業であると。
「いいえ、きかいしんよ!わたしはブライアンの左あしをねがうわ!」
ベアトリクスが神像に向かって掌を差し出す。
機械神像が蒸気を全身から噴き出し、高らかな音をたてながら大きく身じろぎし、右手を差し出した。
巨大な、ベアトリクスよりも大きな手が彼女の手の上に。五指はそれぞれが縦に割れ、無数の針の如き形状となり、その上に魔力が渦巻く。
それは繊細な動きで魔力を金属へと象っていく。針がベアトリクスの手の上から離れた時、黄金色に輝く8の字の形状の歯車がそこにあった。
ベアトリクスは神像に向かい叩頭すると振り返り、ブライアンの左脚へと近づこうとする。
針のごとき指が彼女の身体を囲うように留めた。
「きかいしん……さま?」
一本の指がブライアンへと伸ばされ、彼の左手を二の腕の中央で、左脚を腿の中央でなぞったように見えた。ただそれだけで手脚は切断され、いかなる神の御業か切断面は一切の歪みも無く、血も溢れない。
ベアトリクスの周囲を囲っていた指が離れる。
彼女はブライアンへと駆け寄り、左脚に歯車を近づけた。
歯車が回る。それは巨大化し、変形する。赤金色の金属の脚の形となったそれはブライアンの脚へと収まった。
「ブライアン、おきて。ブライアン」
ブライアンの瞼が動き、僅かに蒼い瞳が覗いた。
「……ビー?……ぶじで……よかっ……」
「よくないわ!ブライアン!ねがって!あなたの左うでを!」
ベアトリクスがブライアンの胸倉を掴み、彼の顔が左に倒れる。
紅に染まる白い布を見て顔を顰めた彼はベアトリクスの顔を見て、そして彼女に支えられて機械神の像を見上げる。
「かみよ……きかいしんよ……左手……を……ねが……」
ブライアンは意識を失ったが、機械神の像は彼の願いを聞き届けた。赤金の腕が彼の失われた腕の代わりとなる。
「奇跡だ」
誰かが呟いた。