205話 特使でした!
俺たちは魔王軍の特使と会うため、急ぎフェンデル村に帰還した。
村に入るなり、アスハがやってくる。
「ヨシュア様! 特使ですが、家には入らず中央広場に勝手に! 一触即発の状況です!」
「分かった。すぐに向かう」
俺はアスハの言う、村の中央にある広場へと走った。
すると、そこでは何やら絨毯を被せられた祭壇のようなものが置かれていた。車輪がついて、移動式らしい。周辺には、武装したゴブリン十名が立っている。
ゴブリンたちが守る祭壇の上には頭蓋骨で装飾された趣味の悪い玉座が。
その玉座には丸々と太ったゴブリンがふんぞり返っていた。近くには、全身を覆う黒い鎧の者が立っている。護衛だろうか。
亜人たちは、偉そうに振る舞うゴブリンたちに今でも襲い掛かりそうな雰囲気だった。
しかしそれをエクレシアやモニカ、ベルドスが抑えている。
「なんじゃ、その目は! ワシは魔王様の特使グリニア! 全ゴブリンの王であるぞ! お主たちの支配者たる魔王様のお言葉を伝えにきたのだ、亜人ごときが態度を改めよ!」
「お前が特使か」
俺の声に、玉座のゴブリン……グリニアは顔を向ける。
「なんじゃ、お前は? ……人間のように見えるが……まあ、亜人も人も変わらんか」
そう言うと、他の魔物たちもゲラゲラと笑う。
「俺がフェンデル同盟の盟主だ。なんだ、その踊り場は? 広場で踊る許可を与えた覚えはないが」
皮肉を言うと、グリニアは眉間に皺を寄せる。
「許可だと!? この大陸は、もともと我ら魔物の地! 許可など必要あるか!!」
特使がこれか……
とても交渉になりそうもないな。
メッテが声を上げる。
「御託はいい! 何の用で来た!?」
「用件はたった一つだ! 我らに服従せよ!!」
グリニアは短く言い放った。
俺たちも戦ったオークのビッシュも、そう告げてきた。
交渉の余地などないように見える。
「……以前、オークたちにも伝えたが、俺たちフェンデルは魔王軍には服従しない」
「ふっ、強がりを言うな! すでに、南方には十万を超す我が軍勢が迫っているのだぞ!」
「来るなら、オークたちのように撃退するだけだ」
俺は即座に答えた。
メッテや他の者たちも、特使をじっと睨みつける。
「くっ……ビッシュは弱いから、負けたのだ。だが、ワシらは違う!」
「どう脅そうと同じだ。俺たちは戦う」
グリニアは俺の声に歯軋りする。
「それよりも、こちらの質問にも答えてもらおう。お前は、オルトから俺たちの話を聞いたのか?」
「オルト? ああ、あのトカゲの……やつのことなど知らぬ。ワシは魔王様より、この地に赴くよう命じられたのじゃ」
とすると、オルトは魔王に直接伝えてくれたということか。
しかし魔王は、このように服従を迫るグリニアを送ってきた……交渉をするつもりはない、というのが魔王の回答か。
「そうか。まあ、お前たちに交渉する気はなくても、俺たちには交渉する気はある。俺たちは、お前たちの密偵を預かっている」
「密偵……?」
「うん? 亜人の密偵がいるだろう?」
「知らんな。そもそも我らが亜人を密偵にするわけなかろう」
グリニアは本当に知らない様子だった。
密偵だから、仲間内にも明るみにしていない可能性は高い。ヨモツは魔王にのみ従う密偵だったのかもしれない。
ともかくこのグリニアは、そこまで魔王に近しい者ではないようだ。
しかし、どうするか。
ヨモツをこのグリニアに託せば、どんな目に遭うか分からない。いや、ヨモツはその覚悟はできているだろうが、ミリナたちにはまだ父親が必要だ。
ここはもう密偵には触れないでおこう。
そう考えていると、グリニアはこう問うてきた。
「そもそも、そんな密偵一人捕えた程度で我らが手を引くと思っておるのか!? ……これは最終通告だ! 我らに従え! そうだな……まずは、そこの綺麗な女ども──っを!?」
グリニアの座っていた祭壇は、メッテの金棒によって粉砕された。
「ひっ!? ひぃっ!」
地面に放り出されたグリニアの首には、イリアの刀が向けられていた。
「褒め言葉として受け取っておきます。ですが、私たちの村に建てたこの気色悪い物は片付けてもらいます」
俺からでは、イリアの背中しか見えない。
しかし、そのイリアの顔を見上げたグリニアは、がたがたと肩を震わせ、失禁していた。
そんなグリニアに、イリアは容赦なく言い放つ。
「さっさと……いえ、急いでいただけますか? 私たちはこれから昼食の時間なので」
「……ひ、ひ、ひぃいいいいい!! お、お助けをーっ!!」
グリニアはそう言って、村の南方へ一目散に逃げていく。
他のゴブリンたちもそれを追っていった。鬼だと叫びながら。
イリアは苛立つように言う。
「まあ! 本当に失礼な方々ですね!」
「ま、まあイリア様のあの目を見れば……あ、いや、本当に失礼な奴ですね!」
メッテはすぐにそう言い直した。
「っと、これを片付けないとな──え?」
俺の前では、壊れた祭壇や玉座を回収する黒い鎧がいた。
その鎧に、皆驚いている。
無理もない。俺の生産魔法と同じように、物をここでないどこかに吸収したからだ。
こいつも、生産魔法の使い手なのだろうか……?
