81話 赤ん坊がいました!
「来ないで! お姉ちゃん!」
その声にモニカは困惑する。
モニカの妹であるフレッタ……何かから隠れているのだろうか? 近くにアーマーボアやミノタウロスがいるのかもしれない。
だが、周囲を見渡しても特に変わった様子はない。
「ど、どうしたのですか、フレッタ!? どこか怪我をしているなら……」
「駄目!」
茂みをかき分けようとするモニカだったが、フレッタの声に手を止める。
「……ふ、フレッタ?」
「駄目……来たらきっと……あ、そっちは駄目!」
フレッタが声を上げたと思うと、茂みがガサガサと揺れた。
茂みから出てきたのは、犬ほどの大きさのまるまるとした仔牛だった。
「……牛、でしょうか?」
ぷるぷると震える仔牛に、イリアはそう呟いた。
どこからどう見てもただの仔牛……にしては、真っ赤な瞳をしている。体もまるで絹のように白い。
「こ、これは……」
モニカの複雑そうな顔を見るに、この仔牛はミノタウロスの特徴を持ち合わせているのだろう。
仔牛を追いかけてきた金色のおかっぱ頭の子──フレッタの青ざめた表情を見ても、ミノタウロスの赤子と考えて間違いない。
モニカはそんなフレッタに刺すような視線を向けた。
「フレッタ……この牛は?」
「あ、あ……」
言い淀むフレッタ。
来ないでと言っていたのは、この赤子を見られたくなかったからか。
モニカはフレッタに問う。
「ミノタウロスの赤ん坊……ですね? ……くっ。なんで? なんで皆の仇の子を!」
「ご、ごめんなさい! でも、この子は優しいから! お姉ちゃんを探してここで迷っていた私を励ましてくれたの!」
「どうしてそうだと言い切れるのですか!? あなたを殺そうとしてるだけかもしれないのに!」
「そんなことない!! この子は違うの!」
フレッタはそう言ってミノタウロスの赤子を抱き寄せた。
モニカは困ったような顔でそんなフレッタを見つめる。
どうすればいいか分からないようだ。
俺はモニカに言う。
「まだ赤ん坊だ……そんなに警戒しなくてもいいんじゃないか?」
「どんな生き物でも赤ん坊は赤ん坊……私もそれは分かってます。でも、この子を連れて帰るわけには」
「そうだな。でも、この子の親のミノタウロスと話ができるかもしれない。交渉の糸口にはなるんじゃないか?」
「とても彼らとは話になるとは思えませんが……」
会ってみないことには何とも言えないが、モニカたちは問答無用で襲われたと言っていた。
だとすれば確かに交渉は難しそうだ。
「この子を親に見せて帰してあげれば、態度も変わるかもしれない……ここは俺に任せてくれないか?」
「命を救ってくださったヨシュア様の仰ることでしたら、従います。フレッタ。その子から目を離さないよう……決して」
モニカの声に、フレッタは顔を明るくして「うん!」と答え、ミノタウロスの赤子をぎゅっと抱きしめた。
だがその時だった。
メルクが急にピンと耳を立てた。
「ヨシュア。何かが川からいっぱい集まってきた。きっとワニ」
「ヘルアリゲーターか……この中州は巣だったのかもしれない。早く退散したほうが良さそうだ」
イリアが言う。
「私が橋まで退路を切り開きます。メルクさんは後ろを」
「任せる。アスハは遊撃」
メルクの声にアスハは頷き、空へと飛んだ。
俺はモニカとフレッタ、ミノタウロスの赤子を守るとしよう。
「では、行きましょう!」
イリアは刀を抜いて橋まで走った。
すると待ち構えていたヘルアリゲーターが次々と飛び掛かってくる。
イリアはそんなヘルアリゲーターを流れるように斬り捨てていった。
後ろではメルクによってヘルアリゲーターが吹き飛ばされていく。
しかし尋常じゃないヘルアリゲーターの数だ。こちらはモニカたちを守らないといけないので、思うように橋まで進めない。
それでもどうにか橋が見えてくる場所まで出る。
だがその時だった。橋の向こうの川岸を走る巨大なイノシシが。
「こんなときにアーマーボアまで……しかもだいぶでかい」
血の匂いを嗅ぎつけてきたのだろうか。
通常の大きさの二倍はあるアーマーボアが川岸を走っていた。あれでは猪というより、まるで象だ。
こちらをチラチラと見てることから、どうやら橋を渡ってくるらしい。
「大丈夫です! 猪も私が斬りますから!」
豪語するイリアだが、四方八方から波のように押し寄せるヘルアリゲーターに手いっぱいだ。
そうこうしている内にアーマーボアが橋を渡り始めた。
「イリア! あれは俺に任せろ! 橋を一度消せば……なっ!?」
いつの間にか、こちらから飛び出す影があった。
小さな仔牛……ミノタウロスの赤子だ。
あの小さな体では信じられない速度で、アーマーボアに向かっていく。
「無理だ! 引き返せ!」
牛のように、頭突きで挑もうとしているのか?
だがあの小さな体では、到底アーマーボアには敵わないだろう。
しかも、このままでは生産魔法で橋を消すことができない。
異変に気が付いた天狗のアスハが、ミノタウロスの赤子の回収に向かう。
だが、ミノタウロスの速さは凄まじく、すでに遅かった。
ミノタウロスの赤ん坊とアーマーボアは互いに頭を低くし……ドンという音を立て激突する。
「くそっ! ……え?」
俺は思わず目を疑った。
誰もがミノタウロスが吹き飛ばされると思う体格差だった。
しかし空高く突き上げられたのは、アーマーボアだったのだ。
アーマーボアは川岸まで吹き飛ばされると、すぐに立ち上がり尻尾を巻いて逃げていく。
一方のミノタウロスはピンピンとしており、こちらに振り返る。俺たちに早く来いと促してるようだ。
「あ、あの小さな体で……とにかく、中州を抜けるぞ!」
俺たちは無事、橋を通って中州から脱出するのだった。




