233話 本心でした!?
魔王と皇帝が、長い円卓を挟んで向かい合い、静かに席へと着いた。
皇帝が視線を向けると、案内役を務めたソルムは一礼をして部屋を出ていく。
その様子を、俺たちは隣の部屋から偽鏡を通して眺めていた。
先に口を開いたのは皇帝だ。
「文を何度か交わしたことはあったが、こうしてお会いするのは初めてだな」
「ええ。私も一度お会いしたかったです。ですがあなたは、私が思っていたような方ではなかった……」
ソフィスの口調からはどことなく恐れのようなものを感じた。
皇帝は首を傾げる。
「どういう意味かな?」
「あなたは、キュウビとは会いましたか?」
「会ったよ。そしてそなたたちの計画を聞かされた」
「あなたは……それに賛同するというのですか、自ら?」
ソフィスは皇帝が操られてないと断じたようだ。たしかに周囲にキュウビの気配は感じられない。
となると、皇帝は自らの意思でここに……
皇帝は迷うことなく頷くと、こう答えた。
「余にも、会いたい者がおる」
「誰しもいらっしゃるでしょう。しかし、多数の者の命と引き換えにまで会いたい方なのですか?」
「余を思うような人物ではなく、子供と思ったのだな。それは否定せぬが、キュウビの話では生者と死者の区別がなくなるということだった。それならば問題なかろう」
「その計画が完全に成功する保証はどこにもありません」
「承知の上だ。それでも、会いたいのだ」
それはソフィスも同じだった。皇帝の気持ちは理解できるだろう。
ソフィスはこくりと頷く。
「かしこまりました。私とて思いは同じ。ですが私は、計画を取りやめました」
「やめた? 計画が失敗すると?」
「いえ。別の道を模索することにしたのです。この地に住まうフェンデルの人々の力を借り、誰も死ぬことのない方法を」
「フェンデル……トレア王国の動乱を沈めた亜人の集団か。つまり、そなたはその者らと組むと?」
「そこに、あなたにも加わってほしいのです。あなたは全人間の頂点に立つお方。協力があれば、もっと計画の成功率が上がる」
ソフィスはそう皇帝に願い出てくれた。
皇帝ともなれば、召喚石の存在も知っていて、多少は保有しているかもしれない。
彼は名君として知られた男だ。きっとソフィスに賛同してくれるはず……
そう考えたが、皇帝の口から出たのは意外な言葉だった。
「それは困るな」
「困る?」
「この戦には、各地の我が帝国中の貴族のみならず、各地の王侯貴族が参加する。こんな機会は、余の一生でもう訪れることはないだろう」
「まさか……彼らを葬ろうと?」
「会いたい、と言ったな。本心だ。しかし、余は約束を果たさなければいけぬ」
皇帝は立ち上がると、窓の前に立ち空を見上げる。
「魔王よ。そなたは、まぎれもなく本物か?」
「誓って、私は魔王です」
「そうか。だが、余は偽物なのだ」
「偽物?」
ここにきて影武者ということを自白する意味が分からない。
しかし皇帝は首を縦に振った。
「私は偽物なのだよ。本物のノルドスはすでに五十年前、死んでおる。まだ十にも満たぬ年でな」
「では、あなたは?」
「庶子のルーテル。ノルドスの影武者として育てられ、ノルドスの代わりに死ぬはずだった。しかしノルドスは、自らを犠牲に余を本物のノルドスとしたのだ」
遠くを見るような目で、皇帝は続ける。
「ノルドスは優しい男であった。庶民にはもちろん、影武者の余にも亜人や魔物の奴隷にも分け隔てなく接していた。惜しむらくは紋章が庶民のもので、剣や魔法の才がなかったことか」
だがと皇帝は続ける。
「頭は切れていた。先見の明があった。ゆえに、あの男は愚者の陰謀を利用したのだ」
「自らを影武者として殺害させ、優秀だったあなたを本物のノルドスにしようと」
「そうだ。私はノルドスとなった……この国……いや、この世界をよりよい方向に導くようにと余に託して」
「この地で大量の王侯貴族がいなくなれば、あなたが自国と周辺国の統治が行いやすくなる。計画が失敗したとしても利がある」
「そういうことになるな。もとより失敗するなどとは考えておらんがね」
ソフィスは皇帝を責めたりはしなかったが、すぐにこう続ける。
「ですが、計画は取り止めとなりました」
「どうかな。すでに、人と魔物は目と鼻の先。どちらも熱狂の渦の中におる。そなたにも余にもこれが止められるとは思わぬ」
人間も魔王軍も互いに相手を滅ぼそうときている。衝突は既定路線だ。さすがのソフィスでも、全てを操ることはできない。
「それでも……キュウビがいなければ、計画は成り立ちません」
「そのキュウビは、そなたの目の届くところにおるのか?」
皇帝の声に、ソフィスは黙り込んでしまう。
どう考えても、この屋敷にキュウビは来ていない。
……申し訳なく思っているのか。それとも計画を成し遂げるため迷うことがないよう、あえてキュウビは魔王との再会を拒んでいるのか。
皇帝はこう続けた。
「やつはやるだろう。余とも、そなたとも違う」
「承知しています。それでも、説得したい。キュウビの居場所について、何か知りませんか?」
