223話 魔王でした!!
天幕の中は、まるで大きな聖堂のようだった。
磨かれた黒い柱が立てられ、巨大な円卓や紫色の絨毯など煌びやかな調度品が飾られている。魔王の天幕というに相応しい場所だった。
「どうぞそちらに」
黒い鎧……ソフィスの言葉に従い、俺たちは円卓の前に置かれた椅子に座った。
するとどこからともなく、他の黒い鎧が数体現れる。皆、同じ鎧……しかしソフィスと違い、皆、背中から翼が生えている。
その黒い鎧たちは俺とイリアの前に、茶や菓子などを用意した。
ソフィスは俺たちに言う。
「人間や亜人の方も召し上がる物を用意しました。どうぞ」
「ありがとう」
そう答えるが、俺もイリアも口を付けようと思わない。さすがに何が入っているか分からない。
俺はソフィスに訊ねる。
「それで、詳しく話してくれるんだったな……オルトから話を聞いたか?」
「はい。魔王城を訪れた彼から、話を聞いております。オルトとリザードマンは、そのまま故郷へと返しました……彼らを巻き込むわけにはいきませんから」
「巻き込む?」
そう聞くと、ソフィスは首を横に振った。
「こちらの話です」
「そうか……ともかく、オルトたちは無事なんだな」
「はい」
「それで、魔王はなんと? いや……魔王はどこなんだ?」
「すでに、お気づきかもしれません」
「そう、だな……」
このソフィスだけ翼がない……にも拘らず、空を飛んでいた。恐らくは魔法で飛んでいたのだろう。
しかも、ハイドや洗脳魔法の類も使える。洗脳魔法に至っては、あの数の魔物たちを従属させたのだ。キュウビの比ではない。
以上のことから、ソフィスが相当な魔法の使い手であることは疑いの余地がない。
となれば、魔王は……
イリアが言う。
「あなたが、魔王なのですか?」
「いかにも」
ソフィスは即答すると、兜を外した。
ふわりと揺れる、艶やかな紫色の長い髪。
露になったのは、白い肌をした美しい女性の顔だった。見た目だけなら、人間の十代の顔だ。
瞼が開き、ルビーのような赤い瞳がこちらに向く。きりっとした切れ長の目じりは、知的な印象を与える。
思わず胸が高鳴るような美しさの女性……だが俺は無表情でソフィスを見続ける。ここで表情を緩めれば、隣のイリアがどうなるか分からない。
イリアが呟く。
「もっと、恐ろしい顔の方かと思いました」
「あなたと比べれば、確かに恐ろしくはないかもしれません……」
ソフィスの何気ない言葉に、天幕にひんやりとした空気が流れるのを感じた。
俺は慌てて答える。
「え、え、えっと……あなたが魔王なんだな?」
「はい。魔王ソフィスと言います」
「な、なるほど。失礼だが、もっと厳格な男のような見た目を想像していたので」
「人間には、そういう姿を思い浮かべるように情報を流していますから」
ソフィスはそう答えた。
俺も驚きだ。
まさか魔王がまるで人間のような姿をしているなんて。
しかし大事なことは見た目じゃない。
今は、気になることを訊ねるとしよう。
「俺たちを試すと言ったな? それはつまり?」
「あなた方が、交渉に値するかを見させていただいたのです」
「俺たちは話すに値すると?」
ソフィスは深く頷く。
「人は魔物を、魔物は人を恨みます。亜人もまた、人と魔物双方を憎んでいてもおかしくない。しかしあなた方は、それを乗り越えた」
俺自身、魔王軍によって両親と故郷を失った。イリアたちもまた、仲間を人間と魔物に奪われている。
だが、恨みよりも大事なことがある。
それは、俺たちがフェンデルで平和に暮らすことだ。
「俺たちは……人と魔物の争いには興味はない。フェンデルで平和に暮らせればいいだけだ」
「ならば、私たち魔王軍はもう二度とフェンデルに侵攻しないとお約束しましょう」
あっさりと、ソフィスはそう答えた。
「……過去に、魔王は不可侵の見返りに、フェンデルの亜人を引き離した。今回は、何も要求しないんだな?」
「その時の魔王のことは私もよく存じ上げないものですから」
なるほど。
魔王というのはやはり代替わりするわけか。
「本当に……不可侵を結んでくれるのか?」
「はい。ただ、それはつまりあなた方も私たちには何もしないということ」
「そうだな……」
言葉を変えれば、魔王たちに何もできなくなる、ということだ。もちろん協定を破ることもできるが……
ともかく、魔王は俺たちのことはどうでもよく、やはり何か成し遂げたいことがあるのだろう。
不可侵を結べば、俺たちは魔王のやることを邪魔できなくなるということか。
「……汚いようだが、協定を結ぶ前にいくつか質問をしていいか?」
「もちろんです」
「キュウビとヨモツ、そしてあなたは何をしようとしている? ここに人を……魔物を集めて」
「それは申し上げられません。ですが誓って、あなた方には危害は及びません」
「つまり、ここにいる人間と魔物には危害が及ぶわけだな……」
俺の言葉にソフィスは口を噤む。
「俺の見立てでは……あなたは、死者を復活させようとしている。違うか?」
「死者を復活……」
ソフィスはそう呟くと、首を横に振った。
