第1話:ウィークデイ
ξ˚⊿˚)ξ <トータル20000字程度の中編ですのー。
ξ˚⊿˚)ξ <毎朝9時投稿予定。
大時計塔から空気の抜けるような音、金属の歯車が噛み合い擦れるような音を立て、少しして巨大な鐘が打ち鳴らされた。
正午だ。
霧の帝都に正午を告げる鐘が重苦しく響き、それはセント・アマネー寄宿学校の学生たちの耳にも入る。
セント・アマネーは帝都でもまだ珍しい高等教育を行う共学校だ。
高額な学費がかかるため貴族の令息令嬢や、財ある商家の子、あるいは優秀な平民の特待生のみが通える学校。
そんな学校の厳しく律せられた生徒たちでも、正午の鐘の音は弛緩した雰囲気を僅かに漂わせるのだった。
「……ふむ。では本日の授業はここまでとしましょう。課題は週明けまでに提出すること」
歴史学の教師が教室から出ていくと、生徒たちも明るく立ち上がり、昼食時の華やかな雰囲気となる。
「ミス・ボーデン?」
そんな中、一人の令嬢が立ち上がり、教室の隅に座る令嬢へと声をかける。
声をかけられた令嬢はゆっくりと顔を上げた。彼女の名はベアトリクス・ボーデン。栗色の髪を肩までの長さに揃え、制服である濃紺のブレザーにシンプルな白のブラウス。装飾品もつけずに化粧っ気もない。
平民のようにも見える姿。だがその鼻の上にのる銀縁眼鏡は平民の持てるような品ではない。眼鏡の奥には切れ長の目。琥珀の瞳が見上げられる。
話しかけたのは見るからに高位貴族の令嬢。豊かな金の髪をかきあげると隠された青の輝石が耳元に輝く。同じ制服ではあるが、ブラウスは絹の光沢に精緻な刺繍がなされたものであった。
彼女の側にはその取り巻きである令嬢たちが控え、くすくすと嘲笑しながらベアトリクスを見下ろす。
「なんでしょうか、ミス・エザートン」
「なんでしょうじゃ無いわ。はい、レポートよ」
セオドラ・エザートンと名前だけ記されたレポート用紙が机の上に落とされた。
「『無能令嬢』なんだから、こういうことでもしてわたしたちの役に立たなくてはねぇ」
取り巻きたちによって机の上に幾重にも重なるレポートの用紙。
「明後日までには終えなさいよ。週末、メイドに清書させなくちゃいけないんだから」
「おねがいしますね、ベアトリクスさん!」
「よろしく、『無能令嬢』!」
彼女たちは姦しく笑いながら教室を後にする。
これを見ている生徒たちも明らかな不正に何かを言うわけではない。
無能令嬢に与して、エザートン侯爵家令嬢の不興を買う気にはならないからだ。
残されたベアトリクスはため息をつくと、レポート用紙を束ねて鞄に詰め込んで立ち上がった。
帝国の全国民は10歳の時に機械神の端末ある聖堂に赴き、神より『表裏なき歯車』を賜る。これは王族から貧民まで全てに与えられる祝福である。
だがしかし、ベアトリクスは『表裏なき歯車』を有していない。
故に彼女は無能令嬢と蔑まれる。
ボーデン伯爵家令嬢という、高貴な身分でありながら、下位の貴族家や裕福な平民といった同級生たちにまで。
ベアトリクスは回廊を歩む。
周囲の人気がなくなった時、彼女はくるりと身を翻して素早く一歩横へと移動した。
先程まで彼女がいたところに溢される水。
見上げると薄ら笑いを浮かべ、空の花瓶を持つ女生徒。その背後にも複数の人影。
「ごめんなさい!ミス・ボーデン!人がいると思わなくて!」
ベアトリクスは頷くと、両手をズレた眼鏡の端に添えて持ち上げながら言う。
「ええ、大丈夫。気にしてないわ」
上から覗く者たちの気配がなくなると、彼女はポケットからビスケットを取り出して口に運ぶ。そして何事もなかったかのように再び歩きだし、図書館へと入った。
司書の青年に会釈すると、入り口からは見えづらく、司書の目の届きやすい場所の椅子へと座る。彼女の定位置だ。
入り口近くでは絡まれやすい。奥の席では絡まれると逃げづらい。
それ故の定位置であった。
彼女は鞄を机に置くと、ちらりと司書の姿を確認した。かつて荷物を盗難されたことがあるためだ。
教師や司書と言った職員には直接的に此方を見下してくる者は少ない。司書が頷くのを確認してから本棚に向かい、幾度か往復して帝国史に関連する分厚い書籍を机に積み上げていく。
そして鞄から紙と万年筆を取り出すと、書籍を猛然と読み始めた。
本から眼を離さぬまま、ときおり右手が動き、紙にメモを書きつける。
それは彼女の二つ名である無能令嬢とはかけ離れた姿であった。
日が傾きかけたころ、一人の青年が図書館を訪れる。
白皙の美貌に金糸の如く輝く髪、引き締まった筋肉の長身。神の創り上げた傑作とも言うべき肉体は制服である濃紺のブレザーに包まれている。ネクタイはアマネー・レジメンタルと呼ばれる青地に黄色の線の入ったもの。ボタンは監督生のみに与えられる銀のものであった。
両手には外されたことのない白の手袋。
部屋に入るなり女生徒たちの目が奪われた。
海を想わせる蒼い瞳が図書館を見渡す。
司書はおもむろに彼へと頷いた。青年は黙礼すると、できるだけ足音をたてないようにベアトリクスのもとへと近付いていく。僅かに彼の左の足元から金属が重ねられたようなかちゃりという音が響いた。
「迎えにきたよ、ビー」
そして静かに青年が、彼のみが使うベアトリクスの愛称を呼んだ。
彼女の顔がゆっくりと上がる。
「……ブライアン」
彼女は花綻ぶように微笑んだ。
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