改めて鎧の持つ魔力の形を見ると、はっきりと魔力の形が捉えられた。いつもは少しぼやけて見えるのだが、この鎧ははっきりと見える。
まるで魔力を抑えているような……
ただ者ではない。俺は思わず身構える。
だが、黒い鎧は全て吸収し終えると、俺たちに深く頭を下げる。
「……失礼をいたしました。すぐにこの場より退散いたします」
鎧から発せられたのは、ゴブリンとは打って変わって丁寧な言葉だった。
お辞儀も綺麗なものだ。
こいつが特使と思いたいぐらいの所作だった。
俺は特使にこう伝える。
「先ほど言い忘れたが、俺たちはあくまでも攻撃してくるなら戦うというだけだ。魔王軍と敵対したいわけじゃない。ここでは魔物も共に暮らしている」
「存じております。スライム、ゴーレム……それに先程から、モープたちの視線が」
その鎧の声に、物陰からこちらを眺めていたセレスたちが一斉に隠れる。メッメーと情けない声を上げてバレバレだ。
「……だから、魔王に伝えてくれないか? 魔王軍と停戦協定を結べないか?」
「お言葉は必ず。では、私からもグリニアが言い忘れていたことを一つ」
「なんだ?」
「捕虜をお返しいただかなくてもいい。ただ、どうか命だけはどうか、というのが魔王の言葉です」
「捕虜がいることを知っていたのか?」
「ええ、狐人の密偵がこちらにいると思います」
ヨモツが捕らえられたことを知っているのか?
「さっきのグリニアは知らないと言っていたが」
「グリニアには、捕虜とだけしか伝えられてませんから」
だが、一方でこの鎧は狐人の捕虜がいることを知っている。
あるいは、ここにはミリナがいるから、鎧がミリナを知っていただけという可能性もあるが。
いずれにせよ、ゴブリンの王が知らない存在を知っているのだから、この鎧はより魔王に近しい者なのだろう。
「密偵とその家族は、俺たちの村で健康に暮らしている。捕虜というよりは、客人として迎えているような感じだ。家族に関しては……もうフェンデルの住民のようなものだ。彼らの意思がなければ、もう魔王軍には返さない」
「そうでしたか。感謝いたします。魔王にはその件も含め、お伝えしましょう」
「そうしてくれるとありがたい……最後に一つ、お前の名前を聞かせてもらっていいか?」
その言葉に、鎧はしばし沈黙する。
「うん? どうした? 無理にとは言わないが……」
「いえ、失礼しました。ただ私は”作り物”ですから、名前はないのです。そうですね……何かあれば私のことは、ソフィスとお伝えください」
「ソフィス、だな。分かった」
「それでは、失礼いたします」
そう言うと、すっとソフィスは消えた。
突然ソフィスが消えたことに亜人たちはざわめきだす。
「あ、あいつ、どこに!」
「待て。魔力の動きは消せてない! ソフィスはちゃんと南へ帰っている」
俺には魔力の動きが分かるから、ソフィスが高速でフェンデルの南へ飛んでいったのが分かった。
メルクが呟く。
「ゴブリンよりも使者みたいだった」
「何故、あの方に特使を任せなかったのでしょう?」
アスハも首を傾げた。
そんな中、メッテがミリナに訊ねる。
「見覚えはあったか?」
「ううん……あんな人見たことない。そもそも、私たちは魔王城では軟禁されているような感じだったし」
本当に魔王や一部の者しか知らない存在だったのだろう。
「ともかく、グリニアの言葉が嘘でない可能性もある……南方から魔王軍が来てもいいように備えよう」
皆、俺の声におうと応えてくれるのだった。