「そんなことはできません……いや、する必要がない」
「しかし、キュウビやヨモツは亡くなった大切な人との再会を望んでいる」
「そうでしょう……そして焦っている」
つまりソフィスの予想を超えて、キュウビとヨモツは何かをしている、ということだろうか。
だがそれよりも、死者を復活させないのなら、どうやってキュウビとヨモツは大切な人に会うというのだろうか。
「……俺たちは、亜人の集まりだ。キュウビとヨモツのことも、助けてやれればと思っている。だが、とんでもないことを考えている気がして」
「それを知って、どうするというのです?」
「この付近の都市には、戦士でない人間の住民もいる。生まれたばかりの赤子もいるだろう。一方で魔王軍にも、オルトのように戦いに積極的でない魔物たちもいるはずだ」
「そう、ですね……」
「……そんな者たちを巻き込むのか?」
ソフィスは俺の声に、ぎゅっと目を瞑る。
やがてこう答えた。
「考え方の違いです。私からすれば、生者も死者もたいした違いはない」
「……違いがない?」
そんなわけない。
だが、魔王は生者と死者に違いがないという。
だがこの世界には明白な違いがある。生者と死者は会うことができないのだ。
しかし何かがそれを阻んでいるとしたら……
俺は狐人の長が語っていたキュウビの呪紋のことを思い出す。
キュウビの呪文は、神をも欺く術に恩恵がある……神なる者が行き来を阻んでいるとするなら、キュウビがそれを欺き……
俺はソフィスに言う。
「とんでもないどころじゃないな……そんなことが、できるのか?」
ソフィスは俺の問いに正直に頷く。
「できます」
すると、イリアが答えた。
「……そのために、人や魔物の命が必要だと?」
「一時のことです。開けば……生者か死者かはたいした問題ではなくなる」
開けば……なにか、門のようなものを築こうとしているのだろうか。
それを築くには多数の命と、キュウビの術が必要……
さすがの俺も言葉を失う。
確かに生者と死者が会えるようになるなら、生者にとって死はたいしたことではなくなる。人や魔物や、種族で対立していることも馬鹿らしく思えてくるだろう。
だからといって、人と魔物がこのまま死ぬのも見過ごせない……
戦いたい人間と魔物が死ぬのならまだしも、先も言ったが戦いを望んでない者もこの付近にはいる。
そんな中、俺はあることに気が付く。
「……さっき、キュウビとヨモツは焦っていると言ったな? 何故焦っているかも気になるが……あなたには余裕があるのか?」
「私は時期を待ち、生贄を最小限にとどめようと考えていました。できれば、自領の魔物をここに集めるだけで済ませたかった……しかし、あの二人は違った」
「人間を送り、時期を早めようと」
ソフィスは頷くと、逆に俺とイリアに訊ねた。
「あなた方二人も、お会いしたい方はいらっしゃいませんか? もう二度と会えないと思っていた方と」
俺もイリアも、両親を失っている。友人や仲間も。俺たち以外にも、故人との再会を望む者は多いはずだ。
いない、といえば嘘になる。
だが……一つだけはっきりしているのは、他人を生贄にしてまで会いたいとは思わない。
俺とイリアは顔を見合わせると、頷き合った。
「……悪いが、俺たちは賛成できない。戦いたい者たちがここで命を散らすならまだしも、関係のない者まで殺されるのは見てられない」
「そもそも、神を欺くと仰いましたが、ずっと欺けるものなのでしょうか? キュウビさんがいなくなればどうなるのでしょう? つながった世界が、本当に死者のいる場所だとも……そもそも死者が私たちをどうするか」
俺とイリアの声に、ソフィスは何も答えない。
恐らくは、未知のことなのだろう。彼女にも確かなことは言えないのだ。だからこそ、生贄を最小限にしようと考えた。
俺も最初は驚いたが、ソフィスの計画は荒唐無稽ではないと思う。
というのは、間違いなく、この世界とは違う世界がどこかにあるからだ。
例えば、俺の召喚したロネアというデーモンロードは確実に異界からやってきている。召喚石で召喚される魔物は皆そうなのだろう。ダンジョンで召喚されるアンデッドもその類のはずだ。
それを考えれば……ソフィスたちの計画は、単に別世界の扉を開くだけ、とも言える。
そしてその異界の者たちが、イリアの言うようにこちらの世界の者を襲わないとも限らない。
俺は言う。
「不確かなことも多すぎる……思いとどまってほしい」
ソフィスにも会いたい者がいるのだろう。黙り込んでしまう。
「ともかく、俺たちは帰らせてもらう……」
「不可侵協定は結べないと?」
ソフィスの問いに頷く。
「今のままでは、止めたいぐらいだ……人間もなんとか引き揚げさせたい」
「そう、ですか……では、交渉は決裂ですね」
「そう、なるな」
俺はイリアと共に席から立ち上がる。
そのまま天幕の出口に向かうが、出る前にもう一度ソフィスに言う。
「まだ、間に合うはずだ……もしまだ交渉する気があるなら、以前そこの使者も訪れた山の宮殿に来てほしい」
「……」
無言のまま俯くソフィスを背に、俺たちは野営地を去るのだった。