「それを知っていたとして、余に答える利がないと思うが」
「……キュウビは、もっと恐ろしいことを考えているのかもしれません」
「もっと恐ろしいこと?」
「私にも会いにこない……キュウビの願いは、きっと再会したいだけではない」
「やつは……人と亜人を強烈に憎んでいるようだったな」
「ええ。彼は、復讐を望んているはずです」
「なんらかの方法で、生きた人間と亜人を根絶やしにすると」
ヨモツがそうだった。キュウビはもっと確固とした恨みを持っているだろう。
ソフィスは首を縦に振る。
「そうなれば、もはや統治どころではなくなります」
「それを止めることに、今度はそなたに利がないと思うが。逆に人間がいなくなれば、そなたが統治しやすくなる」
「それは……あなた方の根絶やしを私も望んでません。そして先も言いましたが、フェンデルの方々と私たちは協力関係にある。これからもそれを深めていきたい。フェンデルには、亜人と魔物、そして人間が共生しているのです」
ソフィスは皇帝の隣へと歩いて、こう訴えた。
「失礼かもしれません……ですが、あなたの再会したいノルドスさんは、そんなフェンデルのような国を望んでいたのではないしょうか? あなたもそれを」
「目指しておるよ。だが、余の計画でもそれは数百年の時を要する。今回、王侯貴族を葬れなければ、倍の時間はかかるだろう」
「フェンデルが、時計の針を早めてくれるかもしれません。私にも人と手を結ぶことに抵抗はあります。しかし、彼らには期待しているのです」
「ふむ……」
「難しいことは申し上げません。キュウビの居場所を教えていただき、人間の侵攻を遅らせてくれればいい。できれば、召喚石という石を提供していただきたい」
皇帝はずっと空を眺めながら沈黙する。
「私たちが別の計画……早急に異界への門を完成させます。それを見れば、キュウビも考えを改めるはずです」
ぎゅっと目を瞑る皇帝だが、やがてこう呟く。
「その新たな計画が成功するかは分からぬが、結果を見届けてからでも衝突は遅くない……か」
「待って、いただけるのですか?」
「トレアでの話、それに解散したシュバルツ騎士団の残党から話は聞いておる。この不自然な場所にある宮殿も、そのフェンデルの者たちが造ったのであろう?」
「お見通しでしたか」
ソフィスがそう答えると、皇帝は俺たちのほうに顔を向けた。
こちらの存在に気付いているのだろう。
皇帝は再びソフィスに顔を向け、こう続けた。
「……幾ばくかの時間を待つぐらいなら、余にもできる。この宮殿は、王侯貴族を留めるにも適しているであろう。その召喚石とやらも、あればくれてやる。だが、キュウビに関しては余もどこへ向かったかは分からぬ」
それでもと皇帝は続ける。
「必ずや、この近辺に現れるであろうがな。この会談も、何かしらの手段で情報を掴むかもしれぬ」
「そうでしょうね。ですが必ず説得してみます」
「説得にしろ、門にしろ、計画が上手くいくことを余も望んでおる。ここで結果は見届けさせてもらおう」
「ありがとうございます……」
ソフィスは皇帝に頭を下げる。
「気にするでない。余がやることは少ないのだから……しかし魔王よ。先も申したが奴の意思は固い。心してかかるべきだ」
その言葉にソフィスは深く頷いた。
「では、余たちも食事とするか。どうにも、良い匂いがしてな……」
「私も実は……フェンデルの方々が持ち込んできてくれた食材でして」
「そうであったか。遠目からだが、温泉もあるようだった。友好のしるしに、共に温泉で語らぬか?」
「そ、それは……」
皇帝は笑って答える。
「冗談だ。まさか、魔王ともあろう者が恥ずかしがり屋とは思わぬでな。いやもしや……とんでもないことを申したのなら、許してくれ。魔王と魔族に関して余が知ることは、そう多くない」
慌てて答える皇帝に、魔王は首を横に振る。
「お、お気になさらず。我々も、人には魔王を畏怖させるよう努めてきましたので」
「実際に話してみないと、分からぬものだな。互いに……フェンデルの主とは会ってみたいところだ」
「今は分かりませんが、門を造り終えればきっとフェンデルにも迎え入れてくださるかと」
「そうか。ぜひ、フェンデルにも行ってみたいものだ」
そう言うと、皇帝はこちらのほうを一瞥し、ソフィスと共に食事の会場に向かった。
イリアとメッテは深く息を吐く。
「……どうやらうまくいったようですね」
イリアは嬉しそうな顔で言った。
「冷静な二人で助かったよ」
門を築けば、衝突を回避するために動いてくれるかもしれない。そんな二人だった。
「だけど、急がないとな」
俺の声にメッテは頷く。
「私たちの手で完成させよう」
「ユミルが設計図もできているって言っていた。あとは組み立てるだけ」
メルクの声に、俺は首を縦に振る。
「ああ。俺たちで築くんだ」
こうして俺たちは、人間の侵攻を少し遅らせることができた。
皇帝が所有していた召喚石は樽に収まる程度だったが、それも使い、翌日には門の建造に取り掛かることにした。